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電話の向こうから聞こえてくる老師の声はいかにも意気消沈した弱々しいものであった。いつもの様子とはちょっと違う。声に張りが無い。艶も無い。声に晴れやかな表情が無い。一体何があったんだ?。僕は咄嗟に不吉なものを感じた。
「実は今、腎臓ガンと診断がくだされましてな。有名な病院の泌尿器科のモニターにはっきりとガンの姿が映っている。3カ所で診断してもらったが、答えは皆同じ。腎臓ガンだそうな。大きいのは8センチくらいでそれがだんご状に重なっているのです。医者としては一刻も早くこれを切り取って治療を行った方が良いから、即刻入院した方が良いとアドバイスがありました。本当に困ったことに成った。」
すい臓や腎臓にガンができるとほぼ命を失うことになるというのが、現代の我々の常識である。医学はこれらのガンを完全治癒させる程度にまで発達していない。
言い換えれば現代の医学でば力の及ばない難病である.。
治療といえば、ガンのできた部位を切除することしかないのだろう、診断を下した医者は全員同じ意見で、できるだけ早く手術をして取り除いたほうがよいということであった。
「先生、これは大病ですね。3箇所の医者がそう言うなら、アドバイスにしたがって、治療をを受けられることが大切じゃないでしょうか。
しかし先生は普通の人と違って、神仏の御加護があります。こういう時にこそ神仏のお力を借りたいものです。
比叡山の回峰行をやり、わらじがけで四国88カ所の遍路をなさった先生には、神仏のばく大なご加護があるはずです。私のようなものが申し上げるのは釈迦に説法もいいところですが、どうか気を強く持ってご守護を下されるご本尊様に強く御祈願ください。必ず病魔は退散して、元の健康体に戻られること、まず間違いありません。及ばずながら私もお大師さまに祈願させていただきます。ちょうど良い機会です。88カ所分国打ちの遍路をさせていただきます。心を込めてお大師さまにお願いしてきます。」
まもなく私はまず1番札所、霊山寺をはじめとして発心の道場・徳島23か寺を回る遍路旅に出かけた。
お大師さまにお願いするために私は私なりにお経をアレンジした。
妙法蓮華経普門品第25、いわゆる観音経の中にある・げ門・は特別のご利益があると聞いていたので、般若心経の前に唱えることにした。そして夏の暑い盛り、7月の末日から8月にかけ、天気予報で調べ雨の少ない日を選んで出発した。
おさめ札に老師の名前と年齢を書き、真ん中には病魔退散、腎臓ガン撲滅と祈願文を書
いてそれを参る先々の寺の大師堂に納めた。
まずは発心の道場からと思い、徳島県23ケ寺のうち23番の薬王寺だけを残して、22ケ寺を祈願して回った。
二ヶ月たって9月の初めに元気な声でいきなり「これは奇跡ですな、」と弾んだ声。その声は元気に満ち、晴れ晴れしていたし、ぴちぴち踊っていた。電話の主は老師である。
「実は8月の終わりに大阪府立病院に入院したのだが、手術することなくガンは干からびて影は残るが、ガンの本体は消えうせた。もう私はガン患者ではありませんよ。ついでに体を調べてもらったがどこも悪くない。明日退院してくれて構いませんよと病院側から説明を受けた。その治療たるや30秒ほどで終わったんです。
なんとたった3日の入院ですべてが終わったんです。腎臓ガンが治って消えうせた。
塞栓術といってガンに栄養を送っている血管を、あるところで詰まらせてそこから先には血液が行かないようにする治療を受けたわけです。術そのものは30秒ほどで終わったが、これはガンに対して兵糧攻めをするということですな。栄養をもらえなくなったガンは血流ストップと同時に死んだ。あんなにはっきりと白く大きく映っていた影が、元の映像とは似ても似つかぬ形になって、丸で干し柿のようにしわしわの姿になって影を映していた。
主治医は写した映像を見ながら詳しく説明してくれたし、また自分のこの目で確かめたから間違いありません。余りあっけなかったので力が体全体から抜けたような感じがしているし、何かキツネに包まれたような気がするが、これは本当の話です。
医学の力もさることながら,その後ろについて御守護された神仏の力の大きさをこの事で改めて知りました。ありがたいことです。
翌日院長先生から即刻退院の許可が出たが、主治医の先生は大事をとってもう1日入院しておいてくださいということですから、私も納得しました。
心配かけたけど、もうガン患者ではありません。静養はするが元の健康体としてまだまだ頑張ります」
「それはそれはよかあったですね。こんなうれしいニュースは恐らく生涯1度あるかないかです。ところで変な言い方ですが、命取りと定評のある腎臓ガンがこんなに簡単に治ったなんて急に言われたって、はいそうですか、という気にはなれません。気持ちがそこまでついていかないのです。僕も今は先生と同じくキツネにつままれたような感じです。それにしてもよかったですね。僕は素直にうれしいです。
