日々雑感

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矢巾町いじめ自殺事件

2015年08月06日 | Weblog
矢巾町いじめ自殺事件

担任はいじめに早く気づけず無力だった申し訳ありませんでしたと謝罪した。同時に担任は情報の他の教員に相談しなかったこと。自分で何とか解決したかったとも言った。
こういう意識はどの教員も持つ。自分の能力のなさを露呈するのを押さえて。

面倒なことから逃れよう、たとえそれが取り返しの付かない事案であろうとも。
こういう心理が強固に働く。これは教員ばかりではない。一般の社会人とておなじ。面倒のなことら逃げようとするのは誰しも同じ。それが結果として重大な結果を産むとしても。

個人の段階から教員集団での問題として取り上げても元々面倒なことに関わりたくない意識が働いて、いじめに積極的に取り組むという力よりも、できるだけいじめから遠ざかろうという思いが働く。学年集団、教頭、校長、皆思いは同じ穴の狢である。

いじめは犯罪であると受け止めて、それと果敢にとりくむ姿勢など期待しても無理である。これは大津事件でも今回の岩手の事件でも同じ構図である。
おそらくこの構図はかわるまい。それは人間の本音の部分に根ざしているから変えることは非常に難しい。大津岩手の両事件以外にもこの構図がいつもバックになっている。
そこに働くのは見て見ぬふりをする事なかれ主義と責任回避の理屈と行動である。そして事態は悪化の坂を転げ落ちる。だから同種の事件は今後も必ずおこるだろう。
文科省はあれだけ体制を整えているのにとこれまた責任逃れをする。
結局いじめはエアーポケットの中で 放置されたままになる。これが現状だ。