再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

日本のエネルギー政策を考える(13):どうする再生可能エネルギー#4・政策論2

2011-06-25 10:02:55 | 日本のエネルギー政策を考える!

「私の顔を見たくなかったら、この法律を早く通せ!」

時の総理大臣がある民間人との会合で述べた言葉であるが、ここで対象となる法律とは、正式名称が「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法」というもの。

再生可能エネルギーで発電した電気を電力会社に一定価格で長期的に買取を義務付けるものであり、通称「再生可能エネルギーの全量買取制度」とも言う。

前回詳述したRPS法との違いは、大枠で以下の2点である。

     買取価格と期間が固定されること

     そのためのコスト負担を電力会社は電気料金に上乗せできること

もし、現総理大臣の退陣とのバーター取引として、この法律が成立したとすると、折角の再生可能エネルギーの普及促進策が、国民の納得と合意の下ではなく、ある意味ゆがんだ形でスタートすることになる。それで本当にいいのだろうかと危惧している。

もちろん、再生可能エネルギーのビジネス展開を企図している企業や事業者としては、そんなことはどうでもいいので、早くなんとかして欲しいというのが本音ではあろうが。

もともと民主党は、地球温暖化対策基本法(未成立)の中で、この全量買取制度を環境税と排出量取引との3大セットの実現をマニフェストに謳っていた。

その目標は、「わが国が温室効果ガス(GHG)を2020年までに1990年比25%削減する」という前首相の国連での力強い宣言を達成することでもあった。

2年ほど前のこの国のリーダーの言葉に、環境・エネルギー分野で仕事をする人間はすべて雀躍したものであるが、その喜びと期待も一気に裏切られた。

実際問題として、再生可能エネルギーを将来のわが国エネルギー源の主力としていくためには、事業者には相当な覚悟と信念、そして決して途中であきらめない粘り強い努力が必要となる。同時に国民には、相当な痛み(経済的な負担や不安定供給)も受容願わねばならないだろう。

今の政治家の中で、今後予想される困難を乗り切る覚悟を持ったリーダーが見当たらないことが、この国の不幸でもある。

「環境では票が取れない」

実はそう政治家達に言わせている私たち国民レベルにこそ、最大の問題があるのだろうが。

結果として、政争の具となってしまったわが国の再生可能エネルギー政策は、果たして今後どうなるのか。

そもそも本質的に分散型電源でもある再生可能エネルギーは、国の政策がどうなろうとも、地域や自治体レベルでの草の根導入促進が今後のポイントになるのではないだろうか。

その意味では、今後、地域のエネルギー政策に注目し、期待していきたい。


日本のエネルギー政策を考える(12):どうする再生可能エネルギー#3・政策論1

2011-06-18 10:27:45 | 日本のエネルギー政策を考える!

わが国の再生可能エネルギーの普及促進策は、1997年の新エネ法(新エネルギー利用等の促進に関する特別措置法)の施行に始まる。ここで新エネルギーと再生可能エネルギーとは、多少その定義範囲が異なるものも含まれているが、ここではほぼ同義として話を進める。

新エネ法の主たる普及策は、初期投資への補助金付与である。太陽光発電や風力発電を導入する初期費用の1/3から1/2程度の補助金を政府が支給することによって、発電コストを抑制し、費用対効果等の経済性を多少なりとも良くしようというもの。

普及が進めば、導入費用も安くなり、しばらくすると補助金も不要となる。というシナリオであったが、ある程度の導入は進んだものの、なかなか急激なコストダウンにはつながらなかった。

そこでさらなる普及促進策として打ち出されたのが、2002年に施行された通称RPS法(電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法)と呼ばれる新法である。

私自身は、この法律の主旨が経済原則の理にかなった普及策であると大いに評価し、いち早くこの法律の活用によるビジネスモデルを世に問うた。それが総額120億円規模の3基のバイオマス発電所であるが、今回はその話には言及しない。

