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徒然なるままに その35

摩耶夫人と マハーパジャパティーと ヤショーダラが出てきたんで、
ついでに スジャータの事。



「6年間の苦行を 無意味なものとして放棄して、

 尼連禅河で沐浴したブッダに、

 村の娘 スジャータが 乳粥を献じて、

 ブッダは体力を回復し、

 菩提樹のしたで瞑想して 悟りを開いた」、



というのが、まぁ、誰でも知ってるお話ですが、



インドの古代資料を基として最近の研究では、
スジャータの乳粥供養は、ブッダが悟った後だった
という事がわかってきたようです。

ブッダは、腹ペコ状態で悟られたんでしょうか!






ただ、あんまりそんな事を公言すると、
コーヒーミルクの売れ行きに支障が出るとか出ないとかで、

苦行で 死を目前にしたブッダを救ったのは、
スジャータというかわいい娘さんだったという事です。

そういう事にしておきます。





今日は、ここまで!


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花ぼさつ 露ぼさつ

平成19年の年頭のご挨拶です。



     花ぼさつ 露ぼさつ



平成19年の初春を迎え、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様のご清栄を 心からお祈り申し上げます。



年末になると、つまり このご挨拶状を書き始める頃になると、
いつも家人にあきれられる事があります。

それは、翌年のカレンダーに つい こだわってしまう事です。

家のどこに どんなカレンダーを置くか。

これをここに、
あれをあそこに、
茶の間はこれで、
トイレはあれでと。



カレンダーの中は、いろいろ。

絵も 写真も 字も 日付だけのものも。

絵といっても 平山郁夫画伯の絵もあれば、
小さな子供の拙い絵もある。

写真も 大自然、祭り、生け花や人物 等々。



カレンダーを月末にめくると 部屋が一変します。

それが楽しいし、1ヶ月か2ヶ月おきに代わるから飽きない、
でもじっくり見られます。

そして、気分が高ぶっているときは落ち着きと反省を、
落ち込んでいる時は 元気をもらえます。



お気に入りのカレンダーの中から 去年1年を振り返ってみると、

1月   人生 笑った者勝ち。

     「笑者は勝者」なり。


2月   あなたが笑うだけで 幸せになる人がいます。

     笑顔は誰でも持っているステキな薬。

     あなたが笑うだけで 幸せになる人がいます。


3月   相手の心を思うと書いて「想う」。

     想ったり、想われたり、忘れちゃいけない 想う事。


4月   楽しみ作ろう「作楽(さくら)」


5月   晴れ 時々も 晴れ


6月   外は雨でも 中(こころ)は いつも晴れが良い


7月   ありがとうの花のそばには ありがとうの花が咲く。

     ありがとう色の花が咲く。

     ありがとう香る花が咲く。

     すごくキレイナ花が咲く。


8月   「花火」

     暗いなら 心(夜空)にドカンと

     笑顔(花火)を打ち上げよう。


9月   晴れだと思えば晴れさ。

     そう思わなきゃ 晴れるもんも晴れんでしょ。

     「本日快晴」


10月  笑顔が似合う人。

     それは幸せも似合う人。


11月  なんだそんな事。

     大丈夫。 忘れていいよ。

     それは明日に持っていかなくて良いもんだから。


12月  あせらなくても大丈夫。

     それでも明日はやってくる。

     あせらなくも大丈夫。

     あなたはあなた。

     大丈夫、大丈夫。






こんな言葉たち、絵や写真、記念日や予定日が書き込まれたカレンダーに、
どれだけ勇気づけられたか、
どれだけ癒されたか、
どれだけ慰められたか。

カレンダーさん、365日間 ありがとう。



お釈迦様は、
人々が幸せであるように、幸せになれるように
お諭し下さいました。

厳しい修行、難しい学問や言葉を誇る事が
お釈迦様の思いでは ないはずです。

大切な事は、
どこにお釈迦様を感じるか、何に仏教を学ぶか 
ではないでしょうか。 



トンチの一休禅師は
「しゃかという いたづらものか 世に出でて
 おほくの人をまよわする哉」
と 当時の仏教に対する認識(仏教界の態勢)を戒めています。

要は 自分自身の問題。

花に、
露(しずく)に、
鳥や虫たちに、
頬をなでる風や 雨の音に、
家族に、
友達に、
それから カレンダーの中にも
お釈迦様の教えは あると思うのです。



あなたのお幸せを 心からお祈りします。


 
                    山主合掌



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徒然なるままに その34

浄飯王は、摩耶奥さま亡き後、
その妹 マハーパジャパティーと結婚しますが、

当時、姉妹婚という風習がインドにはあって、
もともと摩耶さんもマハーパジャパティーも
二人とも浄飯王の妃であり、

第一夫人の摩耶さんが亡くなったんで、
妹が第一夫人、正妃に格上げになったという説があります。



それから、そうじゃなくて、
弱小国の釈迦族が、婚姻を通して国同志の結びつきを強めるために、
姉に続いて妹の嫁入り、っていう説もあります。



まぁ、実家で出産するとか、後添いを先妻の妹にするとか、
なんとなく、つい最近まで 日本に実際によくあった事例に 
似ていない事もありません。






もうひとつ、ブッダの奥さん、ヤショーダラの事。

「競技納姫」って、聞いた事 ありますか?