先生のようなお方はまだまだ元気で今までどおりに,
世のため人のため、お役に立ってほしいと願っていましたから。
もう少しお話を伺いたいので、自坊のほうへ伺いたいのですが、よろしいでしょうか。
はい、分かりました。では後ほどに。」
日をあらためて僕は先生を訪ねた。ちょっとやせられたかなーとは思ったが、先生の体は完全に元に戻っていた。何しろ治療した日には熱も出ないで,医者が首をかしげたそうである。
僕はこれはきっと先生のご守護さん,地蔵菩薩か不動明王か弁才天、それにお大師様のどなたかがまもられた、いや全部の神仏がご守護されたのだと思った。
しかもそれを追認するかのように,老師は,
「自分が生きているのではない,自分が生きているように思えるが実は大いなる力によって生かされていることをしみじみ実感した。
生死の境をさまようような思いをして、そのことがつくづく分かった。生きているのじゃない、生かされて生きているのですよ。」
と実感を込めて話された。
現実はともかくも、少なくとも意識的には我々は生死ぎりぎりの線まで追い詰められないとこのような実感は味わうことが出来ないのだろう。僕は老師の腎臓ガンという病気を通して、何かを見せていただいてる感じがした。老師の体のできごとだが、リアルなモデルとして目の前に見せてもらった。これは神仏が老師をとおして、私に何かを教えようとされたのに違いないと受けとめた。今回もまた、僕は老師からも、その背後におられる神仏からも大切なことを教えていただいた。
こういうことに遭遇すると、実際に回った四国88箇所遍路とは、ただそこにあるというだけでもありがたいものだなとつくづく思う。確かに高野山奥ノ院に参り、お大師さんに願をかけるのも良いが、四国1国打ちをするとやはり実感や充実感がある。
歩き遍路ではないので、ありがたさや充実感は半減しているかもしれないが、それでも一国を打ち上げたという充実感のおかげで自信がわいてくる。その充実感がお大師さんからご利益をいただいたと言う実感になってくるから、他人事とはいうものの、わが事のように嬉しい。不思議なもんだ。早速ご祈願をして回った1番札所から22番平等寺までお礼参りに単車で駆け抜けようと思う。
生か死かというような追い詰められた状態に陥ったときに、頼れるもの、祈願できるもの,即ちお大師さんにおすがりしたり、弁天さんにご祈願できるということはどれほど恵まれたことか、またありがたいことか、今回のことでまた思い知った。これからは神仏とのパイプをさらに太くする努力を重ねたいものだ。
電話の向こうから聞こえてくる老師の声はいかにも意気消沈した弱々しいものであった。いつもの様子とはちょっと違う。声に張りが無い。艶も無い。声に晴れやかな表情が無い。一体何があったんだ?。僕は咄嗟に不吉なものを感じた。
「実は今、腎臓ガンと診断がくだされましてな。有名な病院の泌尿器科のモニターにはっきりとガンの姿が映っている。3カ所で診断してもらったが、答えは皆同じ。腎臓ガンだそうな。大きいのは8センチくらいでそれがだんご状に重なっているのです。医者としては一刻も早くこれを切り取って治療を行った方が良いから、即刻入院した方が良いとアドバイスがありました。本当に困ったことに成った。」
すい臓や腎臓にガンができるとほぼ命を失うことになるというのが、現代の我々の常識である。医学はこれらのガンを完全治癒させる程度にまで発達していない。
言い換えれば現代の医学でば力の及ばない難病である.。
治療といえば、ガンのできた部位を切除することしかないのだろう、診断を下した医者は全員同じ意見で、できるだけ早く手術をして取り除いたほうがよいということであった。
「先生、これは大病ですね。3箇所の医者がそう言うなら、アドバイスにしたがって、治療をを受けられることが大切じゃないでしょうか。
しかし先生は普通の人と違って、神仏の御加護があります。こういう時にこそ神仏のお力を借りたいものです。
比叡山の回峰行をやり、わらじがけで四国88カ所の遍路をなさった先生には、神仏のばく大なご加護があるはずです。私のようなものが申し上げるのは釈迦に説法もいいところですが、どうか気を強く持ってご守護を下されるご本尊様に強く御祈願ください。必ず病魔は退散して、元の健康体に戻られること、まず間違いありません。及ばずながら私もお大師さまに祈願させていただきます。ちょうど良い機会です。88カ所分国打ちの遍路をさせていただきます。心を込めてお大師さまにお願いしてきます。」
まもなく私はまず1番札所、霊山寺をはじめとして発心の道場・徳島23か寺を回る遍路旅に出かけた。
お大師さまにお願いするために私は私なりにお経をアレンジした。
妙法蓮華経普門品第25、いわゆる観音経の中にある・げ門・は特別のご利益があると聞いていたので、般若心経の前に唱えることにした。そして夏の暑い盛り、7月の末日から8月にかけ、天気予報で調べ雨の少ない日を選んで出発した。
おさめ札に老師の名前と年齢を書き、真ん中には病魔退散、腎臓ガン撲滅と祈願文を書
