江戸時代の末期に、黒船が来て、この国は長い鎖国時代から開国に向かいました。
時の政府は、江戸徳川幕府。果たして、黒船の要求を飲むか飲まざるか、てんてこ舞いであったようだ。
一方、その時に何かしらの志ある民はと言えば、攘夷か開国かで国論は二分したとか。
それから150年以上が経過した現在から見ると、こうした議論のなんと滑稽なことか。その時にすでにあった大きな世界の流れから見れば議論の立て方自体が稚拙で幼稚ではないか。
さて、今の日本国において、TPP交渉に参加するか、どうするかが、まさに政府の中では二分して議論されている。
この議論自体が、江戸末期の状態と同一視できるかどうか。そんな単純な構造ではないのかもしれない。ただ、この国は大きく変わらなければならないことだけは確かではないか。
その意味では、長い鎖国状態にあった江戸末期と同じとも言える。
では、どう変わるか?
こうした国家ビジョンを今の政治家に求めても、所詮無理であろう。ましてや、そうした政治家を選び、かつ、いつしかハングリー精神を失ってしまったかに見えるわれわれ国民レベルでは、こんな大きなビジョンを描き切ることは不可能であろう。
温泉気分のわれわれが目覚めるのは、再度、黒船ショックを受けるしかないのではないか。
TPPでも、なんでも、大きな世界の流れに任せ、すべてを一旦受け入れる。そして、その結果に必死で対処する。日本人はそういう時にこそ、力を発揮できる人種である。
そんな開き直りの戦略しか、今のこの国への効果的な処方箋はないのではないか。特に、最近そう確信している。
時の政府は、江戸徳川幕府。果たして、黒船の要求を飲むか飲まざるか、てんてこ舞いであったようだ。
一方、その時に何かしらの志ある民はと言えば、攘夷か開国かで国論は二分したとか。
それから150年以上が経過した現在から見ると、こうした議論のなんと滑稽なことか。その時にすでにあった大きな世界の流れから見れば議論の立て方自体が稚拙で幼稚ではないか。
さて、今の日本国において、TPP交渉に参加するか、どうするかが、まさに政府の中では二分して議論されている。
この議論自体が、江戸末期の状態と同一視できるかどうか。そんな単純な構造ではないのかもしれない。ただ、この国は大きく変わらなければならないことだけは確かではないか。
その意味では、長い鎖国状態にあった江戸末期と同じとも言える。
では、どう変わるか?
こうした国家ビジョンを今の政治家に求めても、所詮無理であろう。ましてや、そうした政治家を選び、かつ、いつしかハングリー精神を失ってしまったかに見えるわれわれ国民レベルでは、こんな大きなビジョンを描き切ることは不可能であろう。
温泉気分のわれわれが目覚めるのは、再度、黒船ショックを受けるしかないのではないか。
TPPでも、なんでも、大きな世界の流れに任せ、すべてを一旦受け入れる。そして、その結果に必死で対処する。日本人はそういう時にこそ、力を発揮できる人種である。
そんな開き直りの戦略しか、今のこの国への効果的な処方箋はないのではないか。特に、最近そう確信している。