再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

日本のエネルギー政策を考える(6):どうする化石燃料#1・石炭

2011-05-08 10:13:10 | 日本のエネルギー政策を考える!

今回から数回にわたり、化石燃料に関するエネルギー政策のあり方、今後どうなるか等について考える。

化石燃料は、主に石炭、石油、天然ガスの3つである。最近では、メタンハイドレートやシェールガスなど、新しい種類の化石燃料の利用も検討が始まっている。

いずれにせよ、化石燃料を燃やすと二酸化炭素(CO2)、窒素酸化物(NOx)、硫黄酸化物(SOx)等、地球温暖化や大気汚染による酸性雨などの環境問題を引き起こす要因となっている。しかしながら、産業革命後に石炭から利用が始まり、19世紀後半からは石油が台頭し、その後、20世紀半ばになり天然ガスも使われるようになってきたが、現在の人類全体の社会経済全体を大きく支えていることも事実であるので、そうやすやすとは化石燃料を使わないという判断もできない。

まずは石炭の現状はどうか。私も古くは中学高校生時代に、SL(蒸気機関車)の熱烈なファンであったが、石炭と言うともう時代遅れの燃料というイメージがある。かつ、あまりクリーンなイメージもなく、むしろ黒煙モクモクというような汚いイメージが一般的かもしれない。

確かに運輸部門や一般家庭での燃料としての石炭の役割はとうに終えているが、産業部門、特に発電においては、まだまだ大きな役割を担っている。

石炭火力発電は世界全体でみると大きな比重があり、すべての電源構成の約40%程度となっている。特に、中国などは石炭換算によって、国の総エネルギー使用量を表示しているぐらい、その大半を石炭火力で賄っている(日本は石油換算)。

日本においては、1975年度には石炭火力は全発電量の4%程度であったものが、2005年には約3,600kW(自家発電を除く)と全発電量の約21%となった。つまり、わが国においては20世紀後半から石炭火力は急速に増加している。

では、石炭火力の最大の問題は何かと言うと、CO2の排出係数が他の化石燃料(976g/kWh)と比較して、最も高いこと。天然ガス火力(519g/kWh)の2倍近い。

だからと言って石炭は悪者かというと、必ずしもそう単純ではなく、経済面や供給安定性を考えると日本のエネルギー政策上も重要視すべきである。

最新の石炭火力では、SOxNOxはしっかりと処理されており、ほとんど煙もでない。また、発電効率も40%以上と高い。

さらに高効率化するために、石炭をガス化して発電するという石炭ガス化複合発電(IGCC)の開発も進んでいる。これだと発電効率を50%近くにできる。

問題はCO2であるが、これもCCSCarbon Capture & Storage)などCO2分離回収・貯留技術が開発されつつある。

CCS技術は、徐々に世界各地に広がっており、北米や欧州、北アフリカで5つの大規模なプロジェクトが進んでいるが、まだ技術的に未成熟な部分もあり、その確実性が議論を呼んではいる。

いずれにしても、今後2030年程度のスパンで見たとき、石炭を地球環境に配慮しつつうまく活用していくことが必要であり、特に、資源のないわが国のエネルギー政策上は、絶対に欠かせない視点である。


日本のエネルギー政策を考える(5):どうする原子力#3

2011-04-30 09:35:36 | 日本のエネルギー政策を考える!

私が社会人となった1981年(昭和56)前後は、原子力工学が最も華やかだったころであった。

私が新卒社員として入社した建設会社でも、その年に原子力本部が新設され、多数の優秀な技術者が採用された。そして、その新設組織のトップは、一流大学から招いた方を副社長として充てた。

資源のない日本国にとって、原子力エネルギーに頼ることが経済成長の鍵となる。そのようなある意味で明確な国家戦略の下に、日本の原子力政策は着実に進められ、その政策を現場で担うエンジニアにも、優秀で気概に満ちた人材が多かった。

その後、1986年のチェルノブイリ原発での事故や国内でも東海村、JCOでの相次ぐ事故などの現実を通じて、原子力の安全性に疑問が生じ始め、原子力ブームは急速にその推進力を失っていった。

そうなると大学や企業でも原子力なにがしと銘打った学科や部署も、次第に姿を消すこととなり、その結果として優秀な人材循環も止まってしまった。

ただここ数年間は、地球温暖化対策の切り札として、温室効果ガス削減に資するのはやはり原子力しかないということに、世界のエネルギー政策が一斉に舵を切った。

日本でも同様で、そもそも原発反対派が多かったはずの民主党政権となっても、その政権下でエネルギー基本計画が改定され、2030年までに新設原発14基という計画が打ち出されたばかりである。

