埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
生まれて生きて死んでそれから・・・(6)
では、その感覚を司る身体の器官は何でしょう?
それは「心」です。
その心は 体のどこにありますか?
「心臓」ですか?
心臓は 体の器官の中枢ですが
物を考えたりはできません。
では「脳」ですか?
確かに今の医学・科学では
そう言うかもしれませんが、
医学者、解剖学者、作家でもあった養老孟子先生は、
「脳は肉体で 心は精神である」と、
肉体である脳と 精神である心を 分けています
(精神の神という字は 同じくシンと読む心の事で、
心は神なんです)。
ところで、人が何かを夢中のなって、真剣に、懸命に、
思い、考えるエネルギーは
膨大ですさまじいほど強いものだと思います。
その膨大ですさまじいエネルギーを作り出しているのは
「心」です。
ところが、身体の中には 心という器官が どこにも無い!
無いけれども有る!
有るけど無い!
無いものは無くならない!!
だから「心は有る!!!」
心 を言い換えれば 魂 です。
霊 です。
霊魂 です。
難しく言えば、肉体にある五感は
生まれてもいずれ無くなる 生まれ滅する「生滅」、
第六感の 心 ・ 魂 は
生まれもせず滅しもしない「不生不滅」
という論理分析です。
ところで、1901年、
ダンカン・マクドゥーガルという学者が、
魂の重さは 平均21gであると
ある学会で発表しました。
彼の研究は、
6人の死期の近い被験者の 死ぬ間際の体重と、
息を引き取って間もなくの人の体重を
比較した結果、
人間は 死ぬと 平均21g軽くなり、
それが魂の重さであるというものでした。
その真偽はともかく、
心・魂の存在を 科学的に立証しようとした試みが
20世紀のはじめにはあった
という事です。
そして今も、
科学者による魂の存在についての研究は続いています。
閑話休題
さて、科学とかじゃなくても、
昔から日本人は、
「魂はある」と思っていたようです。
或いは、「魂はあってほしい」「あった方が良い」
と考えていたようです。
魂はある と信じて、
ご先祖や、大切な人や、尊敬する人たちに見守られていたい、
その人たちに恥ずかしくない人生を送っていこう・・・。
それから、
自分の肉体は滅びても、
魂になって
大切な人たちを見守っていきたい、
助けてあげたい、
愛し続けたい・・・。
という、日本人の
優しくて、あたたかくて、素晴らしい思い、
私たちのご先祖は 素敵な心をもっていたんですねぇ。
心は魂で、今日のテーマ 命とは何か を
究極まで突き詰めていくと
それは
不生不滅の心・魂 という事になると 私は思います。
つづく
それは「心」です。
その心は 体のどこにありますか?
「心臓」ですか?
心臓は 体の器官の中枢ですが
物を考えたりはできません。
では「脳」ですか?
確かに今の医学・科学では
そう言うかもしれませんが、
医学者、解剖学者、作家でもあった養老孟子先生は、
「脳は肉体で 心は精神である」と、
肉体である脳と 精神である心を 分けています
(精神の神という字は 同じくシンと読む心の事で、
心は神なんです)。
ところで、人が何かを夢中のなって、真剣に、懸命に、
思い、考えるエネルギーは
膨大ですさまじいほど強いものだと思います。
その膨大ですさまじいエネルギーを作り出しているのは
「心」です。
ところが、身体の中には 心という器官が どこにも無い!
無いけれども有る!
有るけど無い!
無いものは無くならない!!
