ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

死化粧・死装束

2006-07-28 | なんとなく仏教?
時間軸を元に戻そう。

もう忘れてしまいそうだ。

斎場が混んでいて使えなかったので
義母の葬儀は3月にずれた。

お通夜まで日にちがあいたので
仮通夜をすることになった。

亭主はやりかけの仕事をしにいったんこちらへ帰り、
私の喪服用の長襦袢を持って
仮通夜に間に合うように実家に戻った。

楽しくない記事を読みたくない方は、
ここまでで止めといて。



私が 亭主の実家に着くとすぐに
亭主は「お前に頼みたいことがある。」
と繰り返していた。

もったいぶって。

それがやっと 何の用かわかった。

「やってもらいたいことがある。

 ○○ちゃん(義弟の妻)と お前と 
 △△(娘)と  ◇◇(義弟の長女)とで

 おばあちゃんに化粧をしてもらいたいんだ。」



かまわないよ、と答えた。

昔 小学生の頃
生まれた寺で葬儀を出した時に
割り箸にまいた脱脂綿でお清めをした記憶がある。

湯灌というやつだろう。

(父の葬儀の時には 湯灌はちゃんとやったろうか?)

おばあちゃんの身体だもの、
それに 娘たちにも 別れの儀式として
やってもらってもいいだろう。

そういう年齢に ふたりとも達している。

それに やりたくないような場所は
業者が全部やってくれるはずだ。

お化粧くらい、なんとかなるわよ。

そう思った。

亭主には亭主なりの 思い入れのようなものが
あったようだ。



その、死化粧をしたのが、
仮通夜の前だったか 後だったか、
定かでない。

記事にするには時間も経ち過ぎているが、
あの頃の記憶は 断片的で
順序がわからなくなっている。



仮通夜に来てくださったのは
山道を下って行った先の 程近い集落にある、
由緒ある寺院の住職だった。

なんと、私の大学の先輩らしい。

実家と同じ宗派だ。

他に用事もあった私は、
(何の用事かは忘れたが)
お茶出しを義妹に頼んで、顔を出さなかった。

年齢はいくつか上で、
大学で私と顔を合わせたことはないと思うが。



死化粧や納棺は
仮通夜の後だったのではないか、と
私は思っているが
 
亭主は 前じゃなかったか、と言っている。

常識的にはどちらなんだろう?

時間の感覚がなくなっているのと同時に、
連日 お天気が悪く、
薄暗い印象が続いていたせいでもある。

とにかく、
業者が来て、
納棺の前の義母の顔のお化粧は 
私たち嫁ふたりと 孫娘ふたりの四人でやった。

他の家族と 幾人かの親族は 
大きな衝立をはさんだ向こうの座卓に座っていた。

業者の人は 男女ひとりずつで、
慣れない私たちに
やさしくてきぱきと指図してくれた。

向こうは、慣れていない親族に 
慣れきっているはずだ。



手当たり次第に集めてきた義母の化粧品から
新しいようなものを選び、
持ってきてあった。

おばあちゃんの肌を 私が担当することにした。

けれど 最初から 行き詰ってしまった。

義母のつめたい肌に
ムラのないように ファンデーションをのばすのは
不可能な気がした。

そこまでは 私も根性が座っていない。

ファンデーションを省略し、
おしろいだけをつけた。

普段、色黒だと思っていた義母の肌は
いつになく白く透き通っていて
死んだ人みたいで嫌だったが
重ねておしろいをつけても 
生気を含んだ色にはならなかった。



頬紅を 孫娘 二人に差してもらった後で

口紅を義妹につけてもらった。

これは 私より余程 慣れているはずだから。

眉は 娘に描いてもらった。

娘は 義妹よりもずっと 慣れているはずだから。

頬紅も 口紅も 眉墨も。

いつもの見慣れた義母のもの、
見慣れた色のものだった。

けれど 突然色白になった義母には
いつもより鮮やかな色を差したようになった。



その後
業者の指示に従って
義母の着替えをした。

こちらは、家族全員で。

死装束へ。

笑っちゃいけないけど、
手甲・脚半の旅支度、
三途の川の渡し舟の運賃、六文餞に
ワラジに、杖まで用意する。

足袋は左右反対にする。

途中、何度か、
「見苦しいところもございますので、
 あちらでしばらくお待ちください。」
と言われ、
衝立のこちらに追いやられる。

また呼ばれては 次々と
旅支度を整えていった。

手甲・脚半を身に付けさせる時には
こちらの手に触れる義母の肌の
あまりの冷たさに ドキリとしてしまう。

義妹と一緒に選んだ
上品なグレーの地に 
パステルカラーの華やかな色刺繍を施した付け下げを
装束の上に掛けてもらった。

これに合う帯も 「これだ!」と思うものを載せた。

納棺した時には 見えなくなってしまったが。



義母の実家の自動車屋からは
跡を継いだ甥っ子(つまり、亭主の従兄弟)夫婦が
来てくれていた。

この自動車屋では
先日 お婆さん、つまり義母の義姉が
突然 お風呂場で亡くなり、葬儀を出したばかり。

この夫婦の紹介の、業者だった。

自動車屋の葬儀の時も
同じように指示されたらしいが、

「俺ァ、まるっきり 根性なしでよ。

 ひとっつも出来ねえで、
 全部、業者にやってもらったど。

 オメエら、偉いよ。」

突然 動かなくなってしまった身内の身体に触れることは
怖くてできなかった、と
後で話してくれた。

そこのお婆さんの時は 今回とは逆に
急ぐように葬式を出した。

動転して それどころではなかったことと思う。

「あんたら(息子二人と 嫁二人、孫四人)
 みんなに 支度してもらって、
 おばあちゃんは、幸せだ。」

義父はそう言って めろめろに泣いた。