再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

リーダーの資質とは?

2011-08-28 11:17:38 | コラム
中国の明代の思想家、呂新吾が遺した「リーダーの資質」という至言がある。

一、 深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは第一等の資質なり。
二、 磊落豪勇(らいらくごうゆう)なるは第二等の資質なり。
三、 聡明才弁(そうめいさいべん)なるは第三等の資質なり。

組織の上に立つ者は、どっしりと構えて物事に動じない人物でなければならなく、これが第一等の資質であるという。

太っ腹で細かいことを気にしない人物は第二の資質。才能豊かで弁の立つ人物は第三等の資質。

たまたま民主党の代表選挙の真っ最中。明日にも代表が決まり、その人物がこの国のリーダーとなる。「なってしまう」というのが正直な気持ち。

こんなに短い時間で国のリーダーを決めてもいいのか。議会制民主主義という間接的制度である以上、衆議院の第一党の党首がこの1億2千万人の住む国のリーダーとなる。

ある意味、ほとんどリーダーとなるための苦労も訓練も経ずして、図らずもリーダーとなってしまう。そんなに安易になってしまうからこそ、その寿命も短いのは、当然かもしれない。

本当にリーダーになりたくて、あるいは、自分こそリーダーになるべきだとの天命を背負って立つ。

残念ながら5人の皆さんは、それぞれに聡明才弁の方ばかり。特に、本命と言われる海江田氏と対抗馬の前原氏は、理路整然と話ができる。

鳩山氏も菅氏も、まったく同じであった。皆、頭は良く、弁舌さわやか。

では、リーダーとしては、どうか。まったく機能しなかった。まさに第三等の人物なのだ。

マスコミも悪い。テレビに出て、それなりにしゃべれないと、コメンテーターから、無責任な厳しい突っ込みを入れられる。その意地悪な質問の答えに窮してしまい、国民から失笑を買う。

リーダーになる者は、余計なことをしゃべるな!と言いたい。

ただ、中身が無くてしゃべれないのではなく、存在そのものがその人の覚悟を語っている。そして、腹の奥から吐く一言が重い。

人から誹謗中傷され、誤解されると、普通はそれらに反論したくなる。徹底的に相手をやり込めたくなる。

ぐっと堪えて、顔で語る。そして、自分の信念は絶対に曲げず、誰がなんと言おうと貫き通す。これは本当に苦しいことだろう。

でも、今こそ、そんな第一等の資質を持ったリーダーが必要な時である。

私もこのように他人のことは、偉そうに言える。果たして自分自身はどうか。第三等にもはるかに及んでいない自分がいる。

ただ、唯一の救いは、これは段階的に成長するものではないということ。今からでも第一等は目指せると信じたい。そして、そのためには今置かれている状況に真正面から向き合い、悪戦苦闘する日々を送る以外に、決して第一等への到達はないだろう。



世界を知る力~日本創生論~ 寺島実郎著

2011-08-20 10:46:05 | 読書感想
久しぶりに読書感想を書きたくなった。

寺島氏の「世界を知る力」は、2010年1月にその第一弾が発刊された。それはそれで氏の幅広い知見と見識を示す良書であったが、今回はそのシリーズの第二弾であり、3.11の出来事を契機として発行されたものである。

あらためて氏の構想力の大きさと論理立てた主張には、敬服するばかりである。

以下に本書の序文より引用する。

人間は、日本が今直面しているような苦難な状況に置かれると、根拠のない楽観と悲観の狭間に揺れ動きがちになる。

震災後にやたらにテレビCMで流れた「日本は強い国」「ガンバレ日本」のメッセージのごとく、意味もない激励と鼓舞のなかで陶酔し、結束と団結を訴える空気が醸成される一方で、「日本は終わった」「これまでの社会のあり方全体を反省すべし」といった全否定の空気が交錯することになる。

根拠のない楽観と悲観は「思考停止」という意味において共通している。

今、日本人に問われているのは、「根拠のない自己過信」や「無原則な一億総懺悔」ではなく、筋道立った思考の再起動である。

うんー、実にするどい言説ではないか。

これまでもやもやしていた自分自身の頭をガッーンと一発やられたような、ある種爽やかさも感じる洞察ではないか。

さらに第四章の「日本再生の目指すべき方向性:真の復興構想とは何か」も、すばらしい着眼と発想だと思う。

それに続く第五章の「新しい国家エネルギー戦略の考え方」は、基本的に私の考えと同じであり、激励を受けたように感じた。

その中でも、原子力エネルギーについては、副次的と位置付けながらも、真正面から向き合っていくべきとのこと。

私も世界全体の状況から俯瞰した場合、日本人こそが、原子力から逃げるのではなく、先頭に立って取り組んでいくべき問題であると思っている。

ただし、氏の指摘するように、今のような閉鎖的・独善的な体制ではなく、もっと開かれ、かつ国家の責任が明確な形での推進が必要となることは言うまでもない。

そして、再生可能エネルギーの推進も合わせて強化すべきであり、さらには、その前提として一層の需要抑制・省エネルギーがなければならない。

資源のまったくない日本のような国に住む日本人こそが、自然の脅威と悲惨な光景に立ちつくし自らの思考を停止することなく、真のエネルギーのベストミックスの達成に向けた新しいエネルギービジョンと戦略を立案すべきである。そして、その実現に向けて極度の楽観にも悲観にも陥ることなく、腹を据え覚悟を決めて、日々悩み苦しみつつ各自の務めを果たして行く。それこそが日本人である私にも課せられた使命なのだ。

