埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
徒然なるままに その4
お葬式やご法事の理論や歴史、
例えば お葬式って なんでやるのか?
いつ、どこで、誰が始めたか?
ご法事するんだったら 霊魂はあるのか?
極楽浄土は?
往生は?
成仏は?
使われる棺道具の事なんかも。
こんな事は 地元深谷の葬儀屋さんや
高島平のアシスタント会社の社員さん相手に
講演した事もあったし、
結構しろうとさんには受けたんですけどね。
でも、昔、研修所研修会で、
当時の教務主任の木本僧正に脅されて、
同じような事 2回もしゃべっちゃってて、
最近そんな本も色々出てるし、
大正大学の若い先生たちも、
天台教学、理論やらねぇで、こんな事を
何やらあちこちで講演してるようなので、
却下される前に止めました。
私の学生時代、遠い昔の話ですが、
一応 専門にしていたのは、
日本天台の浄土教とか戒律とか戒浄双修とかで、しかも近世で、
おそらくその辺をしゃべっても面白くないんです。
コアだし、マニアックになっちゃってね。
下手にしゃべって
「天台の浄土教より、浄土宗・浄土真宗・時宗なんかの浄土教の方が
簡単でありがたいじゃん」
なんて事になったら大変ですし、
これも駄目ですよね。
「さて、どうしよう」
って頭を抱えていたら、
ハタと2つの事に気づきました。
1
ひとつは、
「今日は布教師会さんのお招きなんだから、
布教の話でなくっちゃダメでしょ」
って事。
「布教師の、布教師による、布教師のための 布教講演」って事です。
だから、布教師さん以外の方には ごめんなさいです。
今日は、ここまで!
例えば お葬式って なんでやるのか?
いつ、どこで、誰が始めたか?
ご法事するんだったら 霊魂はあるのか?
極楽浄土は?
往生は?
成仏は?
使われる棺道具の事なんかも。
こんな事は 地元深谷の葬儀屋さんや
高島平のアシスタント会社の社員さん相手に
講演した事もあったし、
結構しろうとさんには受けたんですけどね。
でも、昔、研修所研修会で、
当時の教務主任の木本僧正に脅されて、
同じような事 2回もしゃべっちゃってて、
最近そんな本も色々出てるし、
大正大学の若い先生たちも、
天台教学、理論やらねぇで、こんな事を
何やらあちこちで講演してるようなので、
却下される前に止めました。
私の学生時代、遠い昔の話ですが、
一応 専門にしていたのは、
日本天台の浄土教とか戒律とか戒浄双修とかで、しかも近世で、
おそらくその辺をしゃべっても面白くないんです。
コアだし、マニアックになっちゃってね。
下手にしゃべって
「天台の浄土教より、浄土宗・浄土真宗・時宗なんかの浄土教の方が
簡単でありがたいじゃん」
なんて事になったら大変ですし、
これも駄目ですよね。
「さて、どうしよう」
って頭を抱えていたら、
ハタと2つの事に気づきました。
1
ひとつは、
「今日は布教師会さんのお招きなんだから、
布教の話でなくっちゃダメでしょ」
って事。
「布教師の、布教師による、布教師のための 布教講演」って事です。
だから、布教師さん以外の方には ごめんなさいです。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
徒然なるままに その3
さて、最初に この講師のお話をいただいた時、
去年の伊香保の教区研修会の休み時間、
事務局長さんに
「どんなお話をすればいいんですか?」
と、お尋ねしたところ、
「何でもいいよ」
というご返事でした。
「何でもいい」ってぐらい難しい事は無いんでして、
言い方を変えれば、
「まあ、あんまり期待してないから、適当でいいよ」
みたいな、そんな事は無いと思うんですが、あるかもしれません。
じゃあ、頼まれると最近あちこちでしゃべってる、
「生まれて、生きて、死んで、それから」っていう話。
これは、子供の成長過程でのお祝い事と、
亡くなった御先祖さんの供養が、
同じように行われているって事から、
日本人の死生観を 民俗学的に考えてみる内容で、
檀信徒会さんの関係で、
8部慈光寺さんと、4部常安寺さん、本庄仏教会さん、岩槻仏教会さん、
それから 東海教区さんなんかでおしゃべりさせていただいてまして、
慣れてるから 勉強しなくて済む。
「これでいいですか?」
って聞いたら、そこにいた教務主任さんが、
「あぁ、その話 覚えてるよ」
