再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

“じんざい”の類型化とは?

2012-07-28 09:30:50 | コラム
先日、某雑誌でとてもユニークな会社を見つけ、思わずそこで販売しているポスターを注文してしまった(http://www.motivation-up.co.jp/poster/poster4_u.html)。

今、その購入したポスターの一つは、執務室内の良く目につく場所に貼ってある。

いわゆる“じんざい(人材)”を4つの類型に分け、さてあなたはどの「じんざい」?とポスターは、問い掛けている。

① 人財 ⇒ 自分で考えて自分で成果を上げられる人
② 人材 ⇒ 言われたことなら、自分でやりきれる人
③ 人在 ⇒ 言われたことを言われた通りにやるだけの人
④ 人罪 ⇒ 言われたこともできないのに不満が多い人

そして、以下のように続く、

① が、会社が求めている、良い「じんざい」
② が、会社が求めている、ふつうの「じんざい」
③ が、不況になると辞めてほしい「じんざい」
④ が、できるだけ早く辞めてほしい「じんざい」

さあ、貴方・貴女は?というのが、このポスターの問い掛け。

最初のうちは、果たして自分はどこだろうか、若い頃はどこだったろうか、などとなんとなく眺めながら漠然と考えていたが、ある時、ふっとこんなふうに感じた。

「どの『じんざい』にも、身に覚えがあるなあ」と。

そして、こんな疑問が湧いてきた。

「人間はそれほど単純なのだろうか。そもそもこの4つの類型のどれかに簡単に当てはまるものだとうか」「一旦当てはまったら、そこで固定するものだろうか」と。

どんなスーパービジネスパーソンであっても、すべての場面や立場において、常にここで言うような「人財」足りうるのだろうか。つまり、いつも自分で考えて自分で成果を上げられるのだろうか、と。

また、どんな人であっても、常に「人罪」でありうるのか。誰にでも顧客や上司に言われた通りにできないこともある。彼らからの要求が理不尽な場合もあろう。また、そんな時は、ついつい愚痴や文句が口をついて出てしまうのではないか。誰にでも、そのような経験はないだろうか。

少なくとも自分自身を冷静に省みた時、4つの類型すべてに思い当たる節がある。

確かに自分の考え通りに進めて、運良く成果を出せた時もある。時に言われたことを自分だけの力でやり通したこともある。またある時は、この仕事は言われた通りにやるだけと割り切ったこともある。

そして、酒を呑みながらぐだぐた愚痴をこぼしたことも決してなくはない。いや、むしろ多い方かもしれない。

人は日々、そして仕事の内容やその時々の立場次第で、この4つの類型を行ったり来たり揺れ動くもの。これこそが人間そのものではないだろうか。

あなたはどこに当てはまるのか?と他人に問う前に、過去の自分は、昨日の自分は、今の自分は、今日の自分は、明日の自分は、未来の自分は、どこにいるか?どこにいたいか?

常に冷静に自分の心の置き所を見つめつつ、可能であれば左上の「人財」を目指し続ける。でも、これはそれほど簡単なことではないかもしれない。また、それほど難しく考えることはないかもしれない。

そもそも人生とは、人間とは、自分とはそんなものよと、割り切ることも必要だ。

そして、日々の人生を生きる心の羅針盤として、このポスターは役立つのではないか。そんなことを感じた。

今、僕はどこにいるか?そして、これからの僕はどこにいたいか?と。



器を大きくするためには?

2012-07-21 09:52:32 | チャット
人の大きさは何で決まるのか?

「器」「器量」という言葉が、人間力の大きさの尺度であると言われる。

単純に考えても、何をやるにも「器」は大きい方が良い。どんなことでも一旦受け止めることができる。

では、それをどうすれば自分の「器」をもっと大きくできるのか?

この問いに、要は怒らず機嫌良く過ごすことだと言う人がいる。

いつも自分の機嫌を自分で取る。絶対に人には自分の機嫌を取らせないし、人の機嫌を取ったりもしない。常時、自分自身の心を自分自身の力で制御することが大切だと説く。

そして、こうした地道な努力を日々続けていると、誰でも「器」は知らず知らず大きくなっていくそうな。

確かに「怒る」時は、自分の「我」が先に立っていることが多い。

例えば、部下に思わず怒りをぶつけた時など、後から考えると自分が自分自身のストレスを発散したかっただけに過ぎなかったのではないかと自省することも多々ある。

まずは自分の「我」をなくし、いかなることにも「怒らない」ようにする。

これならそんなに難しくないようにも思うが、そうでもないだろうか。かえってストレスが溜まってしまうだろうか。

今週はまだ一度も怒っていない。来週も続けていこうと思う。

その結果と効果は、まだまだ先のことであろうが。



ベストを尽くす!