さてこのRPS法の特徴は、電力会社に対して、その電源構成の中において一定割合の新エネルギー比率を義務付けるものである。そして、その比率は中長期的な年度毎の数値目標として法律に明記された。

そして導入数値目標を決められた電力会社には、3つの選択肢が用意された。

第一に、自ら新エネ発電所を建設すること。第二に、第三者の建設した新エネ発電所から電気を購入すること。第三に、これがユニークであるが、第三者が新エネ発電所で発電した電気から生まれる環境価値(これをRPS証書と呼ぶ)を購入すること。このRPS価値は、政府の認定によって質と量が担保されるもの。

電力会社は、それぞれの方法の組合せによって、最も経済的な義務履行をする。新エネ発電事業者は、その電気のみならず、環境価値であるRPS証書を電力会社に売却することができ、それによって投資回収を早めることができる。つまり、新エネ発電ビジネスが今よりも魅力的となる。

ただし、RPS価格はあくまで電力会社との交渉により決まるため、電力会社の年度毎の義務量の達成度によって、その価格が上下する。つまり、義務量を需要とすると、RPSは供給となり、需要と供給によって、このRPS価格が決まる。

RPS法は、ある意味市場原理に則ったおもしろい制度であり、かつ新エネ導入量をあらかじめ政府が決める点にも特徴があり、確実に新エネ普及につながる政策であると、私は今でも評価している。

ただし、このRPS法には大きな欠陥が二つある。第一には、電力会社に義務付けをしながらも、その費用負担を電力会社の経営努力とした点である。つまり、電気料金等への転嫁の議論を避けたことにある。本来であれば、国民負担の仕組みも含むべきではなかったか。そうすれば、電力会社ももっと義務量アップに積極的になれたのではないか。

第二には、本来RPS価値を生み出す新エネ発電所は、新設に限定すべきだと思うが、既設の発電所でも認定を受ければRPSを確保できることとなった点である。例えば、廃棄物発電所などは、その燃料である廃棄物の中に含まれるバイオマス比率分だけ、RPS価値を確保でき、それを電力会社に売却できることとなった。

実際に既設の発電所から、相当量のRPS証書が発生し、結果として新設の新エネ発電所への投資意欲と経済性が削がれることとなった。

こうして2009年夏の民主党への政権交代までは、新エネ補助金とRPS法によって、新エネルギーの普及が進められてきた。それまでの地道な積み上げを一挙にひっくり返したのが、民主党の掲げる環境政策の一環である「固定価格買取制度」である。

実は、その後の2年間は、新エネルギーの補助金もストップし、RPS法も機能せず、新しい制度も決まらず、日本の新エネルギーにとっては、まさに暗黒の時となってしまった。そして、大震災が起こり、まだ、新エネ普及復活の目途すら見えない。

再生可能エネルギー分野においては、今回の政権交代は、まさに「政権後退」となってしまった。このことを民主党は分かっているのだろうか。国民の選択したこととはいえ、本当に不幸なことであり、日々憤りに堪えない。


日本のエネルギー政策を考える(11):どうする再生可能エネルギー#2・技術論2

2011-06-12 10:33:13 | 日本のエネルギー政策を考える!

電力会社の「発送電分離」と「再生可能エネルギーの大量導入」とがどのように関連するのか。この議論は、今まであまり突っ込んで行われてこなかった。

その最大の原因は、どこにあったのか?

どのようなできた人間であっても、現状の自分自身の生活基盤を崩されることには抵抗するであろう。

極めて有能、優秀な人材が集まっている電力会社であっても、その摂理は変わることはない。発送電分離と言えば、電力会社を分割することとなってします。それに電力会社が積極的に議論へ参加するはずがない。

太陽光や風力発電からできる電気は、質が悪いことは前回述べた。そして、電気は発電したら即送電網を通して需要家に供給しなければ、その役割を果たせないことも述べた。

その質の悪い電気を大量に送電線に大量に導入すればどうなるか。これは電力供給の安定性を損なうこととなる。つまり、電圧のブレやひいては突然の停電などが起こってしまう。

