ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

母の誕生日

2007-05-02 | なんでもないこと
どうも疲れている。

ちょっと無理をすれば 風邪を引いてしまいそうだ。

そう思ったけれど、3月も終わる頃、実家に行ってきた。

母の誕生日が近かったから。

また今度、となったら
次回はいつ行けるか わからなかったから。

時間軸はもどって 次回に書く、と言っていた 
実家への帰省の話。




車から写した筑波山。
圏央道が全線開通しても 高速に乗らない私と娘には 関係のない話?



父の3回忌の次に 実家に帰ったのは 7回忌の時だった。

仕事に休みがないから、というのが理由だった。

亭主が忙しがったから、というのが本当のところ。
       ↑
  (ここは、「か」ではなく、「が」。)  

仕事を休んでもいい日は 子どもたちの学校があるから
娘の小学校入学とともに
年に一度の里帰りはなくなってしまっていた。




実家の庭は ユキヤナギの花盛りだった。




義母のことがあってからは
亭主の実家には行くけど、
同じイバラキ県内の自分の実家には行けない、というのが続いていた。

法事に出てきてくれるのは姉夫婦で
母は留守居をしていて 出てこないから
私が実家に行かなきゃ会えないんだもの。




母の山野草の庭は荒れたままだったけど、フキノトウが。
食べ残したんだね(笑)。



翌日には 東京&神奈川の治療院のハシゴの予定だったので
実家と東京の間のビジネスホテルに一泊して

そのかわり 実家で遅い時間までゆっくりする計画をたてた。

当地から都内へ。

上野経由、常磐線でイバラキへ。

帰りはその逆をたどって 恵比寿・武蔵小杉経由で当地へ。

電車にいっぱい乗るから、
読むのを楽しみにしていた文庫本を
前の晩、イソイソとカバンに詰め込んだ。

北方謙三の『水滸伝 6巻』と 
息子が貸してくれた『カオス・レギオン』の2冊。 

出かける日の朝は 
娘に駅まで送って行ってくれるよう、頼んであった。




かなり丈夫な草なのだろう、こんなのが花をつけていた。



娘はその朝 リビングで寝ていて

「駅まで送ってってよ。」と起こすと

「一緒にいくよ。」と言う。

前夜 遅くまでかかって 
大学で使用する<ぷれぜんのしりょう>とやらを作り上げたので

娘の運転するワゴンRで 一緒に実家まで行こう、
ということ。




墓地に向かう道に咲いていた白い椿。
確かに椿なんだけど、地面には はらはらと散った花びらが。



睡眠不足だし 風邪気味のようではあったけど
それはいつものことだし

本人が大丈夫というから 大丈夫なんだろう、というわけで
載せてもらって行くことにした。

娘は京都・奈良から帰って来たばかり。

若いモンは 回復が早くて、本当にうらやましいワイ。


この日 母に買っていった春物のプルオーバー。

気に入ってくれて、よかった!

と思っていたら、後日電話があり、
きつくて着られないとか。

Mサイズだったのに。

仕方がない、今度行ったら もらってきて 私が着よう(苦笑)。

非上昇志向主義?

2007-05-01 | いろんな人
コンサートからの帰りには
地方都市で電車を降りて 
そこの駅前に停めた亭主のワンボックスで
電車で一時間以上の距離を車で移動して家路に。

本当は私、亭主の車に乗るのって、嫌いなんだよな~。

だって、煙草臭くて!(怒)







そういうワケにもいかないので 大人しく乗った。

いろいろおしゃべりできた。

最近 言葉を交わすことが少なかったから、
貴重な時間だった。

綾戸智恵さんの話は あまりしなかった。

電車でつり革につかまってしゃべっていた続き。

私達の実家の家族のことが主だった。



その中で
亭主は私に

「お前は 上昇志向っていうか、
 もっと、もっと、上へ、というのが、
 ないのな!」

と言った。

別に責めている様子ではない。

では これは 褒め言葉か?(笑)







「子どもの頃からそうだよ~。」

亡くなった義母も 亭主も

私の実家の母も姉も

負けると悔しい、という気持ちが強くて

だから負けないように頑張る、という気持ちも強くて

もっと、もっと。

上へ、上へ。

そういう だれもが持ち合わせていそうな気持ちが
私は皆無に近い。



もちろん、
「悔しい」という気持ちはあるし
「できる」と思っていたことができなかったら がっかりするし
人と比べて 自分の方が優れていれば嬉しい。

子供たちに対してもそうだ。

けれど

悔しくてギリギリと歯を食いしばる、なんて事はなかったし

悔し涙が出そうで でも 泣いているところを(敵に)見せるのが悔しくて
走って帰って 家に着くなり、泣いた、なんて事もなかった。

母や姉は 度々そういうことをしてきていたのに。

そして、義母もそうだったらしい。

私って、変わってるの?







「私は身体が弱かったから

 風邪引かないで お腹壊さないで 
 フツーに元気でいるだけで良かったんだよ。」

と答えたが

実際 母から過剰な期待をかけられることもなかったし
ビシバシ鍛えられることもなかった。

(姉は私の分までワリ喰った?)







私は 小さいころから ボンヤリした子で
しかも
ボンヤリしてることが 好きな子だった。

良くも悪くも、これが 私よ(笑)。