ミクロとマクロ
盲人だ象をさわって、象とはこんなものだと自分の実感をいう。
そしてその人にとってはその判断は正しいが、全体像から見るとそれは一部を言い当てているだけで必ずしも正しいとはいえない。
全体像を言い当てて、かつ、部分的に正確なときに正しい判断となる。
部分と全体、常に両方にわたってものを見る習慣をつけておかないと、真実を見失う。つまり正しい見方ができないのだ。
哲学的なことを考える場合でも、常に現実論の立場に立つ、この二つの見方をして視点にすえることが肝要である。
盲人だ象をさわって、象とはこんなものだと自分の実感をいう。
そしてその人にとってはその判断は正しいが、全体像から見るとそれは一部を言い当てているだけで必ずしも正しいとはいえない。
全体像を言い当てて、かつ、部分的に正確なときに正しい判断となる。
部分と全体、常に両方にわたってものを見る習慣をつけておかないと、真実を見失う。つまり正しい見方ができないのだ。
哲学的なことを考える場合でも、常に現実論の立場に立つ、この二つの見方をして視点にすえることが肝要である。