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幻日(げんじつ)


少し間を置きすぎてしまった。3月末に「相次いだ別れ」を書いたが、それ以降も別れが相次ぐことになった。一緒に沢山のことをやってきた仲間、地区内の田んぼの貸し主のおばあさん、それに近親者、そしてまた地区のおばあさん。みんな大切な人だ。
通夜式や告別式に出席したり、受付をしたり・・・。こんなに別れが続いたことは今迄にないが、田舎と都市部では、随分と式のありようがちがった。地区の方の式では、世帯から少なくとも一人は出席があり、地区外からも知り合い等が参加するため多人数で、受付も地区の班の者が交代で行い、今も地域共同体が生きていた。しかし、都市部の葬儀は、家族葬的で人数が限られていて、受付も近親者。総じて、最近はどうも家族葬的になりつつあるように感じた。
宗派は浄土真宗3と臨済宗1だったが、同じ宗派でもそれぞれ別のお寺だった。何度も式に出席すると「戒名」と「法名」の違いなど覚えて行く。しかし、宗派は同じなのに、焼香の仕方が少し違うこともあった。お茶席での定番の話題は、葬儀にいくらかかるとか、「法名・戒名」はいくらだったとかなど現実的な話も多く、庶民としては、やはり気にかかるところだ。

さて、5月末に縦に虹色の輝きが現れた。写真では左。九州山地に日が沈む前のことだ。「幻日(げんじつ)」というのだそうだ。固く言えば「太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象」ということのようだ。10分間ほどだっただろうか。写真に撮ったのはその最後の頃。そして「幻日」は幻のごとく消え去った。「西方浄土」という言葉もある。それぞれ彼の地にたどりついただろうか・・・。
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