関ヶ原
東海道線は米原から、関ヶ原に向けて、上り坂になっている。頂上に当たるところが関ケ原駅で、それから大垣に向かって下っていく。
そんな関ヶ原で1600年に天下分け目の大合戦があった。20万人以上の大群が合戦をしたのだ。結果は東軍すなわち徳川家康に分配が上がった。
後は死屍累々の山。おそらくあの狭い関ヶ原に1000から8000体以上あったことだろう。
首狩り族ではないが、殺した武将の首実検をしてその武将の位に応じて手柄をきめ恩賞を与えた。
その首を洗うために、かり出されたのが近郊の婦人たちである。
戦国の世の常とは言え、血みどろの生首を、汲み上げた井戸水で洗うと言う作業は、どんなに恐怖に充ちたものか想像が付くと言うもの。
500年前には、日本においてこんな残酷な殺し合いがあった。
家康は近郊の有力者に竹中重門に命じて、懇ろに弔い首塚、胴塚を作らせた。
首塚は東西に分けて2つあり、東の首塚は観音堂さになっている。そしてすぐ横には東海道線が走っている。
そんな関ヶ原で僕は生まれた。冬が長く春が来ると、一挙に桜の花が満開になる。
「それはそれは見事な桜で」母はそう言った。