再び原点回帰なり!

未熟なビジネスマンの心のつぶやき

事業仕分けの是非

2009-11-21 10:23:03 | チャット

来年度予算編成に際して、民主党の売物の一つである「事業仕分け」が佳境を迎えている。

その是非についても、連日マスコミ等で報道され、かまびすしい状況となっている。

この種の新しい試みには、必ず多方面からの抵抗が生まれるものであり、その正論の一つとして、「仕分けの基準を明確にすべし」という意見がある。

確かにこれだけを聞くと、「その通り」と賛成したくなるが、実際として、多種多様な事業に明確でかつ共通の基準などあり得るのだろうか。

うがった見方をすれば、上記の意見は、ある種の反対意見である。おそらく基準を求めている人も、そのことが分かった上であえて言っているとも思われる。

この点に関して、今朝のテレビ番組で仕分け作業リーダーの民主党・枝野氏が言ったことが的を得ているように感じた。

「そもそも多種多様な事業に共通の基準など設けることはできない。むしろ、今回の仕分け作業では、仕分け人の半数以上をある程度納得させられるかどうかが、ある意味の基準である」と。

仕分け人に選定されている人が、あらゆる事業の背景や内容に精通しているなどというのは、あり得ないことであろう。それでも、それなりの専門性を持った人達であろうから、そのような人たちから、ある程度でも納得を得られないとすれば、それはそれでその事業は問題かもしれない。

限られた時間内での説明べたもあるかもしれないが、熱意と情熱があれば、それも乗り越えられるものだ。

企業内において新しいビジネスや事業をやろうとする時なども同じで、上司や経営者を説得できるかどうかが、ビジネスマンとしての最初のハードルである。

それすらも満足にできないビジネスや事業が、また上司すらを納得させられないビジネスマンが、もっと厳しい市場競争や顧客からの選別を勝ち抜けるとは、とうてい思えないという。

ただし、そこには盲点もある。そのテーマが、判断する人々のはるかに超えた能力を要求されるような内容であれば、そもそも正しい判断が下せるはずがない。

国の事業に果たしてそのような高度で新規性の高いものがあるのかどうか。むしろ、国の事業として、その種のものが相応しいのかどうか。

そもそも大勢が賛同するようなテーマには、本源的に新規性などは、あろうはずがない。

公共事業は、国民の税金を使う事業である。その意味では、実現性が低く当たれば大きいというような「いちかばちか」の事業は、公共事業にはそぐわない。

科学技術開発というと、それだけで聖域のような印象を与えるが、余程しっかりとしたビジョンと戦略に基づいてテーマが絞り込まれるべきである。また、時勢の移り変わりに即応して、柔軟に目標の見直しがされるべきだ。

申し訳ないが、大学の先生方だけに任せておいて、そのようなシビアな判断ができるとはとうてい思えない。

国の将来を左右するような戦略性の高い事業(研究開発テーマ)こそ、そこにリスクマネーを引っ張ってくるビジネス感覚溢れたリーダーが必要なのだと思う。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