きょう・あすと 当地の祇園祭り。
全国的に きょうがお祭りという地域は多いのではないか。
花火大会もシーズン到来。
隅田川の辺りは 晴れているのだろうか?
去年も 『夏祭り』と題して
記事をアップしてある。
同じような日が繰り返されるけれど、
決して去年と同じではない。
:::::::::::::::::::::::::::::::
急に暑くなった。
急に暑くなったら 急にホオズキが色づいた。
今年は 出てきた芽を植えて
たくさんの鉢植えを作り、
事務所前を彩った。
赤くて、きれい。
:::::::::::::::::::::::::::::::
今日は朝早くから集まって
山車を組み立てていた。
その声を聞きながら、いろんなことを考えていた。
当地は、田舎である。
田舎だから、出てゆく人も多い。
残った人は ここから出てゆくこともなく
朽ちるようにここで死んでゆく。
土地の人たちは
子どもの頃からの不仲とか、
何代も前から中の悪い家、とかいうことがある。
くだらない意地の張り合いだ、と思ってきたが
それも仕方のないところ、と
最近思うようになってきた。
小学校の時に級長だった、
中学校で生徒会長だった、
そんな人は 年をとっても ムラのリーダーなのだ。
そうして 山車を組み立てるのに
みんなを動かしているのは
そうした子供時分からのリーダーたちだ。
声を聞いているだけで、よくわかる。
威張っているだけで、実際は何もしないヤツ。
茶々をいれて みんなを混乱させることばかり得意で、
実際何の役にも立たないヤツ。
理詰めでああだ、こうだと声高に説明するタイプ。
ほとんどしゃべらずに 黙々と力仕事をこなすタイプ。
さっきから一生懸命しゃべってるのに
誰にも相手にされてないヤツ。
たまにしか発言しないのに
みんなに耳を傾けてもらえるヤツ。
学年のリーダーは いくつになってもリーダー。
ムラの役員をお願いすれば、必ず引き受けてくれるのも、
リーダーとしての責任からだろう。
彼らは ムラのエリートだから、
役所に勤めたり 農協に勤めたりしている。
頭がいいから、
読み書きもできるし、金勘定もできる。
お祭りでも、いろんな仕事を任されるが、
張り切ってテキパキとこなしていく。
たいていは家の跡を継いだ長男で、
ムラを出て行くほどの気概はない。
はっきり言って、覇気がない。
おっとりした人が残っている。
時おりそんな様子に 私たちはがっかりしている。
子どもの数は どんどん減っている。
当地では お囃子はほとんど子どもにやらせている。
去年よりいっそう お囃子の音が小さい。
(それに、下手。)
お囃子は 本家・本元の 京都の祇園祭りに近い。
以前は 本場・京都から
お囃子方を呼んできて やってもらっていたと言う。
お囃子方を集めて、泊めて、ご馳走して、はお金がかかる。
昔は 土地のお大尽が
それらの場所と費用を提供していたが
戦後の混乱と その後に続いた社会主義の中で
『平等』が声高に叫ばれ、
手間もお金も みんな平等に出資することになったら
お囃子方を呼べなくなったらしい。
その後 何故か お囃子は子どもがするもの、ということになり、
山車の上には子供しか乗らない年月が続いた。
大人の中には お囃子は 習ったこともなくて
子どもに教えたくても 教えられない人たちが大勢いる。
子どもの減少に危機感を覚えた一部の人たちが
お囃子保存会なるものを創り、
多地区のお囃子なども参考にして研究し、
子どもたちに教える役をかって出ている。
自分たちも演奏の技を磨いている。
そうは言っても 子どもの数はどうしようもないくらい少ない。
我が家の子どもたちは 小学校を卒業したら
関与しなくなってしまった。
大人のように 仕事があろうがなかろうが
義務として無理矢理手伝わされるわけではないから
良かった、と思うべきか。
もうそろそろ始まるだろう、
今年のお祭り。
いや、もう始まっているのか?
神職が祝詞を上げていったから。
(あの青年神主だったのかしら?)
