埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
四人の妻 その2
ある日、宰相は 王の命令で
遠国に赴任する事になりました。
そこで 第一夫人に
「今度、王に 翠という国の統治を任された。
おまえも出発の準備をしておきなさい」
と話したところ、彼女は
「どうして私まで そんな遠い国に行かなくちゃならないの。
絶対いやよ」
と けんもほろろでした。
宰相は怒って 第二夫人の部屋へ行き
「おまえを連れて行く事にした」
と言いました。
しかし、彼女も
「あなたがいなくなるのは寂しいけれど、
私はこの国がすきなのよ。
この部屋の窓から あなたをお見送りしますわ」
と言いました。
仕方なく、宰相は 第三夫人の部屋にむかいました。
「おまえは 一緒に行ってくれるな」
第三夫人は 悲しそうに涙をこぼしながら
「一緒に生きたいのは やまやまですが、
私はあなたの お父様や お母様や
子供達の面倒をみなければなりません。
出発の日には 城門まで お送りしますわ」
と言いました。
がっかりした宰相は、側にいた第四夫人に
「おまえも 一緒に行ってはくれないのだろうなぁ」
と言うと、
「私はあたなを心から愛しています。
是非 お供させてください」
と答えてくれました。
かくして 宰相は 第四夫人と共に
任地に赴いたという事です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここでいう「紅の国」とは この世の事、
「翠の国」とは 死後の世界の事です。
そして、第一夫人は 皆さんの身体です。
生きている時は 欲望の赴くままの所業を繰り返す私達ですが、
死んだら火葬され、肉体は消えてしまいます。
第二夫人は 皆さんの財産。
生きている時に 懸命にお金儲けに励んでも、
財産は あの世にまで 持って行けません。
第三夫人は 皆さんの家族や親戚や友達。
皆さんの死を悲しんではくれても、
一緒に死んではくれません。
では、第四夫人は?
彼女は 皆さんの心の真ん中にある 真理。
つまり<真心>で、
実は その真心を 私達は仏様と呼んでいるのです。
仏様は、この世で 皆さんが どんな事をしても、
いつも優しく寄り添ってくれています。
皆さんが死んでしまっても、
きっと天国でも極楽でも、
エルドラドでも アルカディアでも、
皆さんの信じる理想郷まで 導いてくれる事でしょう。
だから、今日の結論は、
皆さんがいつも 一番大切にしていなければならないのは
皆さんご自身の<真心>だという事です。
ご主人や思い出、まぁ、へそくりも含めて、
それを大事に思うのは、誰でもない、皆さんご自身だという事に
気付いてください。
天台宗では ≪心・仏・衆生・是三無差別≫
(しん・ぶつ・しゅじょう、ぜさんむしゃべつ)
という言葉をよく使います。
そして、大切にしています。
「仏」というのは、<真理>、<悟り>の事です。
「衆生」というのは、<生きとし生けるもの>。
皆さんもその中の人間の一人です。
<悟りの仏様>と <迷いの私達>に 差別がない、
一緒なんだ、というは、
<仏様の心>と <皆さんの心>が結ばれているから。
同じだからなのです。
どうか皆さん、
ご自分の<真心>を
いじめないで、
大切にしてください。
今日は、ここまで!
遠国に赴任する事になりました。
そこで 第一夫人に
「今度、王に 翠という国の統治を任された。
おまえも出発の準備をしておきなさい」
と話したところ、彼女は
「どうして私まで そんな遠い国に行かなくちゃならないの。
絶対いやよ」
と けんもほろろでした。
宰相は怒って 第二夫人の部屋へ行き
「おまえを連れて行く事にした」
と言いました。
しかし、彼女も
「あなたがいなくなるのは寂しいけれど、
私はこの国がすきなのよ。
この部屋の窓から あなたをお見送りしますわ」
と言いました。
仕方なく、宰相は 第三夫人の部屋にむかいました。
「おまえは 一緒に行ってくれるな」
第三夫人は 悲しそうに涙をこぼしながら
「一緒に生きたいのは やまやまですが、
私はあなたの お父様や お母様や
子供達の面倒をみなければなりません。
出発の日には 城門まで お送りしますわ」
と言いました。
がっかりした宰相は、側にいた第四夫人に
「おまえも 一緒に行ってはくれないのだろうなぁ」
と言うと、
「私はあたなを心から愛しています。
是非 お供させてください」
と答えてくれました。
かくして 宰相は 第四夫人と共に
任地に赴いたという事です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ここでいう「紅の国」とは この世の事、
「翠の国」とは 死後の世界の事です。
そして、第一夫人は 皆さんの身体です。
生きている時は 欲望の赴くままの所業を繰り返す私達ですが、
死んだら火葬され、肉体は消えてしまいます。
第二夫人は 皆さんの財産。
生きている時に 懸命にお金儲けに励んでも、
財産は あの世にまで 持って行けません。
第三夫人は 皆さんの家族や親戚や友達。
皆さんの死を悲しんではくれても、
一緒に死んではくれません。
では、第四夫人は?