そのような大きな潮流の中で起こった今回の福島原発の大惨事。

その記者会見をする政府、国(原子力保安院)、東電、大学教授など、さまざまな原子力関係者の対応や話しぶりを見るにつけ、私のような原子力の素人にもはっきりと分かったことは、この国には本当の意味での原子力発電事業・ビジネスというものを全体的・包括的に理解し把握している人材(管理者も技術者)が不在だということである。

特に技術的な面ではその欠落が顕著である。つまり、現場のことも含めた全体プロセスが本当に理解できている優秀な技術者がいないということだ。だから、今何が起こっているのか、これから何が起こりうるのかなど、明確にかつ分かりやすく説明できる人がいない。

しかしながら、われれれが今直面している問題は、まだ国内では50基あまり、世界にも400基近くの原発が稼働しており、われわれの生活を大きく支えているという現実である。

本来なら、今回のような事故を契機として、もう一度原子力工学の再構築と進化が期待されるところであるが、果たしてその分野に技術者生命を捧げて飛び込もうという若者が今後どのくらい出てくるであろうか。

残念ながら人材不足はさらに加速するのではないだろうか。

このことが今後の原発の安全にも大きく影響してくるであろうし、最大のリスク要因となる。

工学・エンジニアリングという分野は、あくまで現場、現実との戦いである。そして、そこに絶対はない。試行錯誤(トライ&エラー)という言葉こそ、工学の進歩には欠かせない概念である。

つまり、失敗が次なる成功、成長、進化につながる。それがエンジニアリングの本質である。

その点から言うと、原子力発電はあまりに失敗の代償が大きすぎる。ある意味大きなエラーが絶対に許されない。

そこに原子力エンジニアリングの抱える大きな課題があり、ただし現実問題として、その点を避けて通ることもできない。

誰かがこの問題に真正面から取り組むしかない。それが誰なのか、誰であるべきなのか。やはり現時点では、国と政治、それに心ある原子力関係の技術者なのか。

こうした点においても、オープンな場での国民的な議論に基づいた方針決定が急がれる。もうそんなに時間はない。


日本のエネルギー政策を考える(4):どうする原子力#2

2011-04-24 11:50:28 | 日本のエネルギー政策を考える!

日本の今までの原子力政策で最も間違っていたことはなにか?

原子力というとまったく素人には理解できない分野であり、一体どういう経緯や過程を経て原子力政策が決められ進められてきたのかということがあまり明らかになっていない。

おそらく政策を担当してきた方々から言わせると、「いやいや国民に周知する最大限の努力をしてきた」かもしれない。私も含めて国民側も分からないからを通り越して、単に無関心であったのかもしれない。

おそらく自分の住んでいる地域に立地計画があると分かって初めて、原子力政策に気がつくという程度であったのではないか。

ここにも環境問題と似た構図がある。

所謂、NIMBY(ニンビー)現象である。

Not in my back yard!

自分の裏庭の問題でなければ、基本的に関心を持たないが、多少関心があっても、自分とはあまり関係ないとして認めてしまうこと。

今回の原発事故で、国民としては自らのこのような無関心主義をこそ責めるべきではないか。

東電の社長が避難民の方々に土下座している姿をテレビで見て、果たして今回の責任は、東電だけなのであろうか。国は、原子力関連の諸委員会の委員達は、さらには何も気にせず、電気に色がないことをいいことに、東電管内に住む電気を使いたいだけ使っていた我々こそが、土下座して謝るべきではないのか。

今回の事故を契機として、原発反対、原発廃止の声が高まることはやむを得ないこととしても、もう少し自らの問題として捉える姿勢が必要なのではないか。

原発を今停止すれば、確実に電気料金は高くしないといけないという現実がある。高騰する化石燃料だけに頼っていては、コストアップと共に、国際社会の不安定さにも巻き込まれる。

じゃあ再生可能エネルギーか?これもかなりのコストアップを覚悟しなくてはならない。個人的にはそれを負担する覚悟と国民的な合意を得る努力をする覚悟、この二つの覚悟と信念があって初めて、原発廃止を語る資格が生まれる。

次回は原子力の技術分野についての問題点を指摘したい。


日本のエネルギー政策を考える(3):どうする原子力#1

2011-04-16 10:07:19 | 日本のエネルギー政策を考える!

供給側の論点から始めるとすると、やはり最初は原子力問題とならざるを得ない。

原子核分裂の莫大なエネルギーを平和的にエネルギー利用すること。そもそも核兵器として開発され、使われてきた核のエネルギーを発電に使うという技術は、20世紀前半の大きな発明であり、その技術は当初期待に満ちたものであった。

原発の当初は非常に少ない燃料で、巨大かつ安価なエネルギーを取り出す可能性があることから、夢のエネルギー源ともてはやされた。

しかし、副産物としての放射能問題がクローズアップされてくると、安全確保のためには建設費の高騰やバックアップ装置への追加投資、使用済み燃料の廃棄処理費用など、かなりのコストアップ要因が出現して、必ずしも安価とは言えなくなってきた。