だから「心は有る!!!」
心 を言い換えれば 魂 です。
霊 です。
霊魂 です。
難しく言えば、肉体にある五感は
生まれてもいずれ無くなる 生まれ滅する「生滅」、
第六感の 心 ・ 魂 は
生まれもせず滅しもしない「不生不滅」
という論理分析です。
ところで、1901年、
ダンカン・マクドゥーガルという学者が、
魂の重さは 平均21gであると
ある学会で発表しました。
彼の研究は、
6人の死期の近い被験者の 死ぬ間際の体重と、
息を引き取って間もなくの人の体重を
比較した結果、
人間は 死ぬと 平均21g軽くなり、
それが魂の重さであるというものでした。
その真偽はともかく、
心・魂の存在を 科学的に立証しようとした試みが
20世紀のはじめにはあった
という事です。
そして今も、
科学者による魂の存在についての研究は続いています。
閑話休題
さて、科学とかじゃなくても、
昔から日本人は、
「魂はある」と思っていたようです。
或いは、「魂はあってほしい」「あった方が良い」
と考えていたようです。
魂はある と信じて、
ご先祖や、大切な人や、尊敬する人たちに見守られていたい、
その人たちに恥ずかしくない人生を送っていこう・・・。
それから、
自分の肉体は滅びても、
魂になって
大切な人たちを見守っていきたい、
助けてあげたい、
愛し続けたい・・・。
という、日本人の
優しくて、あたたかくて、素晴らしい思い、
私たちのご先祖は 素敵な心をもっていたんですねぇ。
心は魂で、今日のテーマ 命とは何か を
究極まで突き詰めていくと
それは
不生不滅の心・魂 という事になると 私は思います。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(5)
第2章 生きているってなんだ!?
仏教は(今度はちょっとだけ仏教のお話です)、
二千五百年前に、
まぁ、史実の上でも 少なくとも千年以上前に、
メモに書いたような事を
考えていたんですねぇ。
人が生きているという感覚を持てるのは
どういう時か?
それは、何かを認識できた時ですよね。
①まず、人間の身体には 目がある。
目でものを見る事ができる。
あそこに花が咲いている、
お寺がある、
住職さんが草取りをしている などなど
②目を閉じても 耳がある。
耳で音や声を聴く事ができる。
風の音、雨の音、
お坊さんがお経を読んでいる声、
ご主人の鼻歌 などなど
③目を閉じて 耳をふさいでも 鼻がある。
鼻で匂いを嗅ぐ事ができる。
お香の匂いがする、
花の香りがする、
奥さんが作っている夕餉を用意する匂い などなど
④今度は鼻もつまんでしまいましょう。
でも口がある。
口に入れたものを 舌の上で転がす。
これはリンゴだ、これはチョコレートだ、
お肉だ、お魚だ などなど
⑤口も閉じてしまいましょう。
でも、触ればそれが何なのかわかりますよね。
机だ、本だ、洋服だ、グラスだ などなど
この5つの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を
五感と言います。
ただ、五感だけでは それをそれと感じる事はできません。
そこでこの五感の外にもうひとつの、
所謂 「感」というものがあります。
「昨日の競馬で、勘が働いて大穴当てたんだよ」
の第六感です。
つまり、
花を見てきれいだ。
大好きな音楽を聴いて落ち着く。
お香の匂いで癒される。
美味しいワインを飲んで 明日への活力がみなぎってくる。
可愛い猫ちゃんを撫でていると 優しい気持ちになってくる。
その「思い・感情」というのが
第六番目の「感」 第六感です。
つづく
仏教は(今度はちょっとだけ仏教のお話です)、
二千五百年前に、
まぁ、史実の上でも 少なくとも千年以上前に、
メモに書いたような事を
考えていたんですねぇ。
人が生きているという感覚を持てるのは
どういう時か?
それは、何かを認識できた時ですよね。
①まず、人間の身体には 目がある。
目でものを見る事ができる。
あそこに花が咲いている、
お寺がある、
住職さんが草取りをしている などなど
②目を閉じても 耳がある。
耳で音や声を聴く事ができる。
風の音、雨の音、
お坊さんがお経を読んでいる声、
ご主人の鼻歌 などなど
③目を閉じて 耳をふさいでも 鼻がある。
鼻で匂いを嗅ぐ事ができる。
お香の匂いがする、
花の香りがする、
奥さんが作っている夕餉を用意する匂い などなど
④今度は鼻もつまんでしまいましょう。
でも口がある。
口に入れたものを 舌の上で転がす。
これはリンゴだ、これはチョコレートだ、
お肉だ、お魚だ などなど
⑤口も閉じてしまいましょう。
でも、触ればそれが何なのかわかりますよね。
机だ、本だ、洋服だ、グラスだ などなど
この5つの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を
五感と言います。
ただ、五感だけでは それをそれと感じる事はできません。
そこでこの五感の外にもうひとつの、
所謂 「感」というものがあります。
「昨日の競馬で、勘が働いて大穴当てたんだよ」
の第六感です。
つまり、
花を見てきれいだ。
大好きな音楽を聴いて落ち着く。
お香の匂いで癒される。
美味しいワインを飲んで 明日への活力がみなぎってくる。
可愛い猫ちゃんを撫でていると 優しい気持ちになってくる。
その「思い・感情」というのが
第六番目の「感」 第六感です。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(4)
⑱ 赤ちゃんの産着や 亡くなった人の死装束、
場合によっては 額や足の裏に、
✖・☆・※・大や犬の字などを書いて、
魔除けにする事が同じ習俗。
⑲ 出産に伴う血穢と 死ぬ事の死穢、
「穢」というのは 恐れ という意味で、
竈の火によって伝染すると言われているので、
昔はそれぞれの場面での それぞれのご飯は
別々の竈で炊かれていました。
恐れを伴うという意識が同じです。
以上、大急ぎでした。
こんなふうに 生と死を比べてみると、
どうやら 私たちのご先祖さんたち 日本人は、
大切な人が亡くなっても、
或いは、自分が死んでも、
また人間の誰かになって生まれ変わるんだ、生まれ変わりたい、
と願っていた。
自分の子供は、或いは 孫は、
昔の誰か偉い人の生まれ変わりなんだ、
こんなにかわいくて、賢いんだからそうに違いない、
と思っていた、信じていたようですね。
これを 自己中、自己中心的だとか、「親バカだ」とか言う前に、
こんな考え方をする日本人は、
生まれた赤ちゃん、子供たちに対する
あったか~い、深~い、優し~い 愛情、
ご先祖様に対する愛惜、報恩感謝の思いが
あったのだと思います。
生まれて 生きて 死んでも
また どこかに生まれて 生きて・・・
そうして、先祖に感謝し、子孫を愛し・・・
という事を繰り返しているのです。
この章の最後に
2つほど付け加えさせていただきます。
生まれるという事について。
体内記憶という言葉をご存知でしょうか?
心臓疾患で生まれてきた、いんやく りお という子の
「自分をえらんで生まれてきたよ」という詩集があります。
母親が看病しながら りお君の言葉を書き留めたものです。
赤ちゃんは 母親のおなかの中にいる時の記憶がある。
生まれる前の記憶です。
更には、命が宿る前の記憶さえある。
それをこの詩集が証明しています。
池川明 池川クリニック院長の見解です。
次に、死という事について。
故 日野原重明医師の言葉です。
「人生というのは、川の流れの如きものである。
川はやがて海に至る。
死 とは 海 である。
滔々と流れ来た人生が、最後は 大海原でゆったりと落ち着く」
という内容だったと記憶しています。
2つとも 今日の生と死の問題について、
興味深い話だったので ご紹介させていただきました。
いろいろ余計な事も言っちゃいました。
瀧川、時々 嘘をついて、人を化かしたり、煙に巻いたりしますから、
「取り扱い注意」です。
話を変えます。
つづく
拙著『法事』
場合によっては 額や足の裏に、
✖・☆・※・大や犬の字などを書いて、
魔除けにする事が同じ習俗。
⑲ 出産に伴う血穢と 死ぬ事の死穢、
「穢」というのは 恐れ という意味で、
竈の火によって伝染すると言われているので、
昔はそれぞれの場面での それぞれのご飯は
別々の竈で炊かれていました。
恐れを伴うという意識が同じです。
以上、大急ぎでした。
こんなふうに 生と死を比べてみると、
どうやら 私たちのご先祖さんたち 日本人は、
大切な人が亡くなっても、
或いは、自分が死んでも、
また人間の誰かになって生まれ変わるんだ、生まれ変わりたい、
と願っていた。
自分の子供は、或いは 孫は、
昔の誰か偉い人の生まれ変わりなんだ、
こんなにかわいくて、賢いんだからそうに違いない、
と思っていた、信じていたようですね。
これを 自己中、自己中心的だとか、「親バカだ」とか言う前に、
こんな考え方をする日本人は、
生まれた赤ちゃん、子供たちに対する
あったか~い、深~い、優し~い 愛情、
ご先祖様に対する愛惜、報恩感謝の思いが
あったのだと思います。
生まれて 生きて 死んでも
また どこかに生まれて 生きて・・・
そうして、先祖に感謝し、子孫を愛し・・・
という事を繰り返しているのです。
この章の最後に
2つほど付け加えさせていただきます。
生まれるという事について。
体内記憶という言葉をご存知でしょうか?
心臓疾患で生まれてきた、いんやく りお という子の
「自分をえらんで生まれてきたよ」という詩集があります。
母親が看病しながら りお君の言葉を書き留めたものです。
赤ちゃんは 母親のおなかの中にいる時の記憶がある。
生まれる前の記憶です。
更には、命が宿る前の記憶さえある。
それをこの詩集が証明しています。
池川明 池川クリニック院長の見解です。
次に、死という事について。
故 日野原重明医師の言葉です。
「人生というのは、川の流れの如きものである。
川はやがて海に至る。
死 とは 海 である。
滔々と流れ来た人生が、最後は 大海原でゆったりと落ち着く」
という内容だったと記憶しています。
2つとも 今日の生と死の問題について、
興味深い話だったので ご紹介させていただきました。
いろいろ余計な事も言っちゃいました。
瀧川、時々 嘘をついて、人を化かしたり、煙に巻いたりしますから、
「取り扱い注意」です。
話を変えます。
つづく
拙著『法事』
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生まれて・生きて・死んでそれから・・・(3)
⑭ 赤ちゃんが生まれてからの1年間、
お葬式の後の1年間には、
2年目以降にはやらない特別なお祝いや供養をする事が同じです。
例えば 子供の初めて迎えるお正月には
破魔弓や羽子板を贈ったり
初節句をお祝いしたりする事や、
新精霊の新盆、初彼岸、喪中欠礼なんかです。
⑮ 日本人は みんなお正月に一斉にお誕生日を迎え、
歳を取るわけですが、
一年目だけは特別にお誕生祝をします。
亡くなった人の一周忌、
どちらも1年目に儀式・儀礼をします。
⑯ 七五三のお祝いと、三回忌・七回忌。
五は違いますが、三と七が同じ!
⑰ 女の子は13歳になると 虚空蔵様をお参りして、
帰って来て腰巻を巻きます。
これは 神の子であった女の子が 人間の女の人になる、
いわゆる成人式で、
この日以降 お嫁に行く事が許されるようになります。
亡くなった人の十三回忌の供養と、
13年目とは別ですが、
「不動 釈迦・・・」で始まる十三仏念仏の最後が
「阿しゅく 大日 虚空蔵。」で 虚空蔵菩薩。
三十三回忌の虚空蔵様が終わると、
亡くなった人は 年忌明けして あの世での修行を終えて
氏神になる。
13という数字が一致するという事と、
虚空蔵菩薩という仏様を介して
神から人へ、人から神へと変わるんです。
ここで、ちょっとコマーシャルさせていただきます。
今の何回忌とかの忌日や年忌についての詳しいお話は、
令和6年6月4日発行、
瀧川善海著、つまり私なんですが、
『法事』という題名の本を書いて
一般在家さんの目線で 詳しく解説させていただきました。
この本なんですが、
『法事 —— 附 三千仏名経・盂蘭盆経・地蔵経 』
日本人にとって法事とは? その定義・歴史・思想・習俗・法要等を
平易に解説
本書は、ご先祖供養の年回「法事」の外、
「盂蘭盆会」、「施餓鬼会」、「地蔵盆」、
お釈迦さまは何をお悟りになったのかの「成道会」、
「仏名会」などについて論じ、
過去現在未来の仏さまを全部書き上げた「三千仏名経」等を
収録させていただいています。
300部限定なので、
製作費が1部約1万円もかかっているんですが、
多くの人に読んでもらいたいので
半額は著者買いで私が出していますので、
送料別一冊5000円 ヤマト便代引きで
出版社を通してお譲りさせていただきます。
ご興味があったら宜しくお願いします。
すみません、話を進めます。
つづく
お葬式の後の1年間には、
2年目以降にはやらない特別なお祝いや供養をする事が同じです。
例えば 子供の初めて迎えるお正月には
破魔弓や羽子板を贈ったり
初節句をお祝いしたりする事や、
新精霊の新盆、初彼岸、喪中欠礼なんかです。
⑮ 日本人は みんなお正月に一斉にお誕生日を迎え、
歳を取るわけですが、
一年目だけは特別にお誕生祝をします。
亡くなった人の一周忌、
どちらも1年目に儀式・儀礼をします。
⑯ 七五三のお祝いと、三回忌・七回忌。
五は違いますが、三と七が同じ!
⑰ 女の子は13歳になると 虚空蔵様をお参りして、
帰って来て腰巻を巻きます。
これは 神の子であった女の子が 人間の女の人になる、
いわゆる成人式で、
この日以降 お嫁に行く事が許されるようになります。
亡くなった人の十三回忌の供養と、
13年目とは別ですが、
「不動 釈迦・・・」で始まる十三仏念仏の最後が
「阿しゅく 大日 虚空蔵。」で 虚空蔵菩薩。
三十三回忌の虚空蔵様が終わると、
亡くなった人は 年忌明けして あの世での修行を終えて
氏神になる。
13という数字が一致するという事と、
虚空蔵菩薩という仏様を介して
神から人へ、人から神へと変わるんです。
ここで、ちょっとコマーシャルさせていただきます。
今の何回忌とかの忌日や年忌についての詳しいお話は、
令和6年6月4日発行、
瀧川善海著、つまり私なんですが、
『法事』という題名の本を書いて
一般在家さんの目線で 詳しく解説させていただきました。
この本なんですが、
『法事 —— 附 三千仏名経・盂蘭盆経・地蔵経 』
日本人にとって法事とは? その定義・歴史・思想・習俗・法要等を
平易に解説
本書は、ご先祖供養の年回「法事」の外、
「盂蘭盆会」、「施餓鬼会」、「地蔵盆」、
お釈迦さまは何をお悟りになったのかの「成道会」、
「仏名会」などについて論じ、
過去現在未来の仏さまを全部書き上げた「三千仏名経」等を
収録させていただいています。
300部限定なので、
製作費が1部約1万円もかかっているんですが、
多くの人に読んでもらいたいので
半額は著者買いで私が出していますので、
送料別一冊5000円 ヤマト便代引きで
出版社を通してお譲りさせていただきます。
ご興味があったら宜しくお願いします。
すみません、話を進めます。
つづく
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生まれて・生きて・死んで・それから・・・(2)
② 赤ちゃんの元気な産声と、喪主の魂呼びなど。
大きな声を出すのが同じ!
③ 出産した時の産飯と、人が亡くなった後の 枕飯や 四十九餅など。
ご飯を作るという事が同じ!
④ 生まれた後の 三日祝いと、お葬式の後の 三日斎。
三の数字と宴会をするという事が同じ!
この宴会は、「共」という字を書く「共食」です。
⑤ 赤ちゃんが初めて会う人は 産婆さん。
亡くなった人が初めて会う人は 三途の川のほとりに陣取る奪衣婆。
どっちも初めて会うのは 年を取った女性です。
⑥ 赤ちゃんは産湯で、亡くなったひとは湯潅で、
どちらもお風呂に入って体を清めます。
⑦ 産湯の赤ちゃんは 産着に着替えます。
亡くなった人は 死装束に着替えます。
着替えをするのが同じ!
⑧ 赤ちゃんは 産屋で生まれ、ご遺体は喪屋に納められます。
どちらも 神さまの領域である特別な空間に移ります。
⑨ 赤ちゃんが生まれると お父さんは
近くの神社で 石を拾ってきて神棚に供え、
その赤ちゃんが歳をとって亡くなると
喪主が その石で棺を2度たたき、
お葬式の後 石を神社に返しに行きます。
どちらも 石です。
⑩ 赤ちゃんの御七夜のお祝い、
これまでに名前が付けられます。
亡くなった人の初七日の供養と お戒名の授与。
七の数字と 新しく名前が変わる事が同じ!
⑪ お誕生の 日明餅と、お葬式の長寿銭や遺物料。
御祝儀の御裾分けと 故人の遺産分け、同じ事をしています。
⑫ お誕生100日目のお食い初めと、百箇日の供養。
どちらも100。
つづく
大きな声を出すのが同じ!
③ 出産した時の産飯と、人が亡くなった後の 枕飯や 四十九餅など。
ご飯を作るという事が同じ!
④ 生まれた後の 三日祝いと、お葬式の後の 三日斎。
三の数字と宴会をするという事が同じ!
この宴会は、「共」という字を書く「共食」です。
⑤ 赤ちゃんが初めて会う人は 産婆さん。
亡くなった人が初めて会う人は 三途の川のほとりに陣取る奪衣婆。
どっちも初めて会うのは 年を取った女性です。
⑥ 赤ちゃんは産湯で、亡くなったひとは湯潅で、
どちらもお風呂に入って体を清めます。
⑦ 産湯の赤ちゃんは 産着に着替えます。
亡くなった人は 死装束に着替えます。
着替えをするのが同じ!
⑧ 赤ちゃんは 産屋で生まれ、ご遺体は喪屋に納められます。
どちらも 神さまの領域である特別な空間に移ります。
⑨ 赤ちゃんが生まれると お父さんは
近くの神社で 石を拾ってきて神棚に供え、
その赤ちゃんが歳をとって亡くなると
喪主が その石で棺を2度たたき、
お葬式の後 石を神社に返しに行きます。
どちらも 石です。
⑩ 赤ちゃんの御七夜のお祝い、
これまでに名前が付けられます。
亡くなった人の初七日の供養と お戒名の授与。
七の数字と 新しく名前が変わる事が同じ!
⑪ お誕生の 日明餅と、お葬式の長寿銭や遺物料。
御祝儀の御裾分けと 故人の遺産分け、同じ事をしています。
⑫ お誕生100日目のお食い初めと、百箇日の供養。
どちらも100。
つづく
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生まれて・生きて・死んで・それから・・・(1)
去る6月4日に
第55回 天台宗埼玉教区 一隅を照らす運動推進大会が
寄居の高蔵寺において開催されました。
その際に 「命」という壮大なテーマをいただき、
第二講座として講演をさせていただきました。
これはその講演をもとにしたものです。
第1章 死ぬことは生まれること!
このお話は、かれこれ15年以上前になりますか、
8部さんの霜月会でお話させていただいた事があります。
そのほかにも、埼玉県では、
4部さん、岩槻仏教会さん、本庄仏教会さんなんかでも
お話しました。
もう2度~3度 お聞きになっている方も、
もしかしたらいるかもしれませんが、
お赦し下さい。
さて、先ほど言い訳したように、
私は話が飛ぶので、
最初に第1章の結論、
演題の「生まれて 生きて 死んで それから・・・」
で言いたい事を 最初に言っておきます。
日本人は・・・(仏教は、ではないですよ。
私たちのご先祖である日本人は! です)
意識的に、あるいは 無意識のうちに、
死ぬという事は、
外のどこかに生まれ変わることだと考えていた。
考えようとしていた。
この事を、子供が生まれて成長していく過程でのお祝い
(通過儀礼って言うんですが)と、
人が亡くなった後のお葬式やご法事や
いろいろな供養(これはお寺さんのご専門ですが)
を比較する事によって証明してみた、
という事です。
資料の表は、
赤ちゃんが生まれて、子供が育っていく間のお祝いと、
ご両親とか 旦那様とか奥様とか、
大切な誰かが亡くなって、
お葬式をして、
そのあと 法事なんかをしていく過程での
共通する事を、
19項目 並べてみたものです。
ただし、この1つ1つを 詳しくお話していきますと、
2時間弱 お時間をいただかなくては無理なんです。
だから、第1章は 子供のお祝いと先祖供養の
何が同じなのか? という事と、
ちょっと気になる事を、“ササッ” “チャチャッ”と
お話して お赦しいただきます。
それでは。
① 妊婦さんが 妊娠5か月目に
水天宮や聖天様にお参りに行く帯祝いと、
自分が死ぬ前にする生前葬や 生前戒名をいただいたりする、
「逆修」 「豫修」。
それぞれに事前準備するのが同じ!
赤ちゃんの誕生・子供のお祝い お葬式・ご先祖の供養
① 帯祝い(妊娠5カ月ー水天宮、戌の日 豫修・逆修(生前戒名など)・枕経
② 出産 ⇒ 産声 臨終 ⇒ 魂呼び(通夜など)
③ 産飯(供食) 枕飯(一本箸)
・枕団子・精進落とし(供食)
④ 三日祝い 三日斎
⑤ 産婆 奪衣婆
⑥ 産湯 湯潅
⑦ 産着(三日衣装) 死装束
⑧ 産屋 喪屋(殯宮)
⑨ 寺社の小石 釘打式(鎖龕・起龕)
⑩ お七夜(命名) 初七日忌(戒名・法名・法号)
⑪ 宮参り(32~33日頃) 三十五日忌・四十九日忌
⑫ 菓子(日明餅) 遺物(料)・長寿銭
⑬ お食い初め 百箇日忌
⑭ 正月(破魔弓・羽子板)・初節句(人形 鯉幟)
新盆(新盆提灯 等)・初彼岸・喪中欠礼
⑮ お誕生 一周忌
⑯ 七五三(7歳までは神のうち) 三回忌・七回忌
⑰ 十三参り(虚空蔵参り)→ 成人 十三回忌・
三十三回忌(虚空蔵菩薩)→ 祖霊
⑱ (×・犬・☆・*) (×・+・☆)
⑲ 血穢 死穢
つづく
第55回 天台宗埼玉教区 一隅を照らす運動推進大会が
寄居の高蔵寺において開催されました。
その際に 「命」という壮大なテーマをいただき、
第二講座として講演をさせていただきました。
これはその講演をもとにしたものです。
第1章 死ぬことは生まれること!
このお話は、かれこれ15年以上前になりますか、
8部さんの霜月会でお話させていただいた事があります。
そのほかにも、埼玉県では、
4部さん、岩槻仏教会さん、本庄仏教会さんなんかでも
お話しました。
もう2度~3度 お聞きになっている方も、
もしかしたらいるかもしれませんが、
お赦し下さい。
さて、先ほど言い訳したように、
私は話が飛ぶので、
最初に第1章の結論、
演題の「生まれて 生きて 死んで それから・・・」
で言いたい事を 最初に言っておきます。
日本人は・・・(仏教は、ではないですよ。
私たちのご先祖である日本人は! です)
意識的に、あるいは 無意識のうちに、
死ぬという事は、
外のどこかに生まれ変わることだと考えていた。
考えようとしていた。
この事を、子供が生まれて成長していく過程でのお祝い
(通過儀礼って言うんですが)と、
人が亡くなった後のお葬式やご法事や
いろいろな供養(これはお寺さんのご専門ですが)
を比較する事によって証明してみた、
という事です。
資料の表は、
赤ちゃんが生まれて、子供が育っていく間のお祝いと、
ご両親とか 旦那様とか奥様とか、
大切な誰かが亡くなって、
お葬式をして、
そのあと 法事なんかをしていく過程での
共通する事を、
19項目 並べてみたものです。
ただし、この1つ1つを 詳しくお話していきますと、
2時間弱 お時間をいただかなくては無理なんです。
だから、第1章は 子供のお祝いと先祖供養の
何が同じなのか? という事と、
ちょっと気になる事を、“ササッ” “チャチャッ”と
お話して お赦しいただきます。
それでは。
① 妊婦さんが 妊娠5か月目に
水天宮や聖天様にお参りに行く帯祝いと、
自分が死ぬ前にする生前葬や 生前戒名をいただいたりする、
「逆修」 「豫修」。
それぞれに事前準備するのが同じ!
赤ちゃんの誕生・子供のお祝い お葬式・ご先祖の供養
① 帯祝い(妊娠5カ月ー水天宮、戌の日 豫修・逆修(生前戒名など)・枕経
② 出産 ⇒ 産声 臨終 ⇒ 魂呼び(通夜など)
③ 産飯(供食) 枕飯(一本箸)
・枕団子・精進落とし(供食)
④ 三日祝い 三日斎
⑤ 産婆 奪衣婆
⑥ 産湯 湯潅
⑦ 産着(三日衣装) 死装束
⑧ 産屋 喪屋(殯宮)
⑨ 寺社の小石 釘打式(鎖龕・起龕)
⑩ お七夜(命名) 初七日忌(戒名・法名・法号)
⑪ 宮参り(32~33日頃) 三十五日忌・四十九日忌
⑫ 菓子(日明餅) 遺物(料)・長寿銭
⑬ お食い初め 百箇日忌
⑭ 正月(破魔弓・羽子板)・初節句(人形 鯉幟)
新盆(新盆提灯 等)・初彼岸・喪中欠礼
⑮ お誕生 一周忌
⑯ 七五三(7歳までは神のうち) 三回忌・七回忌
⑰ 十三参り(虚空蔵参り)→ 成人 十三回忌・
三十三回忌(虚空蔵菩薩)→ 祖霊
⑱ (×・犬・☆・*) (×・+・☆)
⑲ 血穢 死穢
つづく
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御挨拶 6
●ところで、伝教大師は、ご自身のお弟子様たちを
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
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御挨拶 5
●照千一隅について いろいろお話してきましたが、
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
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御挨拶 4
●能行能言の「三品・・・」について、
これも誤解される事が多いのですが、
三品とは 国宝・国師・国用 の事ではなくて、
上品が「国宝」、中品が「国師・国用」、
下品が「国賊」です。
そして、三品とも皆 等しく成仏できる
というのが天台宗の教えであり、
伝教大師が強調されている事なのです。
例えば、『法華経』の
「悉有仏性」「悉皆成仏」の教理、
『蘇悉地経』に準拠した十二年籠山
(十二年 比叡山に籠れば どんな人でも必ず一験を得ることができる)
などに その精神が鮮明に語られています。
●また、伝教大師が生涯貫いてきた思想は、
実は最初に師事した行表法師の【一乗】の教えで、
生きとしいけるものは 皆 等しく
大白牛車(仏乗)=悟りの車 に乗れているのだ
というものです。
この一乗の教えは、伝教大師が唐から伝えられた
円・密・禅・戒 の四つの教えすべてに表現されています。
ちなみに、大師は著作『守護国界章』の中で、
三乗(羊車=声聞乗 ・ 鹿車=縁覚乗 ・ 牛車=菩薩乗)をさえ
「隠密法華」として 一仏乗に帰す と言って
救っておられます。
つづく
これも誤解される事が多いのですが、
三品とは 国宝・国師・国用 の事ではなくて、
上品が「国宝」、中品が「国師・国用」、
下品が「国賊」です。
そして、三品とも皆 等しく成仏できる
というのが天台宗の教えであり、
伝教大師が強調されている事なのです。
例えば、『法華経』の
「悉有仏性」「悉皆成仏」の教理、
『蘇悉地経』に準拠した十二年籠山
(十二年 比叡山に籠れば どんな人でも必ず一験を得ることができる)
などに その精神が鮮明に語られています。
●また、伝教大師が生涯貫いてきた思想は、
実は最初に師事した行表法師の【一乗】の教えで、
生きとしいけるものは 皆 等しく
大白牛車(仏乗)=悟りの車 に乗れているのだ
というものです。
この一乗の教えは、伝教大師が唐から伝えられた
円・密・禅・戒 の四つの教えすべてに表現されています。
ちなみに、大師は著作『守護国界章』の中で、
三乗(羊車=声聞乗 ・ 鹿車=縁覚乗 ・ 牛車=菩薩乗)をさえ
「隠密法華」として 一仏乗に帰す と言って
救っておられます。
つづく
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御挨拶 3
●一隅を照らす運動の根拠となった伝教大師真筆の
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照千一隅」か 「照于一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。
意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。
誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。
『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。
●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。
●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。
●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。
さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。
ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。
●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。
魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。
●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。
つづく
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照千一隅」か 「照于一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。
意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。
誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。
『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。
●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。
●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。
●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。
さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。
ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。
●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。
魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。
●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。
つづく
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