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「文明キャベツ」展



「文明キャベツ」展の看板と案内チラシ


先頃、高鍋美術館(宮崎県)で開かれている「文明キャベツ」展・作家によるギャラリートークに出かけた。作家は96歳の現代美術家・齋藤秀三郎氏。「九州派」という言葉につられ、楽しみに出かけた。「九州派」の作品に接するのは初めてのことだ。といっても、氏が現在「九州派」ということではなく、かつて「九州派」に所属していたということだ。「九州派」はずっと以前、福岡を中心に活動した団体だ。解散してもう約50年だ。案内チラシには「初期に『九州派』や『グループ西日本』に所属し、前衛的作品を発表」とある。

結論から先に述べれば、メッセージ制のあるとても分かりやすい作品群だった。
作品展は、キャベツを使った作品群と、既に故人となった家族やクラスメートたちの魂の供養という2つの作品群から構成されていた。代表的作品は、案内チラシに掲載されているキャベツの銅版画のようだ。メゾチントという技法を使って表現されている。まっ二つに切られたキャベツからは、様々なコードがのぞいている。二つに切られたキャベツは「脳」のようにも見えるが、そうだとすれば、様々なコードは脳を侵しつつあるか、あるいは既に脳を侵した現代文明か・・・。

立体作品もそのように見えた。キャベツそのものから石膏どりされ、二つに割られてコードが埋め込まれていたり、白や黄や赤に「色付け」され「C-4」などと記号が付けられていた。記号は、総背番号制みたいなものと理解すれば分かりやすいようだ。トークを聞いて理解したが、「色」も記号と同じく「生」を侵すものとして表現されているようだった。立体作品は、ほとんどが机の高さに配置され、上から覗き込むようにつくられていた。そう、様々に加工がされた脳を覗く感じだ。ひときわ大きな枠組みの中のキャベツもあったが、大枠は重大事故を起こした福島第一原発が表現されているようであったが、これは説明がなければ何か分からなかった。ただ、どの作品も、ますますスピードを増して「生」から遠ざかる現代文明を鋭く問う作品と見受けた。キャベツについて、氏は「キャベツは作品の中でいろんな役回りをしてくれました。現代文明を生みだす脳であったり、文明に曝された内蔵であったり、または、抽象的「命」であったりしました。」と述べている。

もうひとつは、供養の表現の空間だった。壁に掛けられた四角の灯籠には、正面に亡くなった家族やクラスメートの顔が描かれ、横には名前と亡くなった日付や年令が書かれていた(と思う)。そして、少し暗めの会場内には心臓の擬音が響き、嫌がうえでも「死」について向き合わさせられた。四角の灯籠は、鹿児島県や宮崎県南西部で、旧暦六月に神社等で行われる「六月灯」を思わせたのは、氏が宮崎県三股町(当時三股村)で小学校時代を過ごしたことによるものか・・・。灯籠に描かれた人たちは、氏にとってとても大切で、かけがえのない人たちだったはずだ。


ギャラリートークの齋藤秀三郎氏


休憩室でのビデオ画面より
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