埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
生まれて生きて死んでそれから・・・(9)
みなさん 考えて見て下さい。
「心」はすごいんです。
何でもわかってる。
私たちが生きていくうえで、
こーしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。
これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ。
本当は 全部 わかってるんですよ。
「自分は無知だから、
歳をとっているから、
若すぎるから、
男だから、
女だから、
世の中の事、なんにもわかんないよ。
パソコンやスマホなんか とんでもないよ」
という方がもしいるとすれば、それは言い訳で、
知らない事は調べればいい、
勉強すればいい、
という事を あなたの心は 実は知っています。
徹夜でマージャンしたり、お酒を飲みすぎると
身体によくない、という事を
心がちゃんと知っていても、
肉体の快楽を求めて、
ついつい徹夜して遊び惚けたり、深酒したりしてしまう。
それが普段の私たちです。
でも、「それじゃいけない」って
私たちの心は知っているんです。
私たちは、普段、そんな素晴らしい私たち自身の
本当の心、真実の心を、
自分の欲望のために こき使っている。
あなたの心は あなたの事を 何でも知っているのに、
もし その事に気が付かないとすれば、
気付かないフリをしているならば、
とっても勿体ない事だと思います。
あなたの心が可愛そうです。
一度、自分の心のいう事を 素直に聞いてみてはどうか
と思います。
一度、自分自身の心に真剣に寄り添ってみてはどうか
と思います。
それから、自分の心には 嘘はつけません。
嘘をついても 自分には全部バレちゃっています。
心に寄り添うという事は、
いつも 正しい事、恥ずかしくない人生を送る
という事、
でなければ、自分に対して恥ずかしい事になります。
自分に恥ずかしくない人生を送る。
自分の人生劇場の主人公は 自分であり、
主人公は 正々堂々とした、
カッコいいヒーローでなければならない、
優しいヒロインでなければならない。
そういう事です。
心を大事にしていると、
本当の自分というものが分かってくる。
本当の自分に気付けるようになる。
自己完成、悟り にどんどん近づいていきます。
死んでもついて来てくれる、心っていう第四夫人は、
遠い深谷国、あの世に行って、つまり死んだら、
その名を魂に代えます。
皆さんの純粋な思いがそれです。
その、心・魂・思いは、
皆さんの後に生まれてくる可愛い子供たち、孫たち、
その未来人の生きる指針になる。
逆に、そして 同じように、
皆さんのご先祖さん、私たちの先人たちの心・思い・そして魂は、
私たちが 今 生きていく糧になっている、
それが瀧川が考える命のつながり、命の連鎖です。
生まれて 生きて 死んでも
また 生まれて 生きて ・・・ということです。
以上です。
つづく
「心」はすごいんです。
何でもわかってる。
私たちが生きていくうえで、
こーしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。
これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ。
本当は 全部 わかってるんですよ。
「自分は無知だから、
歳をとっているから、
若すぎるから、
男だから、
女だから、
世の中の事、なんにもわかんないよ。
パソコンやスマホなんか とんでもないよ」
という方がもしいるとすれば、それは言い訳で、
知らない事は調べればいい、
勉強すればいい、
という事を あなたの心は 実は知っています。
徹夜でマージャンしたり、お酒を飲みすぎると
身体によくない、という事を
心がちゃんと知っていても、
肉体の快楽を求めて、
ついつい徹夜して遊び惚けたり、深酒したりしてしまう。
それが普段の私たちです。
でも、「それじゃいけない」って
私たちの心は知っているんです。
私たちは、普段、そんな素晴らしい私たち自身の
本当の心、真実の心を、
自分の欲望のために こき使っている。
あなたの心は あなたの事を 何でも知っているのに、
もし その事に気が付かないとすれば、
気付かないフリをしているならば、
とっても勿体ない事だと思います。
あなたの心が可愛そうです。
一度、自分の心のいう事を 素直に聞いてみてはどうか
と思います。
一度、自分自身の心に真剣に寄り添ってみてはどうか
と思います。
それから、自分の心には 嘘はつけません。
嘘をついても 自分には全部バレちゃっています。
心に寄り添うという事は、
いつも 正しい事、恥ずかしくない人生を送る
という事、
でなければ、自分に対して恥ずかしい事になります。
自分に恥ずかしくない人生を送る。
自分の人生劇場の主人公は 自分であり、
主人公は 正々堂々とした、
カッコいいヒーローでなければならない、
優しいヒロインでなければならない。
そういう事です。
心を大事にしていると、
本当の自分というものが分かってくる。
本当の自分に気付けるようになる。
自己完成、悟り にどんどん近づいていきます。
死んでもついて来てくれる、心っていう第四夫人は、
遠い深谷国、あの世に行って、つまり死んだら、
その名を魂に代えます。
皆さんの純粋な思いがそれです。
その、心・魂・思いは、
皆さんの後に生まれてくる可愛い子供たち、孫たち、
その未来人の生きる指針になる。
逆に、そして 同じように、
皆さんのご先祖さん、私たちの先人たちの心・思い・そして魂は、
私たちが 今 生きていく糧になっている、
それが瀧川が考える命のつながり、命の連鎖です。
生まれて 生きて 死んでも
また 生まれて 生きて ・・・ということです。
以上です。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(8)
さて、ある日、長官は寄居国の国王に呼ばれて
お城に赴きました。
「王様自らのお呼び出しとは、
いったいどんな御用なのだろう?」
ドキドキしながら謁見の間に通された長官でしたが、
国王は
「長官、君のお陰で、この寄居国は美しく平和で
富栄えている。
ありがとう」
と、並み居る重臣たちの前で、
最上級の言葉で長官を讃えました。
そして
「実は、私の友人の王様が治めている深谷国が
荒れ果て、国民たちが争いばかりで、
とてもひどい有り様になってしまっているらしい。
ついては 長官、君の手腕を見込んで、
甚だ遠い深谷国だが、
かの国を 平和な国にしてやってきて欲しい」
と命じました。
王様から直々に重大な仕事を依頼された事に感激しながら、
長官は その足で 第一夫人の家に向かいました。
「今、国王様から直々に、
深谷国の治安を守るように頼まれた。
この仕事は とても名誉な仕事だ。
1カ月後に 深谷に向けて出発するから
準備をしておきなさい」
それを聞いた第一夫人は、
「深谷国って どこにあるんですか?