全国的に きょうがお祭りという地域は多いのではないか。
花火大会もシーズン到来。
隅田川の辺りは 晴れているのだろうか?
去年も 『夏祭り』と題して
記事をアップしてある。
同じような日が繰り返されるけれど、
決して去年と同じではない。
:::::::::::::::::::::::::::::::
急に暑くなった。
急に暑くなったら 急にホオズキが色づいた。
今年は 出てきた芽を植えて
たくさんの鉢植えを作り、
事務所前を彩った。
赤くて、きれい。
:::::::::::::::::::::::::::::::
今日は朝早くから集まって
山車を組み立てていた。
その声を聞きながら、いろんなことを考えていた。
当地は、田舎である。
田舎だから、出てゆく人も多い。
残った人は ここから出てゆくこともなく
朽ちるようにここで死んでゆく。
土地の人たちは
子どもの頃からの不仲とか、
何代も前から中の悪い家、とかいうことがある。
くだらない意地の張り合いだ、と思ってきたが
それも仕方のないところ、と
最近思うようになってきた。
小学校の時に級長だった、
中学校で生徒会長だった、
そんな人は 年をとっても ムラのリーダーなのだ。
そうして 山車を組み立てるのに
みんなを動かしているのは
そうした子供時分からのリーダーたちだ。
声を聞いているだけで、よくわかる。
威張っているだけで、実際は何もしないヤツ。
茶々をいれて みんなを混乱させることばかり得意で、
実際何の役にも立たないヤツ。
理詰めでああだ、こうだと声高に説明するタイプ。
ほとんどしゃべらずに 黙々と力仕事をこなすタイプ。
さっきから一生懸命しゃべってるのに
誰にも相手にされてないヤツ。
たまにしか発言しないのに
みんなに耳を傾けてもらえるヤツ。
学年のリーダーは いくつになってもリーダー。
ムラの役員をお願いすれば、必ず引き受けてくれるのも、
リーダーとしての責任からだろう。
彼らは ムラのエリートだから、
役所に勤めたり 農協に勤めたりしている。
頭がいいから、
読み書きもできるし、金勘定もできる。
お祭りでも、いろんな仕事を任されるが、
張り切ってテキパキとこなしていく。
たいていは家の跡を継いだ長男で、
ムラを出て行くほどの気概はない。
はっきり言って、覇気がない。
おっとりした人が残っている。
時おりそんな様子に 私たちはがっかりしている。
子どもの数は どんどん減っている。
当地では お囃子はほとんど子どもにやらせている。
去年よりいっそう お囃子の音が小さい。
(それに、下手。)
お囃子は 本家・本元の 京都の祇園祭りに近い。
以前は 本場・京都から
お囃子方を呼んできて やってもらっていたと言う。
お囃子方を集めて、泊めて、ご馳走して、はお金がかかる。
昔は 土地のお大尽が
それらの場所と費用を提供していたが
戦後の混乱と その後に続いた社会主義の中で
『平等』が声高に叫ばれ、
手間もお金も みんな平等に出資することになったら
お囃子方を呼べなくなったらしい。
その後 何故か お囃子は子どもがするもの、ということになり、
山車の上には子供しか乗らない年月が続いた。
大人の中には お囃子は 習ったこともなくて
子どもに教えたくても 教えられない人たちが大勢いる。
子どもの減少に危機感を覚えた一部の人たちが
お囃子保存会なるものを創り、
多地区のお囃子なども参考にして研究し、
子どもたちに教える役をかって出ている。
自分たちも演奏の技を磨いている。
そうは言っても 子どもの数はどうしようもないくらい少ない。
我が家の子どもたちは 小学校を卒業したら
関与しなくなってしまった。
大人のように 仕事があろうがなかろうが
義務として無理矢理手伝わされるわけではないから
良かった、と思うべきか。
もうそろそろ始まるだろう、
今年のお祭り。
いや、もう始まっているのか?
神職が祝詞を上げていったから。
(あの青年神主だったのかしら?)