彼女は 皆さんの心の真ん中にある 真理。
つまり<真心>で、
実は その真心を 私達は仏様と呼んでいるのです。
仏様は、この世で 皆さんが どんな事をしても、
いつも優しく寄り添ってくれています。
皆さんが死んでしまっても、
きっと天国でも極楽でも、
エルドラドでも アルカディアでも、
皆さんの信じる理想郷まで 導いてくれる事でしょう。
だから、今日の結論は、
皆さんがいつも 一番大切にしていなければならないのは
皆さんご自身の<真心>だという事です。
ご主人や思い出、まぁ、へそくりも含めて、
それを大事に思うのは、誰でもない、皆さんご自身だという事に
気付いてください。
天台宗では ≪心・仏・衆生・是三無差別≫
(しん・ぶつ・しゅじょう、ぜさんむしゃべつ)
という言葉をよく使います。
そして、大切にしています。
「仏」というのは、<真理>、<悟り>の事です。
「衆生」というのは、<生きとし生けるもの>。
皆さんもその中の人間の一人です。
<悟りの仏様>と <迷いの私達>に 差別がない、
一緒なんだ、というは、
<仏様の心>と <皆さんの心>が結ばれているから。
同じだからなのです。
どうか皆さん、
ご自分の<真心>を
いじめないで、
大切にしてください。
今日は、ここまで!
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四人の妻 その1
一般のご法要での法話として考えたものです。
ただ今は、謹んで〇〇様の〇回忌のご法要を
させていただきました。
早いもので、故人がご逝去されてから 既に〇年、
ご当家の様子も 色々 お変わりになった事でしょう。
本日のように、皆様が 一堂に会する機会は
そうそうないと存じます。
これも 故人のお導きによるものです。
このひと時を 有意義に過ごす事も
〇〇様のお供養になる事だと思います。
さて、皆様が 日頃 一番大切にしているものは
何でしょうか。
仕事、ご主人、家屋敷、オモチャ、
色々あるでしょう。
思い出、優しさ、ご縁、自然など ロマンチックで高邁な事を
思い描いた方もいるでしょうし、
箪笥の置くのへそくり、愛人などと
不埒なものが頭に浮かんだ方も
この中にいるかもしれません。
では、私達が 一番大切にすべきものは何か?
仏典をもとに、多少の脚色を加えて、
ある物語をお話してみたいと 思います。
昔 インドの紅という国に 宰相がいました。
宰相というのは 王様の補佐官、大臣の事です。
この宰相には 四人の奥さんがいました。
『大臣のくせに 愛人がいるの』と怒らないで下さい。
その頃のインドは 一夫多妻制、
どうか 女性のみなさん、その辺の歴史をご理解いただき、
このお話を続ける事を お許しください。
第一夫人は、
宰相の幼なじみで
心から愛して結婚した女性です。
宰相は 仕事のない時は いつも彼女の部屋を訪れ、
彼女の望む事は 何でもかなえてやりました。
第二夫人は、
宰相が町を視察していた時に見かけた美しい女性で、
既に他の若者と婚約していたにもかかわらず、
争って自分の奥さんにしてしまったという女性です。
一週間に一度は 彼女の部屋を訪れ、
「お前は本当にきれいだなぁ」と称賛していました。
第三夫人は、
宰相の両親の勧めでお見合い結婚した女性です。
両親に気に入られた嫁なので、
しかたなく 一ヶ月に一度 彼女の部屋を訪れ、
そのたびに「部屋の床の色変えたいの」とか
「隣の奥さんは いつも派手な服を着ているのよ」とか、
宰相にとっては どうでもいいような愚痴や噂話を
聞かされていました。
正直な所、彼は、
できれば 彼女の所には行きたくないと思っていました。
第四夫人は、
第一夫人の侍女だった女性で、
心から宰相を尊敬していました。
宰相の方は 特に彼女を好きだったわけではないのですが、
「いつもお側でお仕えしたいのです」
という彼女の願いに応えて 第四夫人にしました。
しかし、彼女は 部屋を与えられるでもなく、
依然として 侍女としての仕事をしながら、
それでも一生懸命 宰相に仕えていたのです。
つづきます
タイトルを「一番大切な事」から「四人の妻」に変えました。
ただ今は、謹んで〇〇様の〇回忌のご法要を
させていただきました。
早いもので、故人がご逝去されてから 既に〇年、
ご当家の様子も 色々 お変わりになった事でしょう。
本日のように、皆様が 一堂に会する機会は
そうそうないと存じます。
これも 故人のお導きによるものです。
このひと時を 有意義に過ごす事も
〇〇様のお供養になる事だと思います。
さて、皆様が 日頃 一番大切にしているものは
何でしょうか。
仕事、ご主人、家屋敷、オモチャ、
色々あるでしょう。
思い出、優しさ、ご縁、自然など ロマンチックで高邁な事を
思い描いた方もいるでしょうし、
箪笥の置くのへそくり、愛人などと
不埒なものが頭に浮かんだ方も
この中にいるかもしれません。
では、私達が 一番大切にすべきものは何か?
