日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

玄秀盛 その1

2019年11月14日 | Weblog

玄秀盛 その1

彼の名前は知る人ぞ知る

彼の著書「大阿闍梨酒井雄哉の遺言」

この本を図書館で借りるまで三ヶ月ほどかかった先約者が7,8人いたみたいである

以前彼についての本を読んだことがあるから
無遠慮、思慮もなく本音をむき出しにして、どのように大阿闍梨にぶつけるのか興味があった。

僕はこれこそ人間の現実の世界だと思うので、大阿闍梨の文章の中でピンと来たところを抜書きした。

1,命は与えられるもんや.与えられてイカされているそれが命よ.

2,命は人のために使うもの。お前の命って何か使い道があるはずだ

3,自分が命を活かしているのではなく、命が自分を動かしている

4,後はお返しすることで意味がある。それは生かされているからだ

5,学んだものは詰め込んでおくものとは違う。

死ぬ時には自分の中には何も残っていないというのがいいんだ。

6,結局は我欲ではなく利他行。他人のためにかける欲。これが欲である。

7,人の役に立つ生き方が自分を生かすのや。1000日回峰行を2回行った後で修行をして

その後に来る利他の行

8,仏の修行というものは 自分をどこまで空っぽに無心にできるかということや.


玄さん曰く

1,一事が万事、俺の発想は損得、敵味方、貸し借り、利害に凝り固まっていた。

2,山を降りた俺は有言実行、ゼニ儲けに邁進。聖と俗を往来していた。

3,怒りや憎悪という負の感情を転換するコツもわかってきた

4,金があれば人が集まり人を知ることができると信じていたが、それは逆だった




ゴッホの映画を見た9-6

2019年11月14日 | Weblog

宗教的感性をなくしては、真の芸術家なりえない。

今日コッホの映画を見てそう思った。

心を無にして頭を空っぽにした時に入ってくるものが

(彼においては自分なりの風景や景色 作曲家においては自然になる
出すメロディなど)

自分が捉えた作品にしておくことは自分の所作ではあるが、説明のつかないことがよくある。

彼はキリストとか、神々をよく言葉に出していたが、その次元のことは僕も共有できる。

芸術家でもない僕が、こんなことを言うのは不遜に聞こえるかもしれないが、

実感があるから仕方がない。

絵描きに夢中になると放心状態になる場合があったが、僕はすんなりそれを受け入れた

普通の人はなかなか経験できない体験だからわかりにくいことだ。