いてそれを参る先々の寺の大師堂に納めた。
まずは発心の道場からと思い、徳島県23ケ寺のうち23番の薬王寺だけを残して、22ケ寺を祈願して回った。
二ヶ月たって9月の初めに元気な声でいきなり「これは奇跡ですな、」と弾んだ声。その声は元気に満ち、晴れ晴れしていたし、ぴちぴち踊っていた。電話の主は老師である。
「実は8月の終わりに大阪府立病院に入院したのだが、手術することなくガンは干からびて影は残るが、ガンの本体は消えうせた。もう私はガン患者ではありませんよ。ついでに体を調べてもらったがどこも悪くない。明日退院してくれて構いませんよと病院側から説明を受けた。その治療たるや30秒ほどで終わったんです。
なんとたった3日の入院ですべてが終わったんです。腎臓ガンが治って消えうせた。
塞栓術といってガンに栄養を送っている血管を、あるところで詰まらせてそこから先には血液が行かないようにする治療を受けたわけです。術そのものは30秒ほどで終わったが、これはガンに対して兵糧攻めをするということですな。栄養をもらえなくなったガンは血流ストップと同時に死んだ。あんなにはっきりと白く大きく映っていた影が、元の映像とは似ても似つかぬ形になって、丸で干し柿のようにしわしわの姿になって影を映していた。
主治医は写した映像を見ながら詳しく説明してくれたし、また自分のこの目で確かめたから間違いありません。余りあっけなかったので力が体全体から抜けたような感じがしているし、何かキツネに包まれたような気がするが、これは本当の話です。
医学の力もさることながら,その後ろについて御守護された神仏の力の大きさをこの事で改めて知りました。ありがたいことです。
翌日院長先生から即刻退院の許可が出たが、主治医の先生は大事をとってもう1日入院しておいてくださいということですから、私も納得しました。
心配かけたけど、もうガン患者ではありません。静養はするが元の健康体としてまだまだ頑張ります」
「それはそれはよかあったですね。こんなうれしいニュースは恐らく生涯1度あるかないかです。ところで変な言い方ですが、命取りと定評のある腎臓ガンがこんなに簡単に治ったなんて急に言われたって、はいそうですか、という気にはなれません。気持ちがそこまでついていかないのです。僕も今は先生と同じくキツネにつままれたような感じです。それにしてもよかったですね。僕は素直にうれしいです。
先生のようなお方はまだまだ元気で今までどおりに,
世のため人のため、お役に立ってほしいと願っていましたから。
もう少しお話を伺いたいので、自坊のほうへ伺いたいのですが、よろしいでしょうか。
はい、分かりました。では後ほどに。」
日をあらためて僕は先生を訪ねた。ちょっとやせられたかなーとは思ったが、先生の体は完全に元に戻っていた。何しろ治療した日には熱も出ないで,医者が首をかしげたそうである。
僕はこれはきっと先生のご守護さん,地蔵菩薩か不動明王か弁才天、それにお大師様のどなたかがまもられた、いや全部の神仏がご守護されたのだと思った。
しかもそれを追認するかのように,老師は,
「自分が生きているのではない,自分が生きているように思えるが実は大いなる力によって生かされていることをしみじみ実感した。
生死の境をさまようような思いをして、そのことがつくづく分かった。生きているのじゃない、生かされて生きているのですよ。」
と実感を込めて話された。
現実はともかくも、少なくとも意識的には我々は生死ぎりぎりの線まで追い詰められないとこのような実感は味わうことが出来ないのだろう。僕は老師の腎臓ガンという病気を通して、何かを見せていただいてる感じがした。老師の体のできごとだが、リアルなモデルとして目の前に見せてもらった。これは神仏が老師をとおして、私に何かを教えようとされたのに違いないと受けとめた。今回もまた、僕は老師からも、その背後におられる神仏からも大切なことを教えていただいた。
こういうことに遭遇すると、実際に回った四国88箇所遍路とは、ただそこにあるというだけでもありがたいものだなとつくづく思う。確かに高野山奥ノ院に参り、お大師さんに願をかけるのも良いが、四国1国打ちをするとやはり実感や充実感がある。
歩き遍路ではないので、ありがたさや充実感は半減しているかもしれないが、それでも一国を打ち上げたという充実感のおかげで自信がわいてくる。その充実感がお大師さんからご利益をいただいたと言う実感になってくるから、他人事とはいうものの、わが事のように嬉しい。不思議なもんだ。早速ご祈願をして回った1番札所から22番平等寺までお礼参りに単車で駆け抜けようと思う。
生か死かというような追い詰められた状態に陥ったときに、頼れるもの、祈願できるもの,即ちお大師さんにおすがりしたり、弁天さんにご祈願できるということはどれほど恵まれたことか、またありがたいことか、今回のことでまた思い知った。これからは神仏とのパイプをさらに太くする努力を重ねたいものだ。