日々雑感

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ミッテランの言葉

2009年05月21日 | Weblog
        ミッテランの言葉

{卓越した学者や知識人は科学を通じて信仰をもった。それ以外の人達は逆に、科学が信仰を遠ざけた。} ミッテラン

 

人生の目標は人さまざまですが、私はかけがえのない、たった一度の人生でどの程度の事が分かればよいのか、達すればよいのか、また味わえればよいのか、自分が決めることではありますが、いろいろ思い悩んで来ました。
 そして、この世には人知を越えた何物かがある、すなわち私たちが身をおいている人間のこの現実世界が霊界と現実界とによって構成されていて、それがお互いに影響を及ぼしあっていると言うのが、正しい見方ではないかと思うようになりました。
  しかもこんな見方をする背後には、己の限界を思い知らされるというぎりぎりの所まで何かをした、あるいは追い詰められたという経験や実感があって初めて出来るものではないでしょうか。つまりある程度のレベル迄達していないと解らない世界だと思っています。
  そういう経験や実感がない人にはこういう世界観は理解出来ないと同時に存在さえしな い世界だ思います。人知を越えた世界は見えない、それゆえ存在しないという物の見方しか出来ないということです。
この見方が間違っているのかどうか私には分かりませんが、真面目に人生を考え、味わいながら生きて来た人ならば、恐らく避けて通れなく、どこかで、またいつか突き当たった問題であると思います。 それを自分では如何に考えたか、如何に自分なりに解決したかどうかと言うことになろうかと思います
幸い私には人生の良き師匠といだく人との巡り合わせがあり、師匠の姿、生きざまを冷静に見つめて来たのが、こういうことを考える上で非常に役に立ちました。人生上の多くの示唆を得たのです。それが他律的に私をこのような人生について考えるチャンスを与えてくれたことにもなりましたし、一方その影響で自ら進んで、つまり自立的に人生について考えるようになったのかも知れません。若いときからそうでしたが、ずっとそれを引きずって今日に至ってお・ 蒻ます。
 解けない永遠の謎を息が途絶えるまで説き明かそうともがき続けることになりましょうや。そしてそれはそれでよいと思うと同時に、こういう考え方や問題意識を持てることに喜びを感じております。
 とにかく人は己(己の限界)というもの、を知るべきです。それがすべてのはじまり出発点です。
  先述のミッテランの言葉にしても、己を知らない人にはミッテランが何を言わんとしているか、決して満足な理解は出来ないでしょう。恐らくすこしも理解出来ないだろうと思います。
 私はミッテランは左翼思想の持ち主だとばかり思っていたからこのフレーズを知ったとき意外な感じがしていました。しかし考えてみると左翼だとか右翼だとかで理解出来る事柄ではありません。己の限界を越えようとして自分なりの究極迄行った人にしか、解らない世界だから、思想には直接的には関係がありません。何かを通して、例・ 遖ば芸術や学問や政治や会社経営、あるいは大勢を率いる集団のリーダーなど、何でもよいのですが、その道を極めた人にしか、かいま見ることの出来ない世界なのです。そして私の実感ではそれはいつもはっきりと見えて居る世界ではなく、見えたり見えなかったりする世界だとも思います。
仏の教えにある八正道の一つ、正見とはこういうことをさして言っているのではないでしょうか。
  自分がこの世に存在する謎を説き明かす事なく、無明の闇をさまよう身であればなおのこと見えにくい世界ではあると考えています。
 どうも駄弁を弄するようになってしまったきらいがありますが、絶えて久しくこういう話が出来る人が少なく、腹を割って話をすることはありませんでした。
 そこで今日ばかりは思いの丈を率直にぶっつけて見ました。いかがでしょうが。私個人のドグマでしょうか。一つ率直なご意見を伺いたいものです。

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