技を競って お姫様を手に入れる。

やはり、古代インドの王族の風習で、
具体的に何やったのか調べてないんですが、
ひとりの美女を、数人の若者たちが、
いろんな試合をして争い奪い合う
という風習があったんだそうです。

「ブッダ優勝。 美女はヤショーダラ」って事です。



この奥さん、一説によると、かなり気が強かったらしい。

お城の女官が、
「姫、結婚したら 顔をベールで隠さなければだめですよ。」
と注意したらば、

「私の顔には欠点なんか無いんだから、ベールで隠す必要はないわよん」
って答えたらしいです。

ブッダの出家に、ヤショーダラのキツイ性格は 
影響していたのかもしれません。

良くも悪しくも、です。



もちろん、多くの仏伝には、

「ヤショーダラ姫は、美人で、清楚で、上品で、

 気が利いて、舅・姑の面倒をよくみて、

 いつも夫や子供の事を思っている素敵な女性。

 家事全般 完璧」

って書いてありますが、
どっちを信じるかは 皆さんにお任せします。





今日は、ここまで!


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MOTTAINAI(もったいない)

平成18年の新年のご挨拶です。




   MOTTAINAI(もったいない)


平成18年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様のご清安を心から祈念申し上げます。



ワンガリ・マータイさんは、30年間近くにわたって
数千万本の木を植え、
アフリカの女性で初めて
ノーベル平和賞を受賞した人です。

彼女が来日した際、
毎日新聞の取材の中で、
「もったいない」という日本人の考え方を初めて知り、
強く共感し、感動して、
この日本語を 世界共通語にしようと
「MOTTAINAI」キャンペーンを展開しました。

シンガーソングライターのさだまさしさんは、
「もったいない」をテーマに
詩を書き 歌を作りました。





「MOTTAINAI」という歌の歌詞は、
こちらに全部 載っています。

MOTTAINAI(さだまさし) goo音楽





「もったいない」は 
「そのものが持っている本来の価値が生かされずに残念なこと」
という意味ですが、
ものの価値を判断するのは 
取りも直さず 「人それぞれの心」です。

物に囲まれているという事、
豊かな社会・時代に生きている事自体は
罪な事でも 恥ずかしい事でもありません。

ただ、その事に気付かないでいる事は、
とても残念で 寂しく 悲しい事のように思います。

平和や豊かさ、人の愛情などに対する「感謝の心」、
それに気づかせ 育てる 自分自身の「慈愛の心」、
そういった事が 
マータイさんの「MOTTAINAIキャンペーン」の
中心にあるような気がします。



皆さんが お幸せでありますように・・・・・・
                       山主合掌





この頃には 新年のご挨拶としてお配りする紙に
書ききれないほどの お伝えしたい事があって
いつも悩まされてしました。

けれど、この年、どうしても さだまさしさんの歌の歌詞を
全文載せたくて・・・、載せました!(笑)

できましたら、ぜひ goo音楽のページに飛んで、
歌詞を味読してみていただきたいと思います。


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徒然なるままに その33

次に、どうして、ルンビニーという野っ原での出産だったのか?



普通は、
「当時のインドの習慣に従って、
 摩耶夫人は 実家での出産のため移動中、
 旅の途中だった」
と説明されています。

実家にたどり着く前に産気づいてしまった。

つまり、早産、しかも帝王切開。

未熟児で生まれたブッダは、 
子供の頃、身体が弱かった。



これは、私の妄想じゃありませんから、
大学の偉い先生が言ってることですから、
そこんとこ、誤解しないでください。






もっとすごいのがある。

実家へ帰る旅ではなく、
浄飯王と夫婦げんかして、
お城を出てきちゃったら 産気づいちゃった。

または、マタニティーブルーでお城を抜け出して、
悶々としていたら 産気づいちゃった。

正木晃先生の おちゃめな妄説です。





それから、ブッダの子供時代は 身体が弱かったと同時に、
すぐ物思いにふける少年だったという伝説もあります。

その物思いの内容は、
「生老病死の四苦、或は、無常を感じて」
なんて説明されますけど、

当時の釈迦族の王は、実は輪番制で、
ブッダが大人になっても
王になれる保証はなかった、
それも悩みの原因だったとする説もあります。



結構、現実的です。

ブッダが就活で悩んでたなんて 考えたくないですけどね。






今日は、ここまで!


