ラトビア出張の予定スケジュールをすべて終え、これから帰国の途につく土曜日の朝であるが、ラトビア報告は後日として、今週は「産業競争力部会」の開始についてコメントしたい。
経済産業省は、本年2月より産業構造審議会の下に、新たに「産業競争力部会」を設置し、今日の日本経済および産業の行き詰まりや深刻さを踏まえ、「今後、日本は、何で稼ぎ、雇用していくのか」というテーマを検討するようだ。
その第一回部会にて配布された資料の中で、経産省が提示した「日本の産業を巡る現状と課題」と題したパワーポイント資料が目を引いた。
その中で、日本経済の行き詰まりの証左として、いくつかのショッキングな数値が提示された。例えば、一人当たりのGDPランキング(2000年:3位 ⇒ 2008年:23位)、世界GDPに占めるシェア(1990年:14.3% ⇒ 2008年:8.9%)、国際競争力順位(1990年:1位 ⇒ 2008年:22位)などなど。
さらに、この行き詰まりは、決して一過性ではなく、3つの構造的問題があるとする。
1.産業構造全体の問題
2.企業のビジネスモデルの問題
3.企業を取り巻くビジネスインフラの問題
これらの問題に対して、対処療法ではないソリューションを検討し、「今後、日本は、何で稼ぎ、雇用していくのか」。 その方向性を出すとしている。
確かに海外に出てみると、どこへ行っても日本の地位低下を実感することが多い。日本社会全体はなんとなく元気がないものの、とは言っても、国民の間にそれほど切羽詰まった危機感もない。なんとなく弛緩した状態とでもいうべきか。
中国をはじめアジアは元気一杯であり、欧米は相変わらずの自己主張的マイペースを堅持している。
この日本の状況に、なんとかしなくてはいけない、このままではいけないという焦燥感は、私自身も多少ながらも感じつつも、同時に日々の生活に追われ、なにもできないでいる。
こうした中で、本部会ではわが国有数の有識者による議論が始まったわけで、これはこれで大変興味深く、その結果にも大いに期待したい。
しかし、経産省の資料に何度も目を通していると、どこか言われのない違和感もある。それが何か、ラトビア出張中ずっと考えていた。
ぼんやりではあるが、ひょっとしたら幕末の日本では、徳川が、会津が、薩摩が、長州が、と自分たちの領国のことだけを主張していた時代があったが、それに似た感じかもしれない。
それは、日本が、韓国が、米国が、EUが、中国が、それぞれが自国の利益と生き残りだけを主張し合うパラダイムと類似ではないのか。
いずれにしても、少子高齢化が急速に進んでいる日本は、人口も減少していくので、経済的な地位は低下するに決まっている。むしろ、日本のような小国こそが、「地球」という視座で物事を考えるべきことの重要性と必要性を世界に訴えて続けていくべきではないのか。
せっかく有識者が集まる会であるので、自国の経済や雇用も確かに大切ではあるものの、それらのもう一段高い見地から、日本の役割や日本の将来像のような夢の持てるビジョンを打ち出してもらいたいものだ。
そのような将来に向けた大きなビジョンの下に、日本人はもう一度奮起しなくてはならないことは確かである。今、弛緩している時ではない。
しかし、それは自国の地位低下に対する危機感から発せられるようなものではなく、地球益全体を考えた「健全なる危機感」から湧き出るエネルギーでなくてはならないのではないか。
帰国前のラトビアのホテルより