仏典をもとに、多少の脚色を加えて、
ある物語をお話してみたいと 思います。
昔 インドの紅という国に 宰相がいました。
宰相というのは 王様の補佐官、大臣の事です。
この宰相には 四人の奥さんがいました。
『大臣のくせに 愛人がいるの』と怒らないで下さい。
その頃のインドは 一夫多妻制、
どうか 女性のみなさん、その辺の歴史をご理解いただき、
このお話を続ける事を お許しください。
第一夫人は、
宰相の幼なじみで
心から愛して結婚した女性です。
宰相は 仕事のない時は いつも彼女の部屋を訪れ、
彼女の望む事は 何でもかなえてやりました。
第二夫人は、
宰相が町を視察していた時に見かけた美しい女性で、
既に他の若者と婚約していたにもかかわらず、
争って自分の奥さんにしてしまったという女性です。
一週間に一度は 彼女の部屋を訪れ、
「お前は本当にきれいだなぁ」と称賛していました。
第三夫人は、
宰相の両親の勧めでお見合い結婚した女性です。
両親に気に入られた嫁なので、
しかたなく 一ヶ月に一度 彼女の部屋を訪れ、
そのたびに「部屋の床の色変えたいの」とか
「隣の奥さんは いつも派手な服を着ているのよ」とか、
宰相にとっては どうでもいいような愚痴や噂話を
聞かされていました。
正直な所、彼は、
できれば 彼女の所には行きたくないと思っていました。
第四夫人は、
第一夫人の侍女だった女性で、
心から宰相を尊敬していました。
宰相の方は 特に彼女を好きだったわけではないのですが、
「いつもお側でお仕えしたいのです」
という彼女の願いに応えて 第四夫人にしました。
しかし、彼女は 部屋を与えられるでもなく、
依然として 侍女としての仕事をしながら、
それでも一生懸命 宰相に仕えていたのです。
つづきます
タイトルを「一番大切な事」から「四人の妻」に変えました。
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法話 悲しみを乗り越えて その4
人は 生れて来て 死に行く。
出会いがあり 別れがある。
このあたりまえの事実を
心の中で よくよく想ってみましょう。
皆様ご自身の今の悲しみ、寂しさ、つらさ、怒りさえも
すべて 一度 認めてしまってみてください。
お釈迦様のお救いは、
すべて 超能力や呪いによるものでは ありません。
それは、人々の心に優しく語りかけ、
その人が忘れてしまっていた事、
気が付かなかった事を
教えてくれているだけなのです。
苦悩は その人自身のものであり、
だから それを克服できるのは その人自身しか いないのです。
お釈迦様は、人生の真理を客観的に 四つに分類しました。
すなわち、
1) 人生は苦であるという認識をもつ事。
2) その苦は、私たちの心の囚われ、煩悩に原因があって
生れて来るという事。
3) それらの苦の原因を知って 煩悩をなくす事ができれば、
心の平安を得られ、幸せな毎日が送れるという事。
4) そのためには、八つの正しい行いを心掛けるという事。
八つの正しい行いとは、
① 正しい物の見方
② 正しい自分の意思
③ 正しい言葉
④ 正しい行動
⑤ 正しい生活
⑥ 正しい努力
⑦ 正しい意識
⑧ 正しい精神統一
です。
ここでちょっと気をつけていただきたのは、
八つの正しい行いは みな正しくなければいけない
という事です。
たとえば、正しくない努力は無駄なのであり、
従って、正しくない気持ちで臨まれた法事も、
彼岸の故人を悲しませるだけで
何の意味も持たなくなってしまうのです。
〇〇ちゃんが もうこの世にいないという事は、
残念ですが、現実です。
ただ、悲しんでばかりいても、
遠い彼方の、或いは 皆様のご記憶の中の〇〇ちゃんは、
決して喜んでくれません。
今日から 皆さんにできる事、
それは、〇〇ちゃんの、あの純粋な笑顔を忘れない事。
そして その笑顔に接した時、
知らず知らずのうちに 皆さんが抱いた優しい心根を
いつも持ち続ける事ではないかと思います。
〇〇ちゃんをお供養する事とは、
〇〇ちゃんをいつも思い出して涙を流す事ではなく、
〇〇ちゃんを 皆さんの心の中で生かし続け、
心の中の〇〇ちゃんに 皆さん自身が助けられ、
幸せにしてもらう事だと思います。
今日は、ここまで!
