ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

哲学書?(爆)

2008-07-15 | 読書
皆さんおなじみの『佐賀のがばいばあちゃん』
島田洋七著、徳間文庫、2004.1.15、514円)

あれには哲学が書いてある。






今年のバーベナは この色。 でも 今はなんだか調子はよくない。。






「みんな、道を間違うな!」

「幸せは、お金が決めるものじゃない。

 自分自身の、心のあり方で決まるんだ。」

「みんな、「いい人生」を生きよう。

 誰のためでもない。

 自分のために。
  
 それは、ちっとも難しいことじゃない。」



どうだ?

哲学だろう?

もしかしたら、倫理、いや、仏教かも?(笑)





もう テレビドラマにも 映画にもなって
シリーズ本が何冊も出てるから 説明の必要もないと思う。

しかし 読んでみると、なんとも、まあ、
哲学的な祖母と孫なのだ。

哲学的、ということは、言い換えれば、アホ、ということでもある(笑)。



「ばあちゃん、この2、3日 ご飯ばっかりでおかずがないね。」

俺がそう言うと、ばあちゃんは アハハハハハハハ……と笑いながら、

「明日は、ご飯もないよ。」

と答えた。

俺とばあちゃんは、顔を見合わせると、また大笑いした。(p5)


ホラ、やっぱり、アホだ!(爆)





この本を読むと 

昔々に信じていたことを、

今でも やっぱり 信じてていいんだ、ということがわかる。







この春に買った鮮やかな色の雲間草。 
今では花が終わって、そして、鉢が地面から動かない。。。(苦笑)






綾小路きみまろ。

あんなにカツラの似合う人を、私は他に知らない(笑)。

この人の著書も売れたらしい。

「豊かな教養、溢れる美貌に こぼれる脂肪」、
あのまんまの語り口(笑)。







ディコンドラ。 スペルを想像するに、ダイコンドラのことだね。






「人間の死亡率は100パーセントです。

 私だけは大丈夫、こういう気持ちが大事です。」(p44)

(『有効期限の過ぎた亭主 賞味期限の切れた女房』
 PHP文庫、2003.12/17、438円)



「元気で死ぬためには どうしたらいいのでしょう。

 わたしは<ほどほど>という言葉がキーワードのような気がしています。」



「わたしは 寿命もほどほどがいいかもしれないとおもっております。」(p79)



「東洋には 昔から 中庸(ちゅうよう)の考え方が根づいています。

 足りないのもいけないけれども、ありすぎるのもいけない。」(p80)



「人生はかように流転(るてん)するのです。

 永遠に20歳だと思っている20歳のワコウドにいってあげましょう。

 人生はそこから40年をどういきるかだと。

 そこから40年が ほんとうの人生だと。」(p108)



人生の幸せ・はひふへほ。

   は・・・・・・半分でいい。

   ひ・・・・・・人並みでいい。

   ふ・・・・・・普通でいい。

   へ・・・・・・平凡でいい。

   ほ・・・・・・ほどほどでいい。   (p180)

                  

(『こんな夫婦に誰がした?――謹んでお慶び申し上げます――』
 PHP文庫、2007.8.16、476円)



立派な哲学だ~! 私には(笑)。







割り箸みたいな丈で、針金みたいな太さのベニバナトキワマンサクの苗を植えた。
早春に ちゃんと花をつけてくれたので、感激した。







ことば遊びも楽しいもの。

それが テンポ良く ポンポンと、
しかも虚実混ぜながら真実を突いていく(笑)。



中庸、仏教には「中道」というのがある。

真ん中の道をゆけ、ということかと思う。

右に外れれば ゴウゴウと燃え盛る炎、

左に外れれば 逆巻く急流。

しっかりと 真ん中の道を歩め。 と。



それから・・・ きみまろさん、
当地は田舎。

20歳の若者が それから本当の人生を40年歩んでも、60歳。

「若いモン」と呼ばれてしまう(苦笑)。

だから、自治会の集会での発言力は、まだ、ないのヨ(爆)。