日々雑感

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,猛獣的バイタリティー5-51

2019年05月12日 | Weblog


,猛獣的バイタリティー


「馬鹿なことを考えるな !!!.そんなことで、人の心を打つ作品がかけると、君は思うのか、あまいことを考えるでない。」
先生は体を震わせて大声で、怒鳴られた。私はびっくりした。目から火が出ると言うのは、こういうこと言うのか。たったこれぐらいのことで、こんなに怒られるとは思ってもみなかった。意外にも意外。
 先生はぎょろ目でじっと私を見すえて、怒られる。らんらんと輝く目から発せられる怒りの炎が、私の胸に突き刺さる。私は何とかして先生の前から姿を消したかった。しかし逃げるわけにもいかず、私はただうなだれてうつむいている以外には、どうしようもなかった。
口もスムーズに、回らない不自由な身の先生の、どこにあんな激しいエネルギーが潜んでいるのだろうか。


[先生。まず生活だと思います。生活をキチットしておいて、そのあと時間ができたら、ぼつぼつ作曲でも始めようかと思います。]
と私が何気なく言った。この一般世間では常識的な発言が、どうして先生の逆鱗に触れたのだろうか。私は理解に苦しんだ。
察するに、先生は私を一人前の作曲家にしてやろうと力を入れておられたのであろう。私はそれに応えることなく、気のない返事をしたから、先生はカッとなられたのであろう。さもないと、わざわざ当時、私が住んでいた大学の寮まで、至急電報をよこされて、自宅に私を招かれることは無かったであろうから。


 表面的には一見華やかな芸術家の活動も裏に回れば、命を削る思いをして一つの作品ができあがるのに、暖衣飽食とまでは言わないが、それに近い状態を作ることに全力を傾けて、しかる後に余力があれば趣味的な感覚で、人の魂を魅了する作品を書きたいとする私の虫の良い考えをこっぴどく叱責されたのであった。


 先生は常日頃、「猛獣的バイタリティー」という言葉をよく口にされた。そして先生は、この標語を己の生活信条とされていたのであろう。あらゆる困難を乗り越えて、日本の音楽界の草分け的存在となられた先生である。後に続くものはビートン・トラックすなわち踏みならされた道を、走りさえすれば、それなりの成果が出るように、猛獣的バイタリティーで、西洋音楽を受け入れられるように、楽団も聴衆をも耕されたのだろう。
いわば、日本の近代音楽は、山田先生の猛獣的バイタリティーが、ブルドーザーとなり、その整地された基盤の上に初めて成立したといっても過言ではない。


 クラシック音楽は言うに及ばず、演歌まで(みそらひばり用の演歌も作っておられる)およそ音楽のあらゆる分野に手を染めておられる先生には、ずいぶん困難があったはずである。事実、私は先生が高利貸から借金されていたことまで耳にしている。
私は今まで生きてきた自分の経験に基づいて「恒産なければ恒心なし」と固く信じていたから、先生の住んでおられる、芸術の世界のことはよく分からなかった。が、この地上に住んでいる限り、恒産がなければ、火宅の人にならざるを得ないのが人の常だ。考えてみると先生もやはり、ご自身の猛獣的バイタリティーのゆえに、火宅の住人だったのではなかろうか。
いやいや、先生は「良い芸術作品を世に出すと、それだけでちゃんと日常生活成り立つものである。だからまず良い作品作りに専念せよ」と教えたはずだったのに、私はまず日常生活をきちっと成立させたうえで、誰に遠慮な、く全く私の自由意志で、作品を作ると平然と答えてしまったのであろう。きっとこのことが先生のカンに触ったに違いない。


 結論から言えば同じであっても、主と客を転倒すると、作曲する場合の信条はまるで違うはずである。
古来、世界に名曲を残した有名な音楽家たちは一様に貧乏暮らしの中に、不朽の名作という花を咲かせた。
ベートーヴェンも、モーツァルトも、シューベルトもフォスターも私の目から見れば、みな火宅の長屋の住人である。しかし、彼らは芸術という意欲のために、あえて火宅の人となり、それ故に不朽の名作を作り得たのかもしれない。
とすれば、日本が生んだ偉大な天才・山田耕筰先生もまた、自己体験を通して貧乏神にとりつかれながら、名作を生み出すことが、真の作曲家であると固く信じておられたことだろう。


だから私のような小市民的、常識的発言にうんざりされたのだろう。私は自分を山田先生のような多才の人とは思えない。私が内に秘めているバイタリティは先生の猛獣的バイタリティーに比べれば、ものの数には入らない。同じく人として、この世に生まれながら、大きな違いである。


 母は私をこの世に送り出すときに、この大きな違いを認めたであろうか。それとも先陣を乗り越える力を私にあたえてくれたのだろうか。
もし母がその力を授けて私を産んでくれたのなら、私は山田先生の猛獣的バイタリティーに対して、これからも頑張らなければならないと思う。


 30年の歳月経て、私は今鮮やかに思い出した。だらんらんと輝く目を。
後にも先にも、あんなに異常なエネルギーを発する目を見たことはない。
私が縮みあがったのは、恐怖心からではなく、異常なエネルギーが発する目、そのものに恐れをなしたのである。


 


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