20年前というと、まだ20世紀、1994年です。
そのころ自分は、どこでなにをしていただろう。
誰しもこの間の月日の流れをさまざまな想いを持って振り返ったのではないでしょうか。
ついこの間のような気もするし、はるか昔のことのような。
その曖昧な記憶を辿りながら、あらためて20年という時の流れを噛みしめる。
今の自分は、これまでの20年の結果であり、これからの20年に向けた出発点となるのだ。
あたり一面の白銀の世界が、今を精一杯生きることの大切さをあらためて教えてくれたような気がしています。
動・燃・律・責・信
私のビジネスマンの理想像は、この5つの言葉で表せる。
「自ら動く」ことのできる人。自らの役割とミッション、そして能力を知り、自発的に行動に移すことができること。
「自ら燃える」ことのできる人。周りからの刺激ではなく、自らの意志の力で、自分の心に火をつけることができること。
「自らを律する」ことのできる人。自分自身に厳しく、雑踏の中にあっても動じることなく前に進むことができること。
「自らの責任を問う」ことのできる人。現実のいかなる出来事に対しても、自ら正対してことに当たることができること。
「自らを信じる」ことのできる人。いかなる困難に遭遇しても、自らの信じるところを貫き通すことができること。
しかしながら現実は、周りが動き出すのを見ていないか(他動)、時に周りの刺激に依存していないか(他燃)、気付いたら自分自身に甘くなっていないか(他律)、社会環境や他人のせいにしていないか(他責)、ちょっとしたことに自信を失い心が揺らいでいないか(他信)。
私もそろそろ50歳半ばになろうとしているのに、まだまだ不惑の心境には程遠いかもしれない。
これは気持ちが“若い”ことの証左であろうか、それとも単なる未熟故か。
まだ山の頂は遠くて一瞥もできないが、今は一歩でも先に登りつづけるしかない。
FESCOの現状と今後の展望(最終回)
FESCOは、2005年3月4日に東京証券取引所マザーズ市場に上場した。
2005年は、2月に京都議定書が発効し、4月からは愛知県瀬戸市郊外での「愛・地球博」が開催された記念すべき環境の年でもある。
そのお陰もあってか、FESCO株は人気を博し、公募価格が1株あたり75万円のところ、初値が250万円とヒートアップした。その後もしばらくの間300万円を越える水準を維持していた。
しかし、2005年6月期(第9期)の決算発表前後から、落ち着きを取り戻し始めた。その時の決算内容は、なんとか事前発表通りの水準を維持したものの、株主のさらなる急速な成長期待を裏切ったのだろう。
その後、第10期の中間点である2006年1月から岩国ウッドパワーが運転開始し、2月からは関西地区での電力小売を開始した。しかし、開業早々にも岩国発電所の設備不調が頻発し、ウッドパワー事業のみならず、電力小売事業にも悪影響を与え、ダブルパンチで業績を悪化させることになった。
また、悪いことは重なるもので、従来からFESCOの基盤事業であったオンサイト事業のうち、2ヶ所のコージェネシステムにおいて極めて重大な設備故障が発生し、こちらも業績の悪化に拍車を掛けることとなった。
そうしたFESCOにとっては創業来の危機的な出来事の連続によって、2006年6月期(第10期)決算では、売上高こそ70億円弱と予定通りであったものの、利益ベースでは、経常損失が11億円超、最終損失が20億円超という最悪の決算となった。
この年の9月に行った株主総会は、私にとってそれまでの人生でも最大の苦しい時だったと、まだはっきりと記憶に留めている。その場では、必死になって次期の2007年6月期(第11期)には、必ずV字回復してみせると決意を述べた。
その後、売上の積み上げだけは、ほぼ予定通りに進んだものの、肝心の収益が予定通り回復せず、そうした一連の業績不振の経営責任を明確にする意味でも、2007年5月にFESCO社長を退任することになった。奇しくも創業から丸10年という節目の時であり、創業記念を祝う会を催して、それまでの10年間でいろいろとお世話になった方々への感謝の場にしたいと密かに考えていたが、残念ながらその願いは叶わなかった。
現在は、新経営陣の下に、FESCO事業の全体像の見直しが始まっており、早期の収益回復と再び成長軌道へ回帰し、株主への期待にも応えることを切に願っている。
そのためにファウンダー(創業者)として、微力ながらもFESCOの明るい未来の支えとなっていきたい。
クチコミblogランキング TREview昨日、環境・エネルギーをテーマとして、「賢人会議」というセミナーに出席した(http://premium.nikkeibp.co.jp/em/report/08a/index.shtml)。有楽町のよみうりホールがほぼ満員という盛況ぶり。先日のG8ドイツサミットおよび来年の洞爺湖サミットにかけて、このテーマに再び注目が集まっているのだろう。
その講演の中で、「2050年までにCO2排出量の半減」を中心とした日本の主張が、欧州マスコミでは、あまり注目されていなかったという話があった。
安倍首相のスピーチや記者会見内容なども、ほとんど取り上げられていなかったそうだ。その後、官邸のHPでも、あまり情報発信がなされていないようである。
やはり、言語の壁は大きいのだろうか。私も環境やエネルギー問題のブログを立上げながら、日本語でしか自分の思うところを十分に主張できないことに、限界を感じることもある。
温暖化防止問題では、日本がリーダーシップを取るべきという意気込みはよいものの、やはりそのためには、自らの意見や主張を世界に向けて、常に発信する努力が必要だろう。同時に、世界の主張を読み取る努力もしなければいけないが、正直言って、英語版の論文や情報を敬遠しがちだ。
なにか非常にプリミティブな次元での限界を感じているのは私だけでしょうか?
ただ環境・エネルギー問題で、日本の持つ知見や経験は、絶対に世界に展開していくべきものだという確信もあるが。
その意味で、日本を「課題先進国」と位置づけられた小宮山東大総長のお話には、大いに賛同したい。