再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

実体験に基づいた起業論(28・最終回)

2008-06-07 10:19:28 | 連載:実戦的起業論

総括論(2):理想のリーダーとは?

昨年の11月から本連載を開始したが、今回で一応の区切りとしたい。

自分の実体験をベースにした起業というテーマで雑感を書いてきたが、なかなか満足いくものにはならなかったと今振り返って思う。やはり経営者としての挫折経験による自責の念が、自らの主張を委縮させているのであろうか。なかなか過去の失敗経験を乗り越えるのは難しいものである。

このトラウマを真に克服するためにも、さらなる高みへの挑戦が今の自分には必要なのかもしれない。そんなことを思いつつ、現時点での自らの理想のリーダー像を記すことで、本連載の締めくくりとしたい。

私は、リーダーには、いくつかの覚悟がいると思っている。

第一には、自分が率いる組織は、リーダーの器以上には成長しないという事実を認める覚悟。会社を成長させたければ、まず自分自身が最初に成長すべきである。

第二に、経営には、実にさまざまなことが起こるが、そのすべてのことが最終的には「良きこと」であると腹に収める覚悟。起こるべきこと、すべて良きこと。特に、辛いことの場合でも、そう思えるかどうか。それがリーダーの人間力・包容力である。

第三に、自分の力だけではどうしようもない見えない力があることに畏敬の念を持つ覚悟。その覚悟から来る精神が、「一期一会」の心境につながる。リーダーは、「今を全力で生きる」というオーラを出し続けるべきである。

そして、最後に、運命は切り開くものであり、決して定まっていないと心から信じる覚悟。最後まで絶対にあきらめないという姿勢を周りに対して貫き続けること。

これらの覚悟を持って、どっしりと組織の先頭に慄然と立ち続ける人。そういう人が私の理想のリーダー像である。

起業には、まさにこうしたリーダーが求められ、こうしたリーダーに率いられないと起業は絶対にうまくいかない。

逆に考えれば、起業という難行を通じて、人は理想のリーダーに近づくことができる。ただ、それは決して容易なことではない。

人生は一度。挑戦できる限り、挑戦し続ける。

私は人生の残された時間をそのように歩みたい。

(了)

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実体験に基づいた起業論(27)

2008-05-31 16:09:51 | 連載:実戦的起業論

総括論(1):社長とは?

本連載もまとめの総括論に入る。その第1回目は、そもそも社長とは、どういう存在かという私見を述べたい。

ただし、社長とはいっても、私自身が実体験として語れるのは、ゼロから創業したベンチャー企業の社長である。それは、一部上場企業のような大企業の社長とは、まったく違うものであろうし、私にはそちらを語る資格も経験もない。

さて、創業社長の特徴は、とにかく事業へのこだわりが強い。作った会社は、自分の子供のようなもので、出来の良し悪しには関係なく、自分の分身のような感覚を覚えるものだ。むしろ、出来の悪い方が、可愛いという点では、子どもと同じかもしれない。

会社の創業理念や社名にも、自分の志と思いを込める。自分自身の生き様そのものであり、日々の生活と一体化する。

朝から晩まで、会社のことばかり考え、時には夢の中でも会社のことを心配している。ある種の「狂の世界」にいるようなものだが、自分ではまったく違和感がない。時として、周りが見えなくなり、自分の世界に没入する。

ある時は、大きな夢を語り、ある時は、些細なことにくよくよし落ち込む。創業社長というのは、とてもまともな人格では勤まらない。かなり分裂的、躁鬱的である。

創業後、数年間は「ベンチャー死の谷」に急降下。日々、お金がなくなっていく。その気分は、恐怖を超えた快感かもしれない。

などなど、いろいろと表現しても語り尽くせない。やはり、創業は自らやってみるしかない。

若い人には、とにかくチャレンジして欲しい。そこにはやった人だけが分かるユニークな世界が待っている。

そして、創業社長は一度やったらやめられないのである。

(次回に続く)

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実体験に基づいた起業論(26)

2008-05-24 09:42:26 | 連載:実戦的起業論

財務論(5):社長(CEO)とCFO

財務論の最後に、社長(CEO)と財務担当責任者(CFO)について私見を述べたい。

理想的なベンチャー企業の創業は、夢と志を共有できるCEOCFOがコンビを組むことである。

この二人は、車に例えるとアクセルブレーキ。このバランスが実に大切である。

つまり、社長は自らの夢に向かって、どこまでも貪欲且つがむしゃらに高みに向かって突き進む。財務責任者もベンチャーである以上、チャレンジ精神は旺盛でなくてはいけないが、やはりお金にはシビアであるべき。

社長の夢と志は十分に理解した上でも、時にはその暴走を食い止めることも必要である。そうした冷徹な目と判断力を持ったCFOを抱えたベンチャー企業は、必ず成功すると言っても言い過ぎではないだろう。

ただ時には、CEOCFOが経営判断で真正面からぶつかることもあるかもしれない。そんな危機を乗り越えるためにも、両者が表面的ではなく心の深いところで信頼し合うこと、そしてお互いに尊敬の念を抱くことができる関係を維持することが必要になるだろう。

家族でも友人でもなく、プロのビジネスパーソンとしてCEOCFO

お金の問題である財務論も、やはり最後は人の縁に帰着するものである。

さて昨年の11月からスタートした本連載企画も、動機論、理念論、営業論、組織論、財務論の順番で、私自身の拙い実体験から得た知見を披露してきた。

次回からは、数回にわたり総括論として本連載のまとめに入りたい。

(次回に続く)

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実体験に基づいた起業論(25)

2008-05-18 10:34:14 | 連載:実戦的起業論

財務論(4):正しい借入政策とは?