って言うもんで、
「もう一度 聞いても いーすけど」
って すぐフォローしてくれたものの、
やっぱりそう言われちゃ この話はできませんよねぇ。
もっとも、これは 今日の合同研修会じゃなくて、
女性、できれば 若い上品なお母さん(それ以上のぜいたくは言いません)、
なんかに聞いてもらいたい内容・・・かもしれませんけどね。
「それじゃあ」
ってんで、
「あんまり 最近の研修会のテーマに無いようだから、
詳しいわけじゃないけど 教判論でもやってみますか」
って言ったら、そこにいた副会長さんが
「そんな演題じゃ 誰も聞きに来ねえよ」
って言って。
その隣の会長さんが
「大事な話なんですけどね」
ってフォローしてくれましたけど。
≪なにも、
法華玄義の1巻教相と10巻教相がどう違って、或いは同じで、
それを後世の、例えば、湛然さんや、
日本の宝地坊証真なんかが どうたらこうたらを
ここで研究発表しようってんじゃなくて、
(学生の時 発表して 結構話題になったんですけど・・・
この事、知る人ぞ知る、なんですけどね・・・)≫
一般的に、お釈迦さんの事を話したりする時、
いつ どこで どんなふうに生まれて 7歩歩いて、天上天下で、
お父さんはどうで、お母さんはどうで、奥さんは、子供は、
そして、いつ出家して、どうやって悟って、
で、そのあと どこでどう亡くなったか、涅槃に入られたか、
なんて事を言うでしょ。
でも、ほとんどの本やなんかは、
悟った後のお釈迦さんに困っちゃってる。
かの手塚治虫先生の名著「ブッダ」でも、
悟った後のお釈迦さんは あんまり魅力的に描かれていない。
(今度の映画は どうなんですかねぇ。)
でもね、大事なのは、
悟ってから涅槃に入るまでのお釈迦さんの教えの内容で、
ここが一番面白い。
そしてね、そこんとこを解ってて、
何とかまとめていこうとしたのが 教相判釈、いわゆる教判論、
その最高傑作が 天台大師の教判でしょ。
私の学問は古すぎて使い物になんないんですけど、
五時八教なんかみてくと、
「へー」って程 面白いんですけどねぇ。
まあ、これも却下です。
私みたいな、天台教理の素人が へらず話すると、
結構 突っ込む所があって 面白いと思うんですけどねぇ。
残念!
今日は、ここまで!
去年の伊香保の教区研修会の休み時間、
事務局長さんに
「どんなお話をすればいいんですか?」
と、お尋ねしたところ、
「何でもいいよ」
というご返事でした。
「何でもいい」ってぐらい難しい事は無いんでして、
言い方を変えれば、
「まあ、あんまり期待してないから、適当でいいよ」
みたいな、そんな事は無いと思うんですが、あるかもしれません。
じゃあ、頼まれると最近あちこちでしゃべってる、
「生まれて、生きて、死んで、それから」っていう話。
これは、子供の成長過程でのお祝い事と、
亡くなった御先祖さんの供養が、
同じように行われているって事から、
日本人の死生観を 民俗学的に考えてみる内容で、
檀信徒会さんの関係で、
8部慈光寺さんと、4部常安寺さん、本庄仏教会さん、岩槻仏教会さん、
それから 東海教区さんなんかでおしゃべりさせていただいてまして、
慣れてるから 勉強しなくて済む。
「これでいいですか?」
って聞いたら、そこにいた教務主任さんが、
「あぁ、その話 覚えてるよ」
って言うもんで、
「もう一度 聞いても いーすけど」
って すぐフォローしてくれたものの、
やっぱりそう言われちゃ この話はできませんよねぇ。
もっとも、これは 今日の合同研修会じゃなくて、
女性、できれば 若い上品なお母さん(それ以上のぜいたくは言いません)、
なんかに聞いてもらいたい内容・・・かもしれませんけどね。
「それじゃあ」
ってんで、
「あんまり 最近の研修会のテーマに無いようだから、
詳しいわけじゃないけど 教判論でもやってみますか」
って言ったら、そこにいた副会長さんが
「そんな演題じゃ 誰も聞きに来ねえよ」
って言って。
その隣の会長さんが
「大事な話なんですけどね」
ってフォローしてくれましたけど。
≪なにも、
法華玄義の1巻教相と10巻教相がどう違って、或いは同じで、
それを後世の、例えば、湛然さんや、
日本の宝地坊証真なんかが どうたらこうたらを
ここで研究発表しようってんじゃなくて、
(学生の時 発表して 結構話題になったんですけど・・・
この事、知る人ぞ知る、なんですけどね・・・)≫
一般的に、お釈迦さんの事を話したりする時、