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八風吹不動(八風吹けども動ぜず)

平成17年の新年のご挨拶です。



     八風吹不動




強風は ものを動かし、破壊します。


利(自分の利益)

衰(自分の衰え)

毀(自分の破滅)

誉(自分の名誉)

称(自分への称賛)

譏(自分へのそしり)

苦(自分の苦しみ)

楽(自分の快楽)

は、人の心を動かし、堕落させます。



修行者は、これらの風に立ち向かったとしても
泰然自若としているものです。






この言葉は 先々代のお座主 山田惠諦猊下が 
よく色紙に揮毫された言葉です。

吉祥寺にも掲げられていますので、
ご来山の際には 探してみてください。






また、八風が吹いても動じないためにはどうすればよいか?

ややり吉祥寺の中に、
「虚空為座」という 大久保良順大僧正の色紙があります。

煩悩で 小さくなってしまった自分を そこに置いたまま、
心だけを スゥーっと虚空までもって行き、
落ち着いて自分を見直してみると、
またいつもの自分を取り戻す事ができるものです。






平成17年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて檀信徒の皆様のご清安を こころから祈念申し上げます。






平成17年のこの頃には
天台宗開宗1200年記念事業として 
平成15年より 計3回企画された特別受戒会の
最後の回の参加者を募集していました。

「受戒とは、戒律を授かる事によって、
 観音様やお地蔵様など 菩薩様達とお仲間になる
 という儀式です。

 たまたま 当山の住職が その運営企画の責任者でもあり、
 この機会に ぜひ お檀家の皆様にも
 ご参加いただければと考え、ご案内いたします。」

と書いています。



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徒然なるままに その32

次は、ブッダ誕生の秘話を検証、
じゃなくて、妄想してみます、妄想です。





今日は、私は お釈迦様を 人間ゴータマシッダルタ、
この世界に生を受け 80年の生涯を生き抜き、
クシナガラでその一生を終えた、私のヒーロー・ブッダとして
お話させていただいております。

伝えられる突拍子もない虚像・伝説としてではなく、です。

そして、人間ブッダの魅力に取りつかれたのは 私だけではなく、
結構な大学教授の先生、学者さんも
かなり 妄想壁を持った方が多かったようです。

なにしろ 2500年前の話です。

なんとでも想像できます。

ある意味、何でも有りです。






最初に断っておきますが、
ブッダの生没年は 実は よくわかってないって事です。



生誕については、

1 紀元前624年

2 紀元前566年

3 紀元前463年



いったい、ブッダは 何世紀に生きてたんだ? って話です。

誕生日も、悟った日も、初めて説法した日も、お命日も、
はっきりしないんです。

2500年も前のことだから しょうがないんです。






まず、ブッダは お母さん、摩耶夫人の右脇下から生まれた、
という事。

馬鳴(めみょう)の『仏所行讃』あたりから
そう伝えられているようですが、

「そんなこと ありえないだろう」と、
この伝説に 最初に噛みついたのが、
明治の臨済宗の大学者、釈宗演。

彼は、「ブッダは我々と同じように、ごく普通に、
摩耶お母さんの参道から生まれ出たんです」
なんて学説を発表して、
臨済宗の宗務庁から 相当に睨まれたらしいです。






それとは別に、この伝説は、
「ブッダの生誕は、今で言う帝王切開を暗示しているんだ」
とする説もあります。

また、この伝説は、
「ブッダがクシャトリア(カースト制度の王族や武士の階級ですね)
 である事を象徴するための潤色なんだ」
とする説もあります。



仮に、帝王切開だったとして、
摩耶お母さんが 出産後7日で亡くなったのは、
産後の肥立ちが悪かった、という事だったのでしょうか?

そうだったのかなんて、つい 思っちゃいます。



でも、ブッダの出産は ごく軽くて、安産だったと伝える仏伝は多い。

水野弘元先生は、「高齢出産だったからだ」と想像しています。


浄飯王と摩耶夫人には、結婚後 ひさしく子宝に恵まれなかったから、
この説も有りでしょうか?






今日は、ここまで!


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一音(いっとん)

平成16年の新年のご挨拶です。



          一音





一音(いっとん)とは・・・ほとけ様の一言は 唯一真実の教えですが、
              それを聞く人々は、
              その人、その時の立場や状況、心持によって
              さまざまに 違ってとらえている

という事です。






ほとけ様は、私たちの身近な人の何気ない言葉や
木々のざわめきの音などを借りて
私たちに 語りかけてくれます。

それを認識できる、あたたかで豊かな気持ちを
いつも持っていたいものです。



平成16年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様の御清安を 心から祈念申し上げます。






この「一音(いっとん)」を、
私は 曳家で移築した書院の名前に使いました。

「一音庵」と言います。



そして この度 心理カウンセラーの資格を取得した
家内の座敷ネズミは 
この名前を カウンセリングルームの名前に用いる事にしました。

カウンセリングルーム一音(いっとん)」と言います。

一音庵に開設したカウンセリングルームです。


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