2012-07-14 08:07:21 | チャット
今週は、ある部下のメールで、久々に新鮮で爽やかで、かつ覚悟のある言葉を聞いた。

「ベストを尽くします!」

日々のさまざまな業務に謀殺されつつ、毎日のように新しいアサインメントが与えられる。頭の中は、やらなければならないことで一杯になり、なにから手をつければ良いか、どうまとめれば良いのか。そして、時間だけは刻々と過ぎていく。

結果を出さねばならない、できるだけ良い結果を出したいなどと焦れば焦るほど、なかなか手が進まない。

そんな悩みとプレッシャーを感じながら日々の仕事をしているのであろうし、そんな状況下ではつい愚痴も文句もいいたくなるであろう。

そんな時の処方箋は、少しだけ自分自身とやるべきことを俯瞰的に、冷静に離れて見てみることだ。やるべきことを紙に書き出すのも心を落ち着ける有効な手段である。

また、誰かに相談するのもいいだろう。ただ相談する場合の基本的な姿勢は、あくまで自分自身の問題として真正面から捉えていることが前提となる。

相談を受けた側も、このような真摯な相談には、決して逃げたりごまかしたりすることなく、真正面から真剣勝負で答えるべきである。その相談者が誰であろうと、それが相談を受けた側の礼儀である。

ましてや、相談者が部下の場合は、一緒になってその悩みや課題に共感できることが望ましい。

時として、その相談の場はあまり和やかなものではないかもしれない。相当厳しいやりとりがあるかもしれない。

それでも、上司たるもの部下の成長を心から願いつつ、あえて厳しい言葉を投げつけねばならない時もある。

一方、厳しい言葉を投げかけられた方は、悔しくムカつく思いもしたであろうが、自席に戻って冷静に考え、思い直したのであろう。

上司への相談の御礼として、その言葉を発した時の心の姿勢を得た瞬間こそ、たとえ小さくても成長の階段を確実に一歩上ってくれた。

「ベストを尽くす」

私自身も苦しく辛い時こそ、この言葉を思い出し、自らを鼓舞していこう。

実に心を奮い立たせる気持ちのよいフレーズではないか。



マネジメントとは?

2012-07-07 09:35:43 | チャット
今週は、あらためて「マネジメントとは何か?」を考えさせられた1週間であった。

上司が部下にある仕事を依頼する。部下はその依頼に基づいて仕事を進めていく。上司はその部下の仕事ぶりを眺めつつ、時として報告・連絡を受け、進捗確認を行いながら、適宜アドバイスなども行う。そして、部下が期待通りの仕事を予定通りのスケジュール内で終えてくれる。

要はこれだけの単純なプロセスの繰り返しに過ぎないのであるが、そこにはそれだけでは終わらない、また語り得ない深いものがある。

まずは、上司も部下も一人の人間であり、それぞれに個性と能力を持ち合わせている。

素直な性格の人もいれば、負けん気の強い人もいれば、ちょっとひねくれた人もいれば、と実に人の個性はまったくばらばらである。

また、個人の能力においても、これまたピンキリ。極めて有能な人もいれば、まだまだ修行中という人もいる。

そして、この能力に関しては、必ずしも上司と部下の上下関係通りに能力差がない場合も多々あるのではないか。

ちなみに、この場合の能力というのは、必ずしも仕事上の経験値に基づく能力だけではなく、ある意味全人格的な「人間力」と言った方が適切かもしれない。

いずれにしても人が人を使う。そこにマネジメントの必要性が生じる。このことは、突き詰めると極めて深く難しいことであり、通常、使う人は使われる人の数倍の人間力があってこそ、初めてこの関係がスムーズにいくものである。

ただ世の中の大半の上司と部下の関係を見ていると、理想的なものはほとんどないと言っても過言ではないだろう。

つまり、上司と部下の仕事の能力も含めた人間力の差において、大きな差がない場合がほとんどではないか。時には、逆の場合もある。この逆転現象は、大企業などには良く起こりうるパターンである。

この歴然たる事実に対して、上司側・使う側の人間がどこまで自分自身を謙虚かつ冷静に見つめられるか。その正しい自己認識の上で、部下との円滑なコミュニケーションを図って仕事を進めていけるのか。

そして、上司としての最大の役割と任務は何かと言えば、私は、「仕事を通じて部下の成長をどこまで支えることができるか」であると思っている。

部下が期待通り、またそれ以上に成長してくれることこそ、同時に上司自身もより一段と成長を獲得できることとなるのである。

マネジメントとは、人間成長の有効な手段であり、プロセスそのものである。