このような状況を避け、電気を安定的に供給することが電力会社の第一の使命であり、戦後、日本の電力会社はこの使命を全うしてきた。このためにはたゆまぬ努力が必要だったと思うが、その事実にはまず国民すべては感謝すべきである。

ここで問題なのは質の悪い電気の量である。その量が一定割合であれば、電力会社としても、なんとかマネージできる。日本の電力会社と送電網は優秀・スマートなのである。

では、その割合はどの程度までか?この点になるとなかなか分かりにくい。また、電力会社も明確には示していない。技術的にここまでだったら大丈夫だと、純粋技術的にもなかなか示せないのかもしれない。

では、さらに割合を小さくするためには、もう一つ手があるではないか。割合を計算する分子だけに目を付けるのではなく、分母をもっと大きくすれば、結果として割合は小さくなる。

では、分母を大きくするとは、どういうことか。

東京電力は東京電力が供給義務のある関東地域のみの総需要量を分母として考えている。東北電力も、中部電力も、関西電力もしかり。

その限定されたエリアにおける安定供給を考えると、確かに質の悪い分子の量も小さくなる。もっと分母を大きく考えることができれば、質の悪い電気を送電網に流せる量も増えるはずである。

そのためには、送電線を9の電力会社が別々に管理するのではなく、日本全国一体として、少なくとも東日本と西日本の2ブロック程度で考えられないのか。

そのためには、発電送電の一貫経営をしている電力会社の送電網だけを独立させるというアイデアが生まれる。

すでに世界の電力供給における送電網のあり方からいうと、発電と送電の分離形態の方が主流となっている。

確かに日本の9電力の限定された供給エリアだけをミクロ的に見れば、そこでの送電網は効率的でありスマートであろう。ただし、日本全体で見た場合には、スマートと呼べるのだろうか。それをよりスマートにするには、という議論が今まであまりなされて来なかったのだ。

JRはかつて日本国有鉄道と呼ばれ、全国一律の経営にあった。それを6つの鉄道会社に分割した。分割した方が効率的であることは、その後の歴史が証明している。

では、そもそも9つに分かれている電力会社の方が効率的であり、全国あるいは東西などと統合すれば、かつての国鉄になるのではないか。

ただここでよく考えてもらいたい。国鉄はJRに分割されてから、東京から博多に向かう時、大阪で新幹線の列車を乗り換える必要ができたか。青函や関門トンネルの入口と出口で列車を乗り換える必要ができたか。会社は分割されても、鉄路は一つであり、その点でのわれわれの利便性はまったく損なわれていない。

今の電力網では、東京電力と東北電力を電気が通る時、その経路が一部に限定されており、列車に例えると順番待ちのため数時間待ちという感じ。また、富士川を超える時(50Hz60Hz変換)には、列車自体を乗り換える必要があるのと一緒である。

発送電分離の本質は、電力会社を単純に分断することではなく、JRの乗客に例えられる電気の利便性と融通性を高めることなのだ。そのためには送電網を誰がどう整備していくのか。ヘルツ問題も数十年かけて長期的には乗り越えたい問題ではないか。

この点からの議論と制度改革が、質の悪い電気である再生可能エネルギーの大量導入には、不可欠なのだ。

電力会社には、日本国全体の利益というマクロな視点での発想転換と積極的な議論への参加を期待したい。


日本のエネルギー政策を考える(10):どうする再生可能エネルギー#1・技術論

2011-06-05 11:30:20 | 日本のエネルギー政策を考える!

