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今日の午前中、紀尾井町で仕事。
帰りには最寄駅の永田町ではなく、一つ先の麹町まで歩いて地下鉄に乗った。お目当ては清水谷公園。ここを突っ切って紅葉を見ようという魂胆。期待通りの美しさだった。ちなみに公園の中心にはこの場で暗殺された大久保利通の哀悼の碑が立っている。60年代−70年代にはここは学生運動のデモ集会のメッカだったらしい。T大在学中に学生運動してて卒業できず、司法試験を受けて弁護士になったのがウリ(?)の知り合いから教わったことがある。
清水谷公園、都心なのに心字池がある。さすがは紀尾井町、紀伊徳川・尾張徳川・井伊の屋敷があった場所だ。梨本宮万子妃とイ・ウン皇太子がご結婚後お住まいだったのもこの辺り。赤坂プリンスホテルが改装後東京ガーデンテラス紀尾井町となっても、赤坂プリンスクラッシックハウスとして残されている。その「旧李王家東京邸」は東京都の有形文化財で、お屋敷街の名残。
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東京都心は紅葉の盛り、そろそろ山を越えた感じ。歩いてる間もハラハラと葉っぱが舞い落ちてた。12月だもんね〜
紀尾井町、そういう意味があったのですか。
知りませんでした。
東京の地名や坂の名前は江戸の名残を残すものが多くて、なかなか面白いですよ。
土地の名前って 平成の大合併辺りで かなり歴史あるいい地名が消え
日本中 おかしな?名前や 記号がわりかとおもうような名前が増えました。
そうですよね。残念なことです。
両親が住んでいたところも、合併はしなかったけど、番地のナンバリングを何丁目何番地何号みたいに変更するどさくさで、歴史のある名前がどこにでもある名前に変わったと父が嘆いてました。
東京も郊外に行くとそういうところもあるようですが、都心は意外に名前が残ってます。
音羽は、桂昌院の奥女中の名前です(笑)。