出会いがあり 別れがある。
このあたりまえの事実を
心の中で よくよく想ってみましょう。
皆様ご自身の今の悲しみ、寂しさ、つらさ、怒りさえも
すべて 一度 認めてしまってみてください。
お釈迦様のお救いは、
すべて 超能力や呪いによるものでは ありません。
それは、人々の心に優しく語りかけ、
その人が忘れてしまっていた事、
気が付かなかった事を
教えてくれているだけなのです。
苦悩は その人自身のものであり、
だから それを克服できるのは その人自身しか いないのです。
お釈迦様は、人生の真理を客観的に 四つに分類しました。
すなわち、
1) 人生は苦であるという認識をもつ事。
2) その苦は、私たちの心の囚われ、煩悩に原因があって
生れて来るという事。
3) それらの苦の原因を知って 煩悩をなくす事ができれば、
心の平安を得られ、幸せな毎日が送れるという事。
4) そのためには、八つの正しい行いを心掛けるという事。
八つの正しい行いとは、
① 正しい物の見方
② 正しい自分の意思
③ 正しい言葉
④ 正しい行動
⑤ 正しい生活
⑥ 正しい努力
⑦ 正しい意識
⑧ 正しい精神統一
です。
ここでちょっと気をつけていただきたのは、
八つの正しい行いは みな正しくなければいけない
という事です。
たとえば、正しくない努力は無駄なのであり、
従って、正しくない気持ちで臨まれた法事も、
彼岸の故人を悲しませるだけで
何の意味も持たなくなってしまうのです。
〇〇ちゃんが もうこの世にいないという事は、
残念ですが、現実です。
ただ、悲しんでばかりいても、
遠い彼方の、或いは 皆様のご記憶の中の〇〇ちゃんは、
決して喜んでくれません。
今日から 皆さんにできる事、
それは、〇〇ちゃんの、あの純粋な笑顔を忘れない事。
そして その笑顔に接した時、
知らず知らずのうちに 皆さんが抱いた優しい心根を
いつも持ち続ける事ではないかと思います。
〇〇ちゃんをお供養する事とは、
〇〇ちゃんをいつも思い出して涙を流す事ではなく、
〇〇ちゃんを 皆さんの心の中で生かし続け、
心の中の〇〇ちゃんに 皆さん自身が助けられ、
幸せにしてもらう事だと思います。
今日は、ここまで!
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法話 悲しみを乗り越えて その3
「ゴータミーよ、死者を弔ったことのない人から
カラシ種をもらって来なさい。
それで薬を作ってあげよう」
お釈迦様の言葉に、
彼女は どこにでもあるカラシ種ならと、
町の一軒一軒を
「あなたのお身内に 亡くなった人がいなければ、
どうか カラシ種を分けて下さい。
お釈迦様が そのカラシ種で
この子を生き返らせる薬を作ってくださるのです」
と尋ね歩きました。
しかし、身内に死者を出した事のない人など
いるはずがありません。
皆 悲しげに
「残念ですが・・・」
と 目を伏せます。
町のすべての家々を訪ね終えて
呆然とたたずんでいたゴータミーにも、
お釈迦様の言おうとされた事の意味が
だんだんにわかってきました。
狂気から覚めた彼女は、
我が子を手厚く荼毘に付し、
自らの身もきれいに清めて お釈迦様の元に戻りました。
「ゴータミーよ、カラシ種は見つかったかね?」
お釈迦様の問いかけに、彼女は
「偉大なお方、
私には もうカラシ種は 必要ありません」
と答えました。
お釈迦様は 黙ってにっこり うなづかれたという事です。
続きます
カラシ種をもらって来なさい。
それで薬を作ってあげよう」
お釈迦様の言葉に、
彼女は どこにでもあるカラシ種ならと、
町の一軒一軒を
「あなたのお身内に 亡くなった人がいなければ、
どうか カラシ種を分けて下さい。
お釈迦様が そのカラシ種で
この子を生き返らせる薬を作ってくださるのです」
と尋ね歩きました。
しかし、身内に死者を出した事のない人など
いるはずがありません。
皆 悲しげに
「残念ですが・・・」
と 目を伏せます。
町のすべての家々を訪ね終えて
呆然とたたずんでいたゴータミーにも、
お釈迦様の言おうとされた事の意味が
だんだんにわかってきました。
狂気から覚めた彼女は、
我が子を手厚く荼毘に付し、
自らの身もきれいに清めて お釈迦様の元に戻りました。
「ゴータミーよ、カラシ種は見つかったかね?」
お釈迦様の問いかけに、彼女は
「偉大なお方、
私には もうカラシ種は 必要ありません」
と答えました。
お釈迦様は 黙ってにっこり うなづかれたという事です。
続きます
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