前回は総論として、現時点における再生可能エネルギー普及の最大のネックであるコスト負担論からスタートしたが、このコスト問題において、必ず出てくるのが、「だったら、大量に普及すればコストは下がる」という単純論理である。

このこと自体はまったく間違っておらず、過去の歴史においても、枚挙に暇がないほど同種の事例を挙げることができる。

直近では、コンピュータや薄型テレビなどであろうか。世界的な普及拡大で、おそろしい速度でコストが下がった。まだまだ、これからも下がる余地はあろうし、かつ安くなりつつ、性能が向上するところが驚きでもある。

一方、再生可能エネルギーはどうか。太陽光パネルや風力発電も、同様だという期待は一面では正しいが、どうしてもそこには電気供給という特殊問題が立ちはだかる。

電気は生産即消費、つまり在庫を持てない。この厳然たる事実をどう乗り越えるか、この点が他のコストダウン経験と異なるところである。

さらに、電気には質の問題も絡んでくる。電気は色も匂いもなく、もちろん目に見えないが、確かに質の違いはある。電気の質とは何か。

例えば、太陽光や風力発電による電気は、天気任せであり、風任せ。夜間の太陽光発電はゼロ。無風時の風力発電はゼロ。逆に台風時は風車が破壊されるので、発電量をゼロにする。

つまり、欲しい時に欲しい量がすぐに手に入らない。発電量も天気によって変動が激しく、需給調整を乱す。これが低質の電気と言われる所以である。

では、こうした低い品質の電気をどのように送電線に流し、最終需要家まで届けるか。

だからこそ電力会社は、安定的な電気供給を維持するためには、低質な電気の大量導入は避けたいと主張する。技術的に系統安定化を図るためには、一定割合以上は受入できないと言ってきた。つまりコストダウンを促すための大量導入戦略の抵抗勢力は、この電力会社による技術論に行きつく。この送配電の専門家である電力会社に、技術論で戦える人はまずいない。

だから、電力会社が駄目ならしかたがないねとなる。それ以上の知恵も発想もストップする。

例えば、需要家側に蓄電池を設置し、ある程度きまぐれな電気をきれいに整えれば、安定化は可能となるが、そのためには蓄電池のコストが明らかに増加する。また、蓄電池は電気のロスを発生させるため、100蓄電しても、70から80程度しか使うことができない。決して省エネにならない。

では蓄電がまだ駄目なら、送電網を強化すればという議論には、やはりそのコスト負担が不明瞭なままでは電力会社を説得できない。電力会社も株主による民間企業なのだから、利益を生まない無駄な投資などはできるはずがない。

だから苦肉の策として、需要側のスマート化(能動的需給管理)を推進することが必要だとなる。これをスマートグリッドと呼び、政府も民間もそこに大きなビジネスポテンシャルを期待している。電力会社は、皆で安定供給を考えてくれるのならと重い腰を上げる。上げたふりをしているだけといううがった見方もないことはない。

ここまでは2011311日午前中までのお話。

ここで今回の大震災。この不幸な出来事を機として、実はパンドラの箱は開けられつつあるのだ。

つまり、上記まで記してきたある意味常識的な見解は、ある大きな前提に立っていたのであり、その前提を覆すという大変革論には、誰も真正面から主張もできなし、議論すらできない状況があった。

これこそがわが国の再生可能エネルギーも含めたエネルギー政策上の大きな壁・障害であった。

日本と言う米国の一つの州であるカリフォルニア州程度の広さの国に、9の電力会社がそれぞれの地域を分担して存在している。

この9電力体制そのものがすべての前提条件として、暗黙的に認知されていたことは、実はあまり意識されていない。そのことが何を意味しているかも、なかなかエネルギーの専門家以外には見えない。専門家の中には、意識的に避けてきたい人も多々いる。

2000年代初頭に少しだけそうした議論が起こりかけたが、さまざまな力学によってたちまちしぼんでしまった。

発送電分離。この言葉と再生可能エネルギーの大量導入とがどう関連するか。

この点を明確に分かりやすく、偏見を持たず、しがらみもなく、長期的な日本の国益に沿って主張し、その主張を実行に移せる人がどれほど存在するか。

やっと志ある専門家がさまざまな呪縛から逃れて、本当の意味で国民的な議論ができるようになるかもしれない。

この点は震災という極めて大きな不幸の中での、数少ない光の一つとなることを今は心から祈っている。また、その議論の末席に位置する者として、新しい国づくりへの協力をしていきたいとも思っている。