ベンチャー起業時における資金調達手段で、借入というものは、一昔前まではまったく選択肢に入らなかった。どんなに優れた事業計画であっても、その創業時に金を貸す銀行は皆無であった。

もちろん、社長が個人資産などを十分に持っていて担保を差し出せるのであれば別である。また、社長自身に創業や経営の成功実績がある場合には、その信用で借入が可能かもしれない。それ以外は、ベンチャー創業における借入政策というものは、未成熟のままである。

しかし、最近では多少事情も変わっているようだ。国や自治体などが、手厚い起業支援策を出しており、その結果、政府系金融機関や自治体が、創業資金を貸してくれる。その場合でも社長の個人保証を求められることが一般的であるが、時として、無担保無保証の制度もあるので、いろいろと調べてみるとよい。

私も今回の創業では、創業2ヵ月目にして、国民金融公庫から無担保無保証で1000万円借入れることができた。10数年前の最初の創業時には考えられなかった大変ありがたい制度である。

また、中小企業金融公庫という政府系銀行があるが、ここでは最低でも1度決算をしていない会社には貸せないようである。つまり、創業期には、たとえ社長が個人保証をしても貸せないということ。もちろん、前述したように社長に個人資産が十分にあれば話は別かもしれないが。

創業社長は、中小企業の社長と同様に、この個人保証という日本独特の慣習にかなりプレッシャーを受ける。私も最初の会社では、創業数年後のまだ赤字が続いていたころに、最高1億円近い個人保証をした経験がある。このことは、個人資産がない者であるので、もし事業に失敗したら、自分のみならず家族全員さらには親族までに迷惑を掛ける。このなんとも言えない恐怖感は経験しないと分からないものである。

米国では、「起業は一種のスポーツである」という人もいる。大変、明るい雰囲気がある。それに対して、日本の場合は、悲壮感すら漂ってくる。

もちろん、人様のお金を集めて、それを無駄に使ったり、私利私欲のために使うのは言語道断であるが、新しい事業に真摯に挑戦して、その結果として失敗した場合に、その人の最低生活の基盤まで失わせるというのは、どうなのか。そういう経験をした社長を何人か知っている。

「スポーツ」とは言わないまでも、創業チャレンジにもう少し爽やかな感覚があってもいいのではないか。ただ、ホリエモンのような輩が、盛り上がったベンチャー支援論に冷や水を浴びせたのも事実であり、経営者のモラルハザードとのバランスは難しい問題かもしれない。

かく言う私自身も上場後には、図らずも多数の株主に大きな損失を強いることになってしまった。このことは死ぬまで忘れることのできない忸怩たる思いである。ただ、この重い思いに押しつぶされることなく、自らに与えられた命を生き切ることでしか、償いはできるものではないのではないかと、時として萎える気持ちをふるいたたせている。

(次回に続く)

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実体験に基づいた起業論(24)

2008-05-10 07:13:22 | 連載:実戦的起業論

財務論(3):正しい資本政策とは?

創業時の資本金から、企業の成長にしたがって資本の増強が必要である。その増資のタイミングと額をどうするかという計画が、資本政策と呼ばれるものである。

私自身は、10数年前の創業時には、この言葉の真の意味が理解できていなかったために、その後の増資については、結果としては「行き当たりばったり」式となってしまった。

もちろん、計画どおり物事が進むというのは、ベンチャーの立上げのみならず、ビジネスの世界では極めて稀ではあるものの、やはり事前に計画を作ることで、増資実施における意思決定の基準が明確になる。

やはり、何事も「出たとこ勝負」は良くないものである。

では、増資における意思決定で大事なことは何か。もちろん必要額を決めることは最初であるが、それらを誰からどの程度の出資をいただくかというのは、極めて重要なポイントである。

一口に株主といっても、多種多様である。個人もあれば、企業もあれば、企業でも事業会社もあれば、投資専門のベンチャーキャピタル(VC)もある。さらに、VCにも、銀行系もあれば、証券系もあれば、保険系もあれば、独立系もあるように、それぞれに投資スタンスと期待利益が異なってくる。

投資家によっては、出資した以上は、経営に積極的に口を出すことを要求するところもあれば、まったく逆で、金は出すが口は出さないと最初から宣言しているところもある。

どちらの投資家がいいのかとは、一概には言えない。経営のプロとして、取締役等を派遣いただき、ある時点から経営参画をいただくことも、ベンチャーの場合有効な場合もある。また、そのことが経営上の大きな制約となって、ベンチャーとしての生命力を失ってしまうリスクないことはない。

以上のような諸々のことを総合的に勘案して、最終的に誰からどれほど出資いただくかを決めなくてはいけない。

ビジネスには正解がない」という格言の通り、資本政策にも絶対的に正しいというものはない。ただ、明らかに間違った判断をしている場合もある。その場合は、社長自身が資本政策に無知であることが多いが、一般的には創業を何度も経験している社長というのは、極めて稀であり、無知であることは恥ずかしいことではない。

医療の世界のセカンドオピニオンではないが、できれば複数の経験者から話を聞き、適切なアドバイスをもらうということが、大きな失敗をしない唯一の手段であろう。

(次回に続く)

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