そうあらためて気付かせてくれた良書でした。



今日は終戦記念日・夏休み真っ最中

2011-08-15 11:32:06 | チャット
今日は66回目の終戦記念日。もうすでに丸66年も経過し、戦争を実体験として記憶している人も、ますます少なくなってきた。

かの戦争の犠牲になった人は、約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)だそうである。実に凄まじい惨禍ではないか。

今年は3月11日の東日本大震災も経験した。これも戦後初めて自然災害で1万人以上が命を落とした大惨禍である。警察庁は2011年8月13日現在、死者は15,696人、重軽傷者は5,715人、警察に届出があった行方不明者は4,666人であると発表している。

さらに大震災に起因した原発事故も、まだ予断を許さない状況であり、多数の方々が避難生活と不安な日々を強いられている。

そんな中ではあるものの、先週から1週間の夏休みをいただき、いつものように実家に帰省し、いつものように先祖の墓参りを済ませてきた。両親、兄弟、子供達は、いつものように全員、といっても9人と少数であるが、勢ぞろいすることができた。

今年のお盆は、いつものように過ごせない人が大勢いるであろうと思うと心が痛むが、家族一同がいつものように過ごせたことは、実にありがたいことである。

これからの少なくとも数年間は、足元をしっかりと固めつつ、未来に目を向け、未来を信じて必死に歩むしかない。

それこそが、今を生かされている者の責務であり、使命なのだと思う。

そう「必死」でなければならない。なぜなら、われわれ生物は、皆平等にいつか「必ず死ぬ」のだから。



政府のエネルギー・環境会議の行方は?

2011-08-07 05:36:41 | コラム
「福島原発の事故の反省を踏まえて、エネルギー・環境戦略を再構築する。」

こう始まる政府主催の「エネルギー・環境会議」の中間報告が7月29日に発表された。

そもそもこの会議とは?以下に政府の発表文章を記す。

「革新的エネルギー・環境戦略を検討するに当たり、新成長戦略実現会議の下に分科会として、国家戦略担当大臣を議長とし、関係閣僚の参加する「エネルギー・環境会議」を開催する。そして、エネルギー・環境会議において、関係府省を束ね、政府部内の効果的な意思決定を図る。」

この中間報告(「中間的な整理」と表現されているが)の構成と中身は、課題認識、戦略の視座、戦略の基本理念と続き、6つの重要課題の論点整理、戦略実現に向けたスケジュールとなっている。

6つの重要課題とは、①省エネルギー、②再生可能エネルギー、③資料・燃料、④原子力、⑤電力システム、⑥エネルギー・環境産業となっている。

また、今後の電源構成を考える上で、上記とは別に発電コストを再検証・再試算する委員会「コスト等試算・検証委員会(仮称)」を設置することとなっている。

以上の政府の発表を私なりに総括すると、本当にこの通りに検討が進み、それぞれのテーマに一定の方法性が出され、それらが個別の具体的な政策としてまとめられ、今の制度を変革するための法制化がなされるのであれば、実にすばらしいことだと感じた。

本来なら、大震災や原発事故などがなかったとしても、この種の正論的かつ真っ当な議論がなされるべきであったとも思う。20年近くこの分野で戦ってきた一兵士としては、またしても外圧でしか動かないこの国の在り様を嘆くと共に、その状況を許容してきた自らのふがいなさで忸怩たる想いでもある。

一方、首相の退陣3条件などと、低レベルなことで政策の可否を議論している今の政府の在り様にも、ほとほと愛想が尽きており、さまざまな会議の報告書は形式は美しく勇ましい文言だけが踊っているだけで、こんなていたらくな政府に中間報告のような大改革はできないだろうという予想もできる。

近々、総理もその他の大臣も総入れ替えになるであろうが、果たして、この中間報告の継続性は担保されるのであろうか。容易に予想されるのは、守旧派による巧妙な骨抜き戦略が実行されることであろう。

そのぐらいもしこの戦略が実現されれば、既得権益を失い、痛みを感じ、血を流す者が多く出ることになる。だからこそ、政治的なリーダーシップが重要になるが、またしても大いなる失望感を味わうこととなるであろう。

これが政権交代後の2年間から得た私の経験知でもある。

ではどうすればいいのか。

少なくとも国家的なテーマとして、今まで封印されていた重要な論点が提示されたことだけは、評価できるのであり、後は、私たちのようなエネルギー・環境ビジネスの直接の利害関係者が一つ一つ地道にその実現に向け戦っていくことしかないのではないか。

その道のりは果てしなく遠くも感じるが、もう国や公共に頼るのは止めたい。自分達のことは自分達で守り、そして戦い、そうした小さな行動を草の根的に広げ、世の中を今より少しでも良きものとする。

このことが今の自分にできることであり、できることをやり続けるしかない。中間報告を見て、その覚悟を新たにしている。