いつ どこで どんなふうに生まれて 7歩歩いて、天上天下で、
お父さんはどうで、お母さんはどうで、奥さんは、子供は、
そして、いつ出家して、どうやって悟って、
で、そのあと どこでどう亡くなったか、涅槃に入られたか、
なんて事を言うでしょ。
でも、ほとんどの本やなんかは、
悟った後のお釈迦さんに困っちゃってる。
かの手塚治虫先生の名著「ブッダ」でも、
悟った後のお釈迦さんは あんまり魅力的に描かれていない。
(今度の映画は どうなんですかねぇ。)
でもね、大事なのは、
悟ってから涅槃に入るまでのお釈迦さんの教えの内容で、
ここが一番面白い。
そしてね、そこんとこを解ってて、
何とかまとめていこうとしたのが 教相判釈、いわゆる教判論、
その最高傑作が 天台大師の教判でしょ。
私の学問は古すぎて使い物になんないんですけど、
五時八教なんかみてくと、
「へー」って程 面白いんですけどねぇ。
まあ、これも却下です。
私みたいな、天台教理の素人が へらず話すると、
結構 突っ込む所があって 面白いと思うんですけどねぇ。
残念!
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
徒然なるままに その2
実は、何年か前まで、私、
この研修会の企画に関わっていた事があって、
この研修会の講師は、本日の小野寺先生のように、
(この日の講師は 私の他に もうひと方、
解放同盟埼玉県連合会書記長の小野寺先生がおいでくださり、
「身元調査防止と本人通知制度」の演題で 御講演なさいました。)
その道の専門家の先生や、天台宗の他教区の著名人、大学の先生など、
立派な先生方をお招きして、
格調高く勉強する研修会だったように記憶しておりまして。
私なんかのように、埼玉教区の中でも特に、
「浅学非才の、愚が中の最極愚、狂が中の最極狂、
最低最悪のものぐさ坊主、破壊坊主なんかでいいのか!」
あまりにも 場違いな所にいるような気がして、
ひどく戸惑っております。
ただ、身内の誰かを人身御供にして、何かしゃべらせようという事には、
布教師会さんの、何だかよくわかりませんが、
何らかのあやしい意図を感じる次第でして。
「ようし、そんなら、身内の前でしかしゃべれないような、
珍論・奇論を話してみようか!」っていう軽いノリなんで、
皆さんには 最初に覚悟していただきます。
ところで、今日の私の話は、
今までにないキテレツなものになってしまうはずです。
斎霊殿の本尊さんに怒られそうな気がするので、
そっと袈裟を外させていただきます。
尊敬する寛永寺の先輩が、
よくこの手法で 好き勝手なお話をしているので、
その真似です。
これで 私は お坊さんじゃなくなりました。
思いっきり はじけたお話をさせていただきます
演題が、かの有名な徒然草の序段をもじったものであることは、
皆さん おわかりになるかと思いますが、
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かいて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、
怪しうこそ 物狂おしけれ」
これを中学・高校の教科書みたいに、
まじめに、まともに訳せば、
「手持無沙汰に任せて、一日中 硯を前にして、
心に浮かんでは消える、何という事もないことを、
取り留めもなく書きつけていると、
妙な気持ちになってくるものです」
ってなるんでしょうが、こんな訳し方してるから
古典がつまんなくなっちゃうんですよね。
今日の私のお話は、
「暇で暇で、退屈でしょうがねぇから、一日中 鉛筆もって、
頭に浮かんでくる、どうしようもねぇことを、
たらったら、たらったら書いてっと、
訳わかんねぇ内に、
あぶねぇ妄想に 取りつかれっちまうのなっ!」
って訳す感じのお話にするつもりです。
作者の吉田兼好って人は、
明るい隠遁者・世捨て人でして、
いわゆる今の瀧川流超訳の方が、兼好さんの意に適っていると思うし、
実は、お釈迦様の教え、仏教も そんなふうに見た方が、
面白くて、本来的で、お釈迦様の想いに近づけるんじゃないか という、
瀧川流妄想です。
だから、研修会としては 期待しないで下さい。
今日のメインは 小野寺先生です。
私の話は、落語の真打の前の 下手な前座、
お能の間に入る 下手な狂言みたいなものです。
今日は、ここまで!