聞いた事もありません。
きっと野蛮な国に違いありませんよね。
私はそんな国に行くなんて絶対嫌です。
あなた一人で行って下さい」
と答えました。
頭にきた長官は、次に第二夫人の元へ向かいました。
「実は今日、王様から かくかくしかじか。
第一夫人は 行ってくれないそうだ。
第二夫人のキミを連れて行く。
そのつもりでいてくれ」
第二夫人「そんな遠い国に行くなんて大変ですねぇ。
私だってそんな遠い国に行くのは嫌ですよ、
あなた一人で行って下さい」
という返事。
「こんなに大事にしているのに 第二夫人までもか」
とむしろ戸惑いながら、
長官は 第三夫人の元へ向かいます。
「実は今日、王様から かくかくしかじか。
第一夫人と第二夫人は 一緒に行ってくれないそうだ。
キミは一緒に行ってくれるよな」
それを聞いた第三夫人は 驚いた顔をしながら
「お供をしたいのはやまやまですが、
私は 年老いたお父様、お母様と、
幼い子供たちの面倒を見なければなりません。
一緒には行けません。
遠路深谷国まで大変でしょうが、
くれぐれも気を付けて行って下さい」
との返事。
がっかりした長官は 自分の家に帰ります。
肩を落として帰宅した長官を見た第四夫人。
「いったいどうしたのですか?」
「実はなぁ、
今度 国王の命で
深谷国という遠い国に赴任する事になったんだよ。
第一夫人も第二夫人も第三夫人までも
一緒に行ってはくれないんだそうだよ。
キミもそんな遠くて野蛮な国に
一緒に行くのは嫌だろうなぁ」
第四夫人「何を言っているんですか!
私はあなたの妻です。
もちろん一緒にお供します。
お供させてください」
と言って にっこり微笑みました。
1カ月後、旅立ちの日、
第一夫人は 今日が長官の出発の日だということすら忘れて、
豪奢な家の 豪奢な部屋で 近習の者たちと、
ご馳走を食べ、遊び惚けていました。
第二夫人は 屋敷の窓から手を振って
長官を見送ってくれましたが、
もう片方の手は
窓の外から見えないように隠れていた別の男性の手を
しっかりと握っていました。
第三夫人は家族と共に
長官を 寄居国の門、国境まで
「どうぞご無事で」
と涙を流しながら見送ってくれました。
そして、第四夫人だけが かいがいしく長官に寄り添って、
共に旅立って行った。
という物語です。
さて、ここで言う豊かで美しい寄居国とは、
私たちが今暮らしている「この世」です。
野蛮で荒んだ深谷国とは「あの世」です。
では、第一夫人とは・・・ それは自分の肉体です。
生まれてから死ぬまで 人は肉体の快楽のために
我慢をし尽くして生きていますが、
死んだら肉体は荼毘に付され、
土に埋められ、
滅びて無くなってしまいます。
第二夫人とは 自分の財産です。
人と争って手に入れたたくさんの財産も、
あの世まで持って行く事はできません。
自分が死んだら、他の人の物になってしまいます。
第三夫人は 家族・親戚です。
親族は あなたの死を 涙を流して悲しんでくれますが、
一緒に死んでまではくれません。
それでは 第四夫人とは?・・・ それは自分の心です。
肉体が滅んでも、
財産が無くたって、
寄り添う家族・親族がいなくなっても、
死んでも
自分自身の心は ずっと自分自身と共にあるんです。
心は魂の事です。
心とは 人の命の源泉です、そのものなんです。
つづく
お城に赴きました。
「王様自らのお呼び出しとは、
いったいどんな御用なのだろう?」
ドキドキしながら謁見の間に通された長官でしたが、
国王は
「長官、君のお陰で、この寄居国は美しく平和で
富栄えている。
ありがとう」
と、並み居る重臣たちの前で、
最上級の言葉で長官を讃えました。
そして
「実は、私の友人の王様が治めている深谷国が
荒れ果て、国民たちが争いばかりで、
とてもひどい有り様になってしまっているらしい。
ついては 長官、君の手腕を見込んで、
甚だ遠い深谷国だが、
かの国を 平和な国にしてやってきて欲しい」
と命じました。
王様から直々に重大な仕事を依頼された事に感激しながら、
長官は その足で 第一夫人の家に向かいました。
「今、国王様から直々に、
深谷国の治安を守るように頼まれた。
この仕事は とても名誉な仕事だ。
1カ月後に 深谷に向けて出発するから
準備をしておきなさい」
それを聞いた第一夫人は、
「深谷国って どこにあるんですか?
聞いた事もありません。
きっと野蛮な国に違いありませんよね。
私はそんな国に行くなんて絶対嫌です。
あなた一人で行って下さい」
と答えました。
頭にきた長官は、次に第二夫人の元へ向かいました。
「実は今日、王様から かくかくしかじか。
第一夫人は 行ってくれないそうだ。
第二夫人のキミを連れて行く。
そのつもりでいてくれ」
第二夫人「そんな遠い国に行くなんて大変ですねぇ。
私だってそんな遠い国に行くのは嫌ですよ、
あなた一人で行って下さい」
という返事。
「こんなに大事にしているのに 第二夫人までもか」
とむしろ戸惑いながら、
長官は 第三夫人の元へ向かいます。
「実は今日、王様から かくかくしかじか。
第一夫人と第二夫人は 一緒に行ってくれないそうだ。
キミは一緒に行ってくれるよな」
それを聞いた第三夫人は 驚いた顔をしながら
「お供をしたいのはやまやまですが、
私は 年老いたお父様、お母様と、
幼い子供たちの面倒を見なければなりません。
一緒には行けません。
遠路深谷国まで大変でしょうが、
くれぐれも気を付けて行って下さい」
との返事。
がっかりした長官は 自分の家に帰ります。
肩を落として帰宅した長官を見た第四夫人。
「いったいどうしたのですか?」
「実はなぁ、
今度 国王の命で
深谷国という遠い国に赴任する事になったんだよ。
第一夫人も第二夫人も第三夫人までも
一緒に行ってはくれないんだそうだよ。
キミもそんな遠くて野蛮な国に
一緒に行くのは嫌だろうなぁ」
第四夫人「何を言っているんですか!