そうした状況下で、1979年に米国スリーマイル島原発、1986年に当時のソ連邦チェルノブイリ原発で起きた事故は、原子力発電に付随する計り知れないリスクに人々は目覚めた。

一方、日本においては、戦後敗戦国としてしばらくは原子力研究が禁止されていたが、1952年の平和条約において解禁され、1955年には、原子力基本法が成立し、本格的に原子力の平和利用がはじまった。その後、1963年に東海村に建設された実験炉にて、初めて発電がおこなわれ、その後、上述の米国やソ連での原発事故を横眼で見ながらも、国内での商用利用の原発が次々と建設されていった。

2008年の実績では、原子力発電は世界の全発電力の約15%を占め、世界30カ国で432基の原子炉が運転されている。

日本では、2010年現在で電力量の約23%を原子力が担っており、55基、発電設備容量約5000kWの原子炉がある。

今回の福島第一原子力発電所の事故は、残念ながら日本における原発の安全神話を根底から覆すこととなった。そして、なお現時点でも、まだその収拾の見込みも立っていない危険な状態にある。

こうした状況下で、原発の是非を軽々に問うことは避けるべきであろうが、この事故によって日本人すべてがその危険性と共に、電気の重要性にも目をさまされた。

電気は効率的に貯められない。発電したものは、即消費されねばならない。在庫にできない極めて取扱いの難しい商品なのだ。

この摂理がある以上、われわれの暮らし方や電気の使い方をもう一度見直しつつ、原子力に今後どう向き合っていくのか。

今回の事故を契機として、原発の今後をどうするか、もっと開かれた場での国民的な議論を期待したい。すべての人が納得できる案などは不可能であろうが、少なくともより多数の理解を得るような努力を惜しむべきではない。

私の個人的な意見としては、今回の不幸な事故から学ぶべきことは無限にあると思う。そこからもう一度、安全、安心の原子力技術の再構築をすべきだ。少なくとも事故があったから、もう原子力は駄目だというような風潮には流されるべきではない。

人間は失敗からしか成長の糧を得ることができない。

原子力関係者の今一度の奮起を期待するものである。


日本のエネルギー政策を考える(2):論点整理

2011-04-09 14:43:35 | 日本のエネルギー政策を考える!

二回目の今回は、日本のエネルギー政策を考える上での論点整理から始めたい。

まずエネルギー問題は、供給と需要の両面から整理することが分かりやすい。

供給側の論点は、大きく二つに分かれる。第一に化石燃料に代表される一次エネルギーの問題、第二に二次エネルギーである電力である。

化石燃料は、主に石炭、石油、ガスの3つであるが、それぞれに過去、現在、未来のさらに3つの視点から考える必要がある。

電力問題では、まずは原子力をどう考えるか。この点では、2011311日は歴史に残るパラダイム転換の始まりとなる。次に化石燃料による発電は、今後どう扱っていくべきか。さらに、再生可能エネルギーについては、どこまで拡大していくべきか等が、当面の政策上の大きな課題となる。

需要側の論点は、ある意味明確である。どんなに時が流れようとも、省エネルギーが基本であり、省エネルギーに尽きる。むしろ、需要側の在り方によって、深掘りしていく必要がある。つまり、産業部か民生部門か、さらには産業でもどのような業態か、民生部門であっても業務か家庭系か、それぞれによって、省エネルギー政策はきめ細かく分けていく必要がある。

そして、エネルギー政策を考える上で重要な点において、時間軸も重要な問題である。政策というものは、あくまで現時点における具体的な行動を誘発することが必要であるが、果たしてどの時点のどのような目標を目指すのか。ゴールは数年先なのか、あるいは数十年先なのかによって、自ずと政策は異なってくる。

今回の原発事故問題は、これまでのエネルギー政策責任者の頭を完全にぶちのめすような強烈なインパクトがあった。

したがって、今エネルギー政策というと、どうしても今回の危機を乗り切るため、当面予想される問題を乗り切るためとなりがちであるが、本稿においては、なるべく中長期的、むしろ具体性を失わない程度にできる限り長期的な視点で検討したい。さらには未来のエネルギー技術については、多少は夢のある話も加えたい。

また、今回の大震災により、今後はエネルギーの安定供給やセキュリティについての意識も高まることになり、そのための具体的な政策も重要になってくる。

そして最後に、地球温暖化問題は上記のエネルギー政策の各論点を考える上で、常にベースとなるものであり、可能な限りの整合性が求められる。つまり、これからのエネルギー政策は、温暖化効果ガスの削減にどの程度効果的、効率的に寄与するものなのかが、常に問われることとなる。

以上、この程度の論点整理だけでも、エネルギー政策立案に関わるテーマの広範さと複雑さが分かるが、まずは次回より、それぞれのテーマについての愚見を述べることとしたい。