この研修会の企画に関わっていた事があって、
この研修会の講師は、本日の小野寺先生のように、
(この日の講師は 私の他に もうひと方、
解放同盟埼玉県連合会書記長の小野寺先生がおいでくださり、
「身元調査防止と本人通知制度」の演題で 御講演なさいました。)
その道の専門家の先生や、天台宗の他教区の著名人、大学の先生など、
立派な先生方をお招きして、
格調高く勉強する研修会だったように記憶しておりまして。
私なんかのように、埼玉教区の中でも特に、
「浅学非才の、愚が中の最極愚、狂が中の最極狂、
最低最悪のものぐさ坊主、破壊坊主なんかでいいのか!」
あまりにも 場違いな所にいるような気がして、
ひどく戸惑っております。
ただ、身内の誰かを人身御供にして、何かしゃべらせようという事には、
布教師会さんの、何だかよくわかりませんが、
何らかのあやしい意図を感じる次第でして。
「ようし、そんなら、身内の前でしかしゃべれないような、
珍論・奇論を話してみようか!」っていう軽いノリなんで、
皆さんには 最初に覚悟していただきます。
ところで、今日の私の話は、
今までにないキテレツなものになってしまうはずです。
斎霊殿の本尊さんに怒られそうな気がするので、
そっと袈裟を外させていただきます。
尊敬する寛永寺の先輩が、
よくこの手法で 好き勝手なお話をしているので、
その真似です。
これで 私は お坊さんじゃなくなりました。
思いっきり はじけたお話をさせていただきます
演題が、かの有名な徒然草の序段をもじったものであることは、
皆さん おわかりになるかと思いますが、
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かいて、
心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書き付くれば、
怪しうこそ 物狂おしけれ」
これを中学・高校の教科書みたいに、
まじめに、まともに訳せば、
「手持無沙汰に任せて、一日中 硯を前にして、
心に浮かんでは消える、何という事もないことを、
取り留めもなく書きつけていると、
妙な気持ちになってくるものです」
ってなるんでしょうが、こんな訳し方してるから
古典がつまんなくなっちゃうんですよね。
今日の私のお話は、
「暇で暇で、退屈でしょうがねぇから、一日中 鉛筆もって、
頭に浮かんでくる、どうしようもねぇことを、
たらったら、たらったら書いてっと、
訳わかんねぇ内に、
あぶねぇ妄想に 取りつかれっちまうのなっ!」
って訳す感じのお話にするつもりです。
作者の吉田兼好って人は、
明るい隠遁者・世捨て人でして、
いわゆる今の瀧川流超訳の方が、兼好さんの意に適っていると思うし、
実は、お釈迦様の教え、仏教も そんなふうに見た方が、
面白くて、本来的で、お釈迦様の想いに近づけるんじゃないか という、
瀧川流妄想です。
だから、研修会としては 期待しないで下さい。
今日のメインは 小野寺先生です。
私の話は、落語の真打の前の 下手な前座、
お能の間に入る 下手な狂言みたいなものです。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
徒然なるままに その1
ご無沙汰しました。
去る3月4日午後1時から 川越の喜多院斎霊殿で行われた
天台宗埼玉教区・布教師会の合同研修会の講演録を
アップしたいと思います。
とは言え、限りある講演時間ですので
お話したいと思っていたのに 端折ってしまった挿話や、
泣く泣く削り取った所もありますので、
これを機会に 全部 書き入れようと目論んでおります(嬉)。
タイトルは
「徒然なるままに 日ぐらし仏陀を慕いて
――布教ということについての私論・試論・始論――」
です。
スタート