私はあなたの妻です。
もちろん一緒にお供します。
お供させてください」
と言って にっこり微笑みました。
1カ月後、旅立ちの日、
第一夫人は 今日が長官の出発の日だということすら忘れて、
豪奢な家の 豪奢な部屋で 近習の者たちと、
ご馳走を食べ、遊び惚けていました。
第二夫人は 屋敷の窓から手を振って
長官を見送ってくれましたが、
もう片方の手は
窓の外から見えないように隠れていた別の男性の手を
しっかりと握っていました。
第三夫人は家族と共に
長官を 寄居国の門、国境まで
「どうぞご無事で」
と涙を流しながら見送ってくれました。
そして、第四夫人だけが かいがいしく長官に寄り添って、
共に旅立って行った。
という物語です。
さて、ここで言う豊かで美しい寄居国とは、
私たちが今暮らしている「この世」です。
野蛮で荒んだ深谷国とは「あの世」です。
では、第一夫人とは・・・ それは自分の肉体です。
生まれてから死ぬまで 人は肉体の快楽のために
我慢をし尽くして生きていますが、
死んだら肉体は荼毘に付され、
土に埋められ、
滅びて無くなってしまいます。
第二夫人とは 自分の財産です。
人と争って手に入れたたくさんの財産も、
あの世まで持って行く事はできません。
自分が死んだら、他の人の物になってしまいます。
第三夫人は 家族・親戚です。
親族は あなたの死を 涙を流して悲しんでくれますが、
一緒に死んでまではくれません。
それでは 第四夫人とは?・・・ それは自分の心です。
肉体が滅んでも、
財産が無くたって、
寄り添う家族・親族がいなくなっても、
死んでも
自分自身の心は ずっと自分自身と共にあるんです。
心は魂の事です。
心とは 人の命の源泉です、そのものなんです。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(7)
第3章 あなたの大切な奥さま(旦那さま)は?
これは、みなさんに、
インドの昔話を 少しわかりやすく
私なりに改めた物語、創作脚本です。
「奥さまは?」としましたが、
インドもカースト制度の延長で 男尊女卑の傾向があったので、
原文がそうなっているので
お赦し下さい。
女性の皆さんは
「旦那さまは?」と言い直していただいても
もちろん結構です。
昔 インドに 平和で文化水準が高く、
産業も発達した 豊かな美しい国がありました。
(インドも日本と同じで、
昔はたくさんの国が別々に寄り集まっていたんですが、
その中でも秀でた先進国)
その国を仮に寄居国としましょう。
寄居国の警察庁長官には4人の奥さんがいました。
(今言ったようなことで、一夫多妻は 当時のインド地方の常、
女性の皆さん、元々の物語がそうなっているんで、
くれぐれもお赦し下さい)
第一夫人は 長官の幼馴染の女性です。
子供の頃から いつも一緒、
大好きな女性で、
いつも これでもかこれでもかと溺愛していて、
その女性のために お城のような豪邸を建てて、
「キミを 心から愛しているよ
I love you. I need you. 」
と毎日会いに訪れていました。
第二夫人は、長官が街を巡察していた時に見初めた美しい女性です。
「私は、この国の警察庁長官である。
君は美しい、私の第二夫人にならないか」
と声を掛けます。
女性は
「長官の事は よく存じています。
凛々しいお姿に いつもあこがれていました。
ぜひ 第二夫人にしていただきたいのですが、
私には既に許嫁がいるので、
とても残念ですが
長官とは結婚できません」
と言いました。
長官「では その許嫁とやらと決闘をして、
私が勝ったら私の第二夫人になりなさい」
かたや町人、かたや百戦錬磨の警察庁長官、
当然のように長官が勝って、
女性は長官の第二夫人になりました。
長官は 美しい第二夫人に悪い虫がつかないように
完璧なセキュリティーを備えた要塞のような家を建て、
1カ月に1回ほどの割合で その女性の元を訪れ
「キミはいつ見ても美しいなぁ
Very very beautiful.」
と愛でていました。
第三夫人は お見合い結婚の相手です。
長官の両親が
「お前も警察庁長官になったんだから、
しかるべき家柄の しかるべき女性を
奥さんにしなければいけないよ」
とお見合い話を持ち掛けました。
最初は 長官は
「私には もう2人の妻がいます。
3人目の妻は考えていません」
と辞退したのですが、
両親があまりにも熱心に言うので、
何度かのお見合いでい見初めた女性を
第三夫人にしました。
女性のためには ごく普通の住宅を建てて、
両親の面倒を見させながら一緒に住まわせ、
半年から1年に1度の割合で 様子を見に訪れていました。
第四夫人は押しかけ女房です。
一人暮らしの長官には
身の回りの面倒を見てくれている女性が
もともと いました。
その女性が ある時 長官に言いました。
「ご主人様、
私はご主人様を心から尊敬しています。
ぜひ4番目の奥さんにして下さい。
長官は答えます。
「知っての通り、私には もう3人の妻がいる。
もう 妻はいらないんだよ」
女性「お側に置いていただけるだけで、結構です。
家も何もいりません。
今まで通り
ご主人様のお世話をさせていただけるだけで十分です」
長官「そんなに言うのなら、名前だけでいいのなら、
4番目の妻にしてあげよう。
今まで通り、私の身の回りの世話をよろしく頼むよ」
と 決まった家も建ててあげないで、
掃除、洗濯、食事の用意と、
それまでと同じように、相変わらずこき使っていました。
つづく
これは、みなさんに、
インドの昔話を 少しわかりやすく
私なりに改めた物語、創作脚本です。
「奥さまは?」としましたが、
インドもカースト制度の延長で 男尊女卑の傾向があったので、
原文がそうなっているので
お赦し下さい。
女性の皆さんは
「旦那さまは?」と言い直していただいても
もちろん結構です。
昔 インドに 平和で文化水準が高く、
産業も発達した 豊かな美しい国がありました。
(インドも日本と同じで、
昔はたくさんの国が別々に寄り集まっていたんですが、
その中でも秀でた先進国)
その国を仮に寄居国としましょう。
寄居国の警察庁長官には4人の奥さんがいました。
(今言ったようなことで、一夫多妻は 当時のインド地方の常、
女性の皆さん、元々の物語がそうなっているんで、
くれぐれもお赦し下さい)
第一夫人は 長官の幼馴染の女性です。
子供の頃から いつも一緒、
大好きな女性で、
いつも これでもかこれでもかと溺愛していて、
その女性のために お城のような豪邸を建てて、
「キミを 心から愛しているよ
I love you. I need you. 」
と毎日会いに訪れていました。
第二夫人は、長官が街を巡察していた時に見初めた美しい女性です。
「私は、この国の警察庁長官である。
君は美しい、私の第二夫人にならないか」
と声を掛けます。
女性は
「長官の事は よく存じています。
凛々しいお姿に いつもあこがれていました。
ぜひ 第二夫人にしていただきたいのですが、
私には既に許嫁がいるので、
とても残念ですが
長官とは結婚できません」
と言いました。
長官「では その許嫁とやらと決闘をして、
私が勝ったら私の第二夫人になりなさい」
かたや町人、かたや百戦錬磨の警察庁長官、
当然のように長官が勝って、
女性は長官の第二夫人になりました。
長官は 美しい第二夫人に悪い虫がつかないように
完璧なセキュリティーを備えた要塞のような家を建て、
1カ月に1回ほどの割合で その女性の元を訪れ
「キミはいつ見ても美しいなぁ
Very very beautiful.」
と愛でていました。
第三夫人は お見合い結婚の相手です。
長官の両親が
「お前も警察庁長官になったんだから、
しかるべき家柄の しかるべき女性を
奥さんにしなければいけないよ」
とお見合い話を持ち掛けました。
最初は 長官は
「私には もう2人の妻がいます。
3人目の妻は考えていません」
と辞退したのですが、
両親があまりにも熱心に言うので、
何度かのお見合いでい見初めた女性を
第三夫人にしました。
女性のためには ごく普通の住宅を建てて、
両親の面倒を見させながら一緒に住まわせ、
半年から1年に1度の割合で 様子を見に訪れていました。
第四夫人は押しかけ女房です。
一人暮らしの長官には
身の回りの面倒を見てくれている女性が
もともと いました。
その女性が ある時 長官に言いました。
「ご主人様、
私はご主人様を心から尊敬しています。
ぜひ4番目の奥さんにして下さい。
長官は答えます。
「知っての通り、私には もう3人の妻がいる。
もう 妻はいらないんだよ」
女性「お側に置いていただけるだけで、結構です。
家も何もいりません。
今まで通り
ご主人様のお世話をさせていただけるだけで十分です」
長官「そんなに言うのなら、名前だけでいいのなら、
4番目の妻にしてあげよう。
今まで通り、私の身の回りの世話をよろしく頼むよ」
と 決まった家も建ててあげないで、
掃除、洗濯、食事の用意と、
それまでと同じように、相変わらずこき使っていました。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(6)
では、その感覚を司る身体の器官は何でしょう?
それは「心」です。
その心は 体のどこにありますか?
「心臓」ですか?
心臓は 体の器官の中枢ですが
物を考えたりはできません。
では「脳」ですか?
確かに今の医学・科学では
そう言うかもしれませんが、
医学者、解剖学者、作家でもあった養老孟子先生は、
「脳は肉体で 心は精神である」と、
肉体である脳と 精神である心を 分けています
(精神の神という字は 同じくシンと読む心の事で、
心は神なんです)。
ところで、人が何かを夢中のなって、真剣に、懸命に、
思い、考えるエネルギーは
膨大ですさまじいほど強いものだと思います。
その膨大ですさまじいエネルギーを作り出しているのは
「心」です。
ところが、身体の中には 心という器官が どこにも無い!
無いけれども有る!
有るけど無い!
無いものは無くならない!!
だから「心は有る!!!」
心 を言い換えれば 魂 です。
霊 です。
霊魂 です。
難しく言えば、肉体にある五感は
生まれてもいずれ無くなる 生まれ滅する「生滅」、
第六感の 心 ・ 魂 は
生まれもせず滅しもしない「不生不滅」
という論理分析です。
ところで、1901年、
ダンカン・マクドゥーガルという学者が、
魂の重さは 平均21gであると
ある学会で発表しました。
彼の研究は、
6人の死期の近い被験者の 死ぬ間際の体重と、
息を引き取って間もなくの人の体重を
比較した結果、
人間は 死ぬと 平均21g軽くなり、
それが魂の重さであるというものでした。
その真偽はともかく、
心・魂の存在を 科学的に立証しようとした試みが
20世紀のはじめにはあった
という事です。
そして今も、
科学者による魂の存在についての研究は続いています。
閑話休題
さて、科学とかじゃなくても、
昔から日本人は、
「魂はある」と思っていたようです。
或いは、「魂はあってほしい」「あった方が良い」
と考えていたようです。
魂はある と信じて、
ご先祖や、大切な人や、尊敬する人たちに見守られていたい、
その人たちに恥ずかしくない人生を送っていこう・・・。
それから、
自分の肉体は滅びても、
魂になって
大切な人たちを見守っていきたい、
助けてあげたい、
愛し続けたい・・・。
という、日本人の
優しくて、あたたかくて、素晴らしい思い、
私たちのご先祖は 素敵な心をもっていたんですねぇ。
心は魂で、今日のテーマ 命とは何か を
究極まで突き詰めていくと
それは
不生不滅の心・魂 という事になると 私は思います。
つづく
それは「心」です。
その心は 体のどこにありますか?
「心臓」ですか?
心臓は 体の器官の中枢ですが
物を考えたりはできません。
では「脳」ですか?
確かに今の医学・科学では
そう言うかもしれませんが、
医学者、解剖学者、作家でもあった養老孟子先生は、
「脳は肉体で 心は精神である」と、
肉体である脳と 精神である心を 分けています
(精神の神という字は 同じくシンと読む心の事で、
心は神なんです)。
ところで、人が何かを夢中のなって、真剣に、懸命に、
思い、考えるエネルギーは
膨大ですさまじいほど強いものだと思います。
その膨大ですさまじいエネルギーを作り出しているのは
「心」です。
ところが、身体の中には 心という器官が どこにも無い!
無いけれども有る!
有るけど無い!
無いものは無くならない!!
だから「心は有る!!!」
心 を言い換えれば 魂 です。
霊 です。
霊魂 です。
難しく言えば、肉体にある五感は
生まれてもいずれ無くなる 生まれ滅する「生滅」、
第六感の 心 ・ 魂 は
生まれもせず滅しもしない「不生不滅」
という論理分析です。
ところで、1901年、
ダンカン・マクドゥーガルという学者が、
魂の重さは 平均21gであると
ある学会で発表しました。
彼の研究は、
6人の死期の近い被験者の 死ぬ間際の体重と、
息を引き取って間もなくの人の体重を
比較した結果、
人間は 死ぬと 平均21g軽くなり、
それが魂の重さであるというものでした。
その真偽はともかく、
心・魂の存在を 科学的に立証しようとした試みが
20世紀のはじめにはあった
という事です。
そして今も、
科学者による魂の存在についての研究は続いています。
閑話休題
さて、科学とかじゃなくても、
昔から日本人は、
「魂はある」と思っていたようです。
或いは、「魂はあってほしい」「あった方が良い」
と考えていたようです。
魂はある と信じて、
ご先祖や、大切な人や、尊敬する人たちに見守られていたい、
その人たちに恥ずかしくない人生を送っていこう・・・。
それから、
自分の肉体は滅びても、
魂になって
大切な人たちを見守っていきたい、
助けてあげたい、
愛し続けたい・・・。
という、日本人の
優しくて、あたたかくて、素晴らしい思い、
私たちのご先祖は 素敵な心をもっていたんですねぇ。
心は魂で、今日のテーマ 命とは何か を
究極まで突き詰めていくと
それは
不生不滅の心・魂 という事になると 私は思います。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(5)
第2章 生きているってなんだ!?
仏教は(今度はちょっとだけ仏教のお話です)、
二千五百年前に、
まぁ、史実の上でも 少なくとも千年以上前に、
メモに書いたような事を
考えていたんですねぇ。
人が生きているという感覚を持てるのは
どういう時か?
それは、何かを認識できた時ですよね。
①まず、人間の身体には 目がある。
目でものを見る事ができる。
あそこに花が咲いている、
お寺がある、
住職さんが草取りをしている などなど
②目を閉じても 耳がある。
耳で音や声を聴く事ができる。
風の音、雨の音、
お坊さんがお経を読んでいる声、
ご主人の鼻歌 などなど
③目を閉じて 耳をふさいでも 鼻がある。
鼻で匂いを嗅ぐ事ができる。
お香の匂いがする、
花の香りがする、
奥さんが作っている夕餉を用意する匂い などなど
④今度は鼻もつまんでしまいましょう。
でも口がある。
口に入れたものを 舌の上で転がす。
これはリンゴだ、これはチョコレートだ、
お肉だ、お魚だ などなど
⑤口も閉じてしまいましょう。
でも、触ればそれが何なのかわかりますよね。
机だ、本だ、洋服だ、グラスだ などなど
この5つの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を
五感と言います。
ただ、五感だけでは それをそれと感じる事はできません。
そこでこの五感の外にもうひとつの、
所謂 「感」というものがあります。
「昨日の競馬で、勘が働いて大穴当てたんだよ」
の第六感です。
つまり、
花を見てきれいだ。
大好きな音楽を聴いて落ち着く。
お香の匂いで癒される。
美味しいワインを飲んで 明日への活力がみなぎってくる。
可愛い猫ちゃんを撫でていると 優しい気持ちになってくる。
その「思い・感情」というのが
第六番目の「感」 第六感です。
つづく
仏教は(今度はちょっとだけ仏教のお話です)、
二千五百年前に、
まぁ、史実の上でも 少なくとも千年以上前に、
メモに書いたような事を
考えていたんですねぇ。
人が生きているという感覚を持てるのは
どういう時か?
それは、何かを認識できた時ですよね。
①まず、人間の身体には 目がある。
目でものを見る事ができる。
あそこに花が咲いている、
お寺がある、
住職さんが草取りをしている などなど
②目を閉じても 耳がある。
耳で音や声を聴く事ができる。
風の音、雨の音、
お坊さんがお経を読んでいる声、
ご主人の鼻歌 などなど
③目を閉じて 耳をふさいでも 鼻がある。
鼻で匂いを嗅ぐ事ができる。
お香の匂いがする、
花の香りがする、
奥さんが作っている夕餉を用意する匂い などなど
④今度は鼻もつまんでしまいましょう。
でも口がある。
口に入れたものを 舌の上で転がす。
これはリンゴだ、これはチョコレートだ、
お肉だ、お魚だ などなど
⑤口も閉じてしまいましょう。
でも、触ればそれが何なのかわかりますよね。
机だ、本だ、洋服だ、グラスだ などなど
この5つの視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚を
五感と言います。
ただ、五感だけでは それをそれと感じる事はできません。
そこでこの五感の外にもうひとつの、
所謂 「感」というものがあります。
「昨日の競馬で、勘が働いて大穴当てたんだよ」
の第六感です。
つまり、
花を見てきれいだ。
大好きな音楽を聴いて落ち着く。
お香の匂いで癒される。
美味しいワインを飲んで 明日への活力がみなぎってくる。
可愛い猫ちゃんを撫でていると 優しい気持ちになってくる。
その「思い・感情」というのが
第六番目の「感」 第六感です。
つづく
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生まれて生きて死んでそれから・・・(4)
⑱ 赤ちゃんの産着や 亡くなった人の死装束、
場合によっては 額や足の裏に、
✖・☆・※・大や犬の字などを書いて、
魔除けにする事が同じ習俗。
⑲ 出産に伴う血穢と 死ぬ事の死穢、
「穢」というのは 恐れ という意味で、
竈の火によって伝染すると言われているので、
昔はそれぞれの場面での それぞれのご飯は
別々の竈で炊かれていました。
恐れを伴うという意識が同じです。
以上、大急ぎでした。
こんなふうに 生と死を比べてみると、
どうやら 私たちのご先祖さんたち 日本人は、
大切な人が亡くなっても、
或いは、自分が死んでも、
また人間の誰かになって生まれ変わるんだ、生まれ変わりたい、
と願っていた。
自分の子供は、或いは 孫は、
昔の誰か偉い人の生まれ変わりなんだ、
こんなにかわいくて、賢いんだからそうに違いない、
と思っていた、信じていたようですね。
これを 自己中、自己中心的だとか、「親バカだ」とか言う前に、
こんな考え方をする日本人は、
生まれた赤ちゃん、子供たちに対する
あったか~い、深~い、優し~い 愛情、
ご先祖様に対する愛惜、報恩感謝の思いが
あったのだと思います。
生まれて 生きて 死んでも
また どこかに生まれて 生きて・・・
そうして、先祖に感謝し、子孫を愛し・・・
という事を繰り返しているのです。
この章の最後に
2つほど付け加えさせていただきます。
生まれるという事について。
体内記憶という言葉をご存知でしょうか?
心臓疾患で生まれてきた、いんやく りお という子の
「自分をえらんで生まれてきたよ」という詩集があります。
母親が看病しながら りお君の言葉を書き留めたものです。
赤ちゃんは 母親のおなかの中にいる時の記憶がある。
生まれる前の記憶です。
更には、命が宿る前の記憶さえある。
それをこの詩集が証明しています。
池川明 池川クリニック院長の見解です。
次に、死という事について。
故 日野原重明医師の言葉です。
「人生というのは、川の流れの如きものである。
川はやがて海に至る。
死 とは 海 である。
滔々と流れ来た人生が、最後は 大海原でゆったりと落ち着く」
という内容だったと記憶しています。
2つとも 今日の生と死の問題について、
興味深い話だったので ご紹介させていただきました。
いろいろ余計な事も言っちゃいました。
瀧川、時々 嘘をついて、人を化かしたり、煙に巻いたりしますから、
「取り扱い注意」です。
話を変えます。
つづく
拙著『法事』
場合によっては 額や足の裏に、
✖・☆・※・大や犬の字などを書いて、
魔除けにする事が同じ習俗。
⑲ 出産に伴う血穢と 死ぬ事の死穢、
「穢」というのは 恐れ という意味で、
竈の火によって伝染すると言われているので、
昔はそれぞれの場面での それぞれのご飯は
別々の竈で炊かれていました。
恐れを伴うという意識が同じです。
以上、大急ぎでした。
こんなふうに 生と死を比べてみると、
どうやら 私たちのご先祖さんたち 日本人は、
大切な人が亡くなっても、
或いは、自分が死んでも、
また人間の誰かになって生まれ変わるんだ、生まれ変わりたい、
と願っていた。
自分の子供は、或いは 孫は、
昔の誰か偉い人の生まれ変わりなんだ、
こんなにかわいくて、賢いんだからそうに違いない、
と思っていた、信じていたようですね。
これを 自己中、自己中心的だとか、「親バカだ」とか言う前に、
こんな考え方をする日本人は、
生まれた赤ちゃん、子供たちに対する
あったか~い、深~い、優し~い 愛情、
ご先祖様に対する愛惜、報恩感謝の思いが
あったのだと思います。
生まれて 生きて 死んでも
また どこかに生まれて 生きて・・・
そうして、先祖に感謝し、子孫を愛し・・・
という事を繰り返しているのです。
この章の最後に
2つほど付け加えさせていただきます。
生まれるという事について。
体内記憶という言葉をご存知でしょうか?
心臓疾患で生まれてきた、いんやく りお という子の
「自分をえらんで生まれてきたよ」という詩集があります。
母親が看病しながら りお君の言葉を書き留めたものです。
赤ちゃんは 母親のおなかの中にいる時の記憶がある。
生まれる前の記憶です。
更には、命が宿る前の記憶さえある。
それをこの詩集が証明しています。
池川明 池川クリニック院長の見解です。
次に、死という事について。
故 日野原重明医師の言葉です。
「人生というのは、川の流れの如きものである。
川はやがて海に至る。
死 とは 海 である。
滔々と流れ来た人生が、最後は 大海原でゆったりと落ち着く」
という内容だったと記憶しています。
2つとも 今日の生と死の問題について、
興味深い話だったので ご紹介させていただきました。
いろいろ余計な事も言っちゃいました。
瀧川、時々 嘘をついて、人を化かしたり、煙に巻いたりしますから、
「取り扱い注意」です。
話を変えます。
つづく
拙著『法事』
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生まれて・生きて・死んでそれから・・・(3)
⑭ 赤ちゃんが生まれてからの1年間、
お葬式の後の1年間には、
2年目以降にはやらない特別なお祝いや供養をする事が同じです。
例えば 子供の初めて迎えるお正月には
破魔弓や羽子板を贈ったり
初節句をお祝いしたりする事や、
新精霊の新盆、初彼岸、喪中欠礼なんかです。
⑮ 日本人は みんなお正月に一斉にお誕生日を迎え、
歳を取るわけですが、
一年目だけは特別にお誕生祝をします。
亡くなった人の一周忌、
どちらも1年目に儀式・儀礼をします。
⑯ 七五三のお祝いと、三回忌・七回忌。
五は違いますが、三と七が同じ!
⑰ 女の子は13歳になると 虚空蔵様をお参りして、
帰って来て腰巻を巻きます。
これは 神の子であった女の子が 人間の女の人になる、
いわゆる成人式で、
この日以降 お嫁に行く事が許されるようになります。
亡くなった人の十三回忌の供養と、
13年目とは別ですが、
「不動 釈迦・・・」で始まる十三仏念仏の最後が
「阿しゅく 大日 虚空蔵。」で 虚空蔵菩薩。
三十三回忌の虚空蔵様が終わると、
亡くなった人は 年忌明けして あの世での修行を終えて
氏神になる。
13という数字が一致するという事と、
虚空蔵菩薩という仏様を介して
神から人へ、人から神へと変わるんです。
ここで、ちょっとコマーシャルさせていただきます。
今の何回忌とかの忌日や年忌についての詳しいお話は、
令和6年6月4日発行、
瀧川善海著、つまり私なんですが、
『法事』という題名の本を書いて
一般在家さんの目線で 詳しく解説させていただきました。
この本なんですが、
『法事 —— 附 三千仏名経・盂蘭盆経・地蔵経 』
日本人にとって法事とは? その定義・歴史・思想・習俗・法要等を
平易に解説
本書は、ご先祖供養の年回「法事」の外、
「盂蘭盆会」、「施餓鬼会」、「地蔵盆」、
お釈迦さまは何をお悟りになったのかの「成道会」、
「仏名会」などについて論じ、
過去現在未来の仏さまを全部書き上げた「三千仏名経」等を
収録させていただいています。
300部限定なので、
製作費が1部約1万円もかかっているんですが、
多くの人に読んでもらいたいので
半額は著者買いで私が出していますので、
送料別一冊5000円 ヤマト便代引きで
出版社を通してお譲りさせていただきます。
ご興味があったら宜しくお願いします。
すみません、話を進めます。
つづく
お葬式の後の1年間には、
2年目以降にはやらない特別なお祝いや供養をする事が同じです。
例えば 子供の初めて迎えるお正月には
破魔弓や羽子板を贈ったり
初節句をお祝いしたりする事や、
新精霊の新盆、初彼岸、喪中欠礼なんかです。
⑮ 日本人は みんなお正月に一斉にお誕生日を迎え、
歳を取るわけですが、
一年目だけは特別にお誕生祝をします。
亡くなった人の一周忌、
どちらも1年目に儀式・儀礼をします。
⑯ 七五三のお祝いと、三回忌・七回忌。
五は違いますが、三と七が同じ!
⑰ 女の子は13歳になると 虚空蔵様をお参りして、
帰って来て腰巻を巻きます。
これは 神の子であった女の子が 人間の女の人になる、
いわゆる成人式で、
この日以降 お嫁に行く事が許されるようになります。
亡くなった人の十三回忌の供養と、
13年目とは別ですが、
「不動 釈迦・・・」で始まる十三仏念仏の最後が
「阿しゅく 大日 虚空蔵。」で 虚空蔵菩薩。
三十三回忌の虚空蔵様が終わると、
亡くなった人は 年忌明けして あの世での修行を終えて
氏神になる。
13という数字が一致するという事と、
虚空蔵菩薩という仏様を介して
神から人へ、人から神へと変わるんです。
ここで、ちょっとコマーシャルさせていただきます。
今の何回忌とかの忌日や年忌についての詳しいお話は、
令和6年6月4日発行、
瀧川善海著、つまり私なんですが、
『法事』という題名の本を書いて
一般在家さんの目線で 詳しく解説させていただきました。
この本なんですが、
『法事 —— 附 三千仏名経・盂蘭盆経・地蔵経 』
日本人にとって法事とは? その定義・歴史・思想・習俗・法要等を
平易に解説
本書は、ご先祖供養の年回「法事」の外、
「盂蘭盆会」、「施餓鬼会」、「地蔵盆」、
お釈迦さまは何をお悟りになったのかの「成道会」、
「仏名会」などについて論じ、
過去現在未来の仏さまを全部書き上げた「三千仏名経」等を
収録させていただいています。
300部限定なので、
製作費が1部約1万円もかかっているんですが、
多くの人に読んでもらいたいので
半額は著者買いで私が出していますので、
送料別一冊5000円 ヤマト便代引きで
出版社を通してお譲りさせていただきます。
ご興味があったら宜しくお願いします。
すみません、話を進めます。
つづく
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生まれて・生きて・死んで・それから・・・(2)
② 赤ちゃんの元気な産声と、喪主の魂呼びなど。
大きな声を出すのが同じ!
③ 出産した時の産飯と、人が亡くなった後の 枕飯や 四十九餅など。
ご飯を作るという事が同じ!
④ 生まれた後の 三日祝いと、お葬式の後の 三日斎。
三の数字と宴会をするという事が同じ!
この宴会は、「共」という字を書く「共食」です。
⑤ 赤ちゃんが初めて会う人は 産婆さん。
亡くなった人が初めて会う人は 三途の川のほとりに陣取る奪衣婆。
どっちも初めて会うのは 年を取った女性です。
⑥ 赤ちゃんは産湯で、亡くなったひとは湯潅で、
どちらもお風呂に入って体を清めます。
⑦ 産湯の赤ちゃんは 産着に着替えます。
亡くなった人は 死装束に着替えます。
着替えをするのが同じ!
⑧ 赤ちゃんは 産屋で生まれ、ご遺体は喪屋に納められます。
どちらも 神さまの領域である特別な空間に移ります。
⑨ 赤ちゃんが生まれると お父さんは
近くの神社で 石を拾ってきて神棚に供え、
その赤ちゃんが歳をとって亡くなると
喪主が その石で棺を2度たたき、
お葬式の後 石を神社に返しに行きます。
どちらも 石です。
⑩ 赤ちゃんの御七夜のお祝い、
これまでに名前が付けられます。
亡くなった人の初七日の供養と お戒名の授与。
七の数字と 新しく名前が変わる事が同じ!
⑪ お誕生の 日明餅と、お葬式の長寿銭や遺物料。
御祝儀の御裾分けと 故人の遺産分け、同じ事をしています。
⑫ お誕生100日目のお食い初めと、百箇日の供養。
どちらも100。
つづく
大きな声を出すのが同じ!
③ 出産した時の産飯と、人が亡くなった後の 枕飯や 四十九餅など。
ご飯を作るという事が同じ!
④ 生まれた後の 三日祝いと、お葬式の後の 三日斎。
三の数字と宴会をするという事が同じ!
この宴会は、「共」という字を書く「共食」です。
⑤ 赤ちゃんが初めて会う人は 産婆さん。
亡くなった人が初めて会う人は 三途の川のほとりに陣取る奪衣婆。
どっちも初めて会うのは 年を取った女性です。
⑥ 赤ちゃんは産湯で、亡くなったひとは湯潅で、
どちらもお風呂に入って体を清めます。
⑦ 産湯の赤ちゃんは 産着に着替えます。
亡くなった人は 死装束に着替えます。
着替えをするのが同じ!
⑧ 赤ちゃんは 産屋で生まれ、ご遺体は喪屋に納められます。
どちらも 神さまの領域である特別な空間に移ります。
⑨ 赤ちゃんが生まれると お父さんは
近くの神社で 石を拾ってきて神棚に供え、
その赤ちゃんが歳をとって亡くなると
喪主が その石で棺を2度たたき、
お葬式の後 石を神社に返しに行きます。
どちらも 石です。
⑩ 赤ちゃんの御七夜のお祝い、
これまでに名前が付けられます。
亡くなった人の初七日の供養と お戒名の授与。
七の数字と 新しく名前が変わる事が同じ!
⑪ お誕生の 日明餅と、お葬式の長寿銭や遺物料。
御祝儀の御裾分けと 故人の遺産分け、同じ事をしています。
⑫ お誕生100日目のお食い初めと、百箇日の供養。
どちらも100。
つづく
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生まれて・生きて・死んで・それから・・・(1)
去る6月4日に
第55回 天台宗埼玉教区 一隅を照らす運動推進大会が
寄居の高蔵寺において開催されました。
その際に 「命」という壮大なテーマをいただき、
第二講座として講演をさせていただきました。
これはその講演をもとにしたものです。
第1章 死ぬことは生まれること!
このお話は、かれこれ15年以上前になりますか、
8部さんの霜月会でお話させていただいた事があります。
そのほかにも、埼玉県では、
4部さん、岩槻仏教会さん、本庄仏教会さんなんかでも
お話しました。
もう2度~3度 お聞きになっている方も、
もしかしたらいるかもしれませんが、
お赦し下さい。
さて、先ほど言い訳したように、
私は話が飛ぶので、
最初に第1章の結論、
演題の「生まれて 生きて 死んで それから・・・」
で言いたい事を 最初に言っておきます。
日本人は・・・(仏教は、ではないですよ。
私たちのご先祖である日本人は! です)
意識的に、あるいは 無意識のうちに、
死ぬという事は、
外のどこかに生まれ変わることだと考えていた。
考えようとしていた。
この事を、子供が生まれて成長していく過程でのお祝い
(通過儀礼って言うんですが)と、
人が亡くなった後のお葬式やご法事や
いろいろな供養(これはお寺さんのご専門ですが)
を比較する事によって証明してみた、
という事です。
資料の表は、
赤ちゃんが生まれて、子供が育っていく間のお祝いと、
ご両親とか 旦那様とか奥様とか、
大切な誰かが亡くなって、
お葬式をして、
そのあと 法事なんかをしていく過程での
共通する事を、
19項目 並べてみたものです。
ただし、この1つ1つを 詳しくお話していきますと、
2時間弱 お時間をいただかなくては無理なんです。
だから、第1章は 子供のお祝いと先祖供養の
何が同じなのか? という事と、
ちょっと気になる事を、“ササッ” “チャチャッ”と
お話して お赦しいただきます。
それでは。
① 妊婦さんが 妊娠5か月目に
水天宮や聖天様にお参りに行く帯祝いと、
自分が死ぬ前にする生前葬や 生前戒名をいただいたりする、
「逆修」 「豫修」。
それぞれに事前準備するのが同じ!
赤ちゃんの誕生・子供のお祝い お葬式・ご先祖の供養
① 帯祝い(妊娠5カ月ー水天宮、戌の日 豫修・逆修(生前戒名など)・枕経
② 出産 ⇒ 産声 臨終 ⇒ 魂呼び(通夜など)
③ 産飯(供食) 枕飯(一本箸)
・枕団子・精進落とし(供食)
④ 三日祝い 三日斎
⑤ 産婆 奪衣婆
⑥ 産湯 湯潅
⑦ 産着(三日衣装) 死装束
⑧ 産屋 喪屋(殯宮)
⑨ 寺社の小石 釘打式(鎖龕・起龕)
⑩ お七夜(命名) 初七日忌(戒名・法名・法号)
⑪ 宮参り(32~33日頃) 三十五日忌・四十九日忌
⑫ 菓子(日明餅) 遺物(料)・長寿銭
⑬ お食い初め 百箇日忌
⑭ 正月(破魔弓・羽子板)・初節句(人形 鯉幟)
新盆(新盆提灯 等)・初彼岸・喪中欠礼
⑮ お誕生 一周忌
⑯ 七五三(7歳までは神のうち) 三回忌・七回忌
⑰ 十三参り(虚空蔵参り)→ 成人 十三回忌・
三十三回忌(虚空蔵菩薩)→ 祖霊
⑱ (×・犬・☆・*) (×・+・☆)
⑲ 血穢 死穢
つづく
第55回 天台宗埼玉教区 一隅を照らす運動推進大会が
寄居の高蔵寺において開催されました。
その際に 「命」という壮大なテーマをいただき、
第二講座として講演をさせていただきました。
これはその講演をもとにしたものです。
第1章 死ぬことは生まれること!
このお話は、かれこれ15年以上前になりますか、
8部さんの霜月会でお話させていただいた事があります。
そのほかにも、埼玉県では、
4部さん、岩槻仏教会さん、本庄仏教会さんなんかでも
お話しました。
もう2度~3度 お聞きになっている方も、
もしかしたらいるかもしれませんが、
お赦し下さい。
さて、先ほど言い訳したように、
私は話が飛ぶので、
最初に第1章の結論、
演題の「生まれて 生きて 死んで それから・・・」
で言いたい事を 最初に言っておきます。
日本人は・・・(仏教は、ではないですよ。
私たちのご先祖である日本人は! です)
意識的に、あるいは 無意識のうちに、
死ぬという事は、
外のどこかに生まれ変わることだと考えていた。
考えようとしていた。
この事を、子供が生まれて成長していく過程でのお祝い
(通過儀礼って言うんですが)と、
人が亡くなった後のお葬式やご法事や
いろいろな供養(これはお寺さんのご専門ですが)
を比較する事によって証明してみた、
という事です。
資料の表は、
赤ちゃんが生まれて、子供が育っていく間のお祝いと、
ご両親とか 旦那様とか奥様とか、
大切な誰かが亡くなって、
お葬式をして、
そのあと 法事なんかをしていく過程での
共通する事を、
19項目 並べてみたものです。
ただし、この1つ1つを 詳しくお話していきますと、
2時間弱 お時間をいただかなくては無理なんです。
だから、第1章は 子供のお祝いと先祖供養の
何が同じなのか? という事と、
ちょっと気になる事を、“ササッ” “チャチャッ”と
お話して お赦しいただきます。
それでは。
① 妊婦さんが 妊娠5か月目に
水天宮や聖天様にお参りに行く帯祝いと、
自分が死ぬ前にする生前葬や 生前戒名をいただいたりする、
「逆修」 「豫修」。
それぞれに事前準備するのが同じ!
赤ちゃんの誕生・子供のお祝い お葬式・ご先祖の供養
① 帯祝い(妊娠5カ月ー水天宮、戌の日 豫修・逆修(生前戒名など)・枕経
② 出産 ⇒ 産声 臨終 ⇒ 魂呼び(通夜など)
③ 産飯(供食) 枕飯(一本箸)
・枕団子・精進落とし(供食)
④ 三日祝い 三日斎
⑤ 産婆 奪衣婆
⑥ 産湯 湯潅
⑦ 産着(三日衣装) 死装束
⑧ 産屋 喪屋(殯宮)
⑨ 寺社の小石 釘打式(鎖龕・起龕)
⑩ お七夜(命名) 初七日忌(戒名・法名・法号)
⑪ 宮参り(32~33日頃) 三十五日忌・四十九日忌
⑫ 菓子(日明餅) 遺物(料)・長寿銭
⑬ お食い初め 百箇日忌
⑭ 正月(破魔弓・羽子板)・初節句(人形 鯉幟)
新盆(新盆提灯 等)・初彼岸・喪中欠礼
⑮ お誕生 一周忌
⑯ 七五三(7歳までは神のうち) 三回忌・七回忌
⑰ 十三参り(虚空蔵参り)→ 成人 十三回忌・
三十三回忌(虚空蔵菩薩)→ 祖霊
⑱ (×・犬・☆・*) (×・+・☆)
⑲ 血穢 死穢
つづく
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御挨拶 6
●ところで、伝教大師は、ご自身のお弟子様たちを
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
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