ただ今 ご紹介いただきました、7部 深谷市 吉祥寺の
住職をしております 瀧川善海です。
本日は 「埼玉教区さんと 布教師会さんの 合同研修会」の、
布教師会さんの方の講師という事で御指名いただき、
大変光栄に存じます。
大したお話も出来ませんが、しばらくの間 お付き合いの程、
宜しくお願い申し上げます。
最初に申し上げておきます。
今日のお話は、いつもの私のお話、
プチ知識を なんだかんだ言うためのものではなく、
私個人の 布教というものについての意見を
ざっくりお話させていただく というのが意図でして、
聞いていただいて「なーんだ!」っていう感じのものに
なってしまうと思います。
それから、私は 御承知の通り 話が下手なもので、
原稿書いてきましたんで それを読みます。
原稿たくさんあるんで、早口で 滑舌悪く しゃべります。
あれも これも すみませんです。
私の話、途中でつまらないと思ったら、
資料でも眺めていて下さい。
本日の研修会のご案内の中では、
私が
「様々な手法で、日々 檀信徒の皆さんに
仏法を伝道されております」
って持ち上げてくれてましたので、
手法とやらの一部を 資料って形で書いといてみました。
2頁の
「5.ブッダの想いを本棚から拾ってみた」
です。
参考になるかどうか?
(ブログ注:資料も 後ほどアップします。)
ちなみに、資料に沿っての詳しいお話は、
今日は おそらく ほとんどしないで終わっちゃうでしょう。
本庁へ提出するための カッコだけの資料です。
「悪しからず」です。
では、始めます。
今日は、ここまで!(笑)

去る3月4日午後1時から 川越の喜多院斎霊殿で行われた
天台宗埼玉教区・布教師会の合同研修会の講演録を
アップしたいと思います。
とは言え、限りある講演時間ですので
お話したいと思っていたのに 端折ってしまった挿話や、
泣く泣く削り取った所もありますので、
これを機会に 全部 書き入れようと目論んでおります(嬉)。
タイトルは
「徒然なるままに 日ぐらし仏陀を慕いて
――布教ということについての私論・試論・始論――」
です。
スタート

ただ今 ご紹介いただきました、7部 深谷市 吉祥寺の
住職をしております 瀧川善海です。
本日は 「埼玉教区さんと 布教師会さんの 合同研修会」の、
布教師会さんの方の講師という事で御指名いただき、
大変光栄に存じます。
大したお話も出来ませんが、しばらくの間 お付き合いの程、
宜しくお願い申し上げます。
最初に申し上げておきます。
今日のお話は、いつもの私のお話、
プチ知識を なんだかんだ言うためのものではなく、
私個人の 布教というものについての意見を
ざっくりお話させていただく というのが意図でして、
聞いていただいて「なーんだ!」っていう感じのものに
なってしまうと思います。
それから、私は 御承知の通り 話が下手なもので、
原稿書いてきましたんで それを読みます。
原稿たくさんあるんで、早口で 滑舌悪く しゃべります。
あれも これも すみませんです。

私の話、途中でつまらないと思ったら、
資料でも眺めていて下さい。

本日の研修会のご案内の中では、
私が
「様々な手法で、日々 檀信徒の皆さんに
仏法を伝道されております」
って持ち上げてくれてましたので、
手法とやらの一部を 資料って形で書いといてみました。
2頁の
「5.ブッダの想いを本棚から拾ってみた」
です。
参考になるかどうか?
(ブログ注:資料も 後ほどアップします。)
ちなみに、資料に沿っての詳しいお話は、
今日は おそらく ほとんどしないで終わっちゃうでしょう。
本庁へ提出するための カッコだけの資料です。
「悪しからず」です。
では、始めます。
今日は、ここまで!(笑)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )