埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
徒然なるままに その14
いずれにせよ、ヒーローが浮かぶと
人間は ヒーローみたいになりたくなるんです。
子供の頃のヒーローごっこ、
もちろん大人になれば あんな事しなくなりますけど、
でも、映画やスポーツのヒーローやヒロインに憧れたりは
ちょっとしませんか?
AKBの誰かに憧れて
スマップの誰かみたいになれば振り向いてもらえるかな、
なんて妄想して ジムに通い始めた人、
結構いるんじゃないですか、仏青さんなんかに。
(私はカミさんに振り向いてもらえるヒーローであるべく、
日々 粉骨砕身、努力しています。
未だ 成果は表れておりませんが。)
昔、うちの父なんか、
テレビの前で 力道山の空手チョップに
身体を揺らしてましたもの。
父は私を叱るは いつもげんこつでしたけど、
プロレス放送のあった日の後 しばらくは、
ジャイアント馬場の 脳天唐竹割りでしたもの。
長嶋がホームランを打った時。
柏戸が大鵬に勝った時。
父は 父のヒーローに 狂喜乱舞していたようです。
カッコいいヒーローに憧れる、惚れると、
人は カッコよく生きたくなるものなんです。
自分が決めたヒーローの真似をしたくなる。
「真似」は、「マネぶ」で、「学ぶ」の始まり、
或いは、原型の言葉、語源です。
ヒーローの真似をすると ヒーローの生き方を学ぶ事になって、
ヒーローがメディスン? サプリメント?
(まぁいいや、英語は苦手なもので)、
ヒーローが薬になって、自分をバージョンアップする事ができる。
ただし、ここでちょっとした副作用が出てきまして、
それは、
自分は何でバージョンアップできたか・成功したか・いい気分でいられるか、
なんかを、誰かに話したくなるんです。
そして、つい 話しちゃう。
ヒーローの話じゃなくて、
真似してバージョンアップできた
内容・知識・知恵なんかについてですよ。
「あなたもこうするといいよ」なんてね。
もし 10人に話して、ひとりでも
「お前スゲーな、お前の話聞いて 元気出たよ」
って言ってくれたら、
それから
「住職の話で勇気が出ました」とか
「瀧川の話を聞いて 何とかやってけそうな気がしてきたよ」
って聞いた人が 話した自分に言ってくれたら、
話した自分が 一番 幸せ なんですよね。
だから、布教は 布教師自身のためのもの、
布教って、先ずは 自分のためのもじゃないかと思います。
今 しゃべってる私は、
しゃべるために 少しは本読みましたし、勉強もした。
いろいろ考える事もした。
今日 一番 得しているのは、実は、瀧川なんですよ。
とりあえず、この副作用部分が布教だ、と言ったら、
ひどい試論・私論・始論になってしまいますか?
まぁ、こんな感じで、皆さんをケムに巻いときます。
今日は、ここまで!
人間は ヒーローみたいになりたくなるんです。
子供の頃のヒーローごっこ、
もちろん大人になれば あんな事しなくなりますけど、
でも、映画やスポーツのヒーローやヒロインに憧れたりは
ちょっとしませんか?
AKBの誰かに憧れて
スマップの誰かみたいになれば振り向いてもらえるかな、
なんて妄想して ジムに通い始めた人、
結構いるんじゃないですか、仏青さんなんかに。
(私はカミさんに振り向いてもらえるヒーローであるべく、
日々 粉骨砕身、努力しています。
未だ 成果は表れておりませんが。)
昔、うちの父なんか、
テレビの前で 力道山の空手チョップに
身体を揺らしてましたもの。
父は私を叱るは いつもげんこつでしたけど、
プロレス放送のあった日の後 しばらくは、
ジャイアント馬場の 脳天唐竹割りでしたもの。
長嶋がホームランを打った時。
柏戸が大鵬に勝った時。
父は 父のヒーローに 狂喜乱舞していたようです。
カッコいいヒーローに憧れる、惚れると、
人は カッコよく生きたくなるものなんです。
自分が決めたヒーローの真似をしたくなる。
「真似」は、「マネぶ」で、「学ぶ」の始まり、
或いは、原型の言葉、語源です。
ヒーローの真似をすると ヒーローの生き方を学ぶ事になって、
ヒーローがメディスン? サプリメント?
(まぁいいや、英語は苦手なもので)、
ヒーローが薬になって、自分をバージョンアップする事ができる。
ただし、ここでちょっとした副作用が出てきまして、
それは、
自分は何でバージョンアップできたか・成功したか・いい気分でいられるか、
なんかを、誰かに話したくなるんです。
そして、つい 話しちゃう。
ヒーローの話じゃなくて、
真似してバージョンアップできた
内容・知識・知恵なんかについてですよ。
「あなたもこうするといいよ」なんてね。
もし 10人に話して、ひとりでも
「お前スゲーな、お前の話聞いて 元気出たよ」
って言ってくれたら、
それから
「住職の話で勇気が出ました」とか
「瀧川の話を聞いて 何とかやってけそうな気がしてきたよ」
って聞いた人が 話した自分に言ってくれたら、
話した自分が 一番 幸せ なんですよね。
だから、布教は 布教師自身のためのもの、
布教って、先ずは 自分のためのもじゃないかと思います。
今 しゃべってる私は、
しゃべるために 少しは本読みましたし、勉強もした。
いろいろ考える事もした。
今日 一番 得しているのは、実は、瀧川なんですよ。
とりあえず、この副作用部分が布教だ、と言ったら、
ひどい試論・私論・始論になってしまいますか?
まぁ、こんな感じで、皆さんをケムに巻いときます。
今日は、ここまで!
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徒然なるままに その13
さて、では、
布教師さんの御依頼を 不用意に受けてしまった私は、
今日 ここで どんなお話をすればいいのか?
それは
「自分が・私が、皆さんに伝えたい事を話せばいいんだ」
という事です。
布教には、話したり、書いたり、身体を動かして行動して教えたり、
いろんな形がありますが、
法話と称して、1人の布教師さんが 大勢の皆さんにお話する内容は、
自分がみんなに伝えたい事なんだ
という事です。
自分が聞いたり、体験したり、勉強したりして、
「うわぁ、スゴイ」
って思った事。
「みんなも、こうしたら、こう考えたら、
すっごく感動するよ!
すごく素敵な気分になれるよ!」
って本気で思った事を、
人は、何とか相手に伝えようと頑張るんですよね。
「ん? どういう事?
どうすればいいん?
どうすればそうできんのよ?}
って言われるかもしれませんねぇ。
私もこの原稿書いてて、ここに来て、ドツボにはまり掛けています。
ん~と、演題の副題にある様な事で、
私論・私論・始論してみますね。
例えば、先ず 自分はどんな人に憧れるか 考えるんです。
自分にとって、最も尊敬する偉人、
ヒーローを頭に浮かべる。
私のヒーローは 何はともあれ まずは ブッダです。
天台大師さんも伝教大師さんも 私のヒーローですけど、
先ずは ブッダです。
昔、大学に入って、
最初は 何も分からず、
お釈迦様を知りたくて 伝記を片っ端から読みました。
(昔は、私、結構まじめだったんです。)
そしたら、いつの間にか、
お釈迦様、ブッダが好きになっていました。
ブッダに思いを寄せて、いろんな本を読んだり、
講義を受けたりしました。
そして、益々ブッダが好きになりました。
でも、ホントは こうだったんじゃないの、
この方がカッコいいよねぇ、
この伝記 間違ってんじゃないの、
なんて、
私の中のヒーロー・ブッダは
勝手に独り歩きして、
本の中の主人公・お釈迦様から、
私の理想のヒーロー・ブッダになって、
どんどんカッコよくなっていくんです。
まあ、こんなふうに脱線していくのは
私だけかもしれませんけれど。
今日は、ここまで!
布教師さんの御依頼を 不用意に受けてしまった私は、
今日 ここで どんなお話をすればいいのか?
それは
「自分が・私が、皆さんに伝えたい事を話せばいいんだ」
という事です。
布教には、話したり、書いたり、身体を動かして行動して教えたり、
いろんな形がありますが、
法話と称して、1人の布教師さんが 大勢の皆さんにお話する内容は、
自分がみんなに伝えたい事なんだ
という事です。
自分が聞いたり、体験したり、勉強したりして、
「うわぁ、スゴイ」
って思った事。
「みんなも、こうしたら、こう考えたら、
すっごく感動するよ!
すごく素敵な気分になれるよ!」
って本気で思った事を、
人は、何とか相手に伝えようと頑張るんですよね。
「ん? どういう事?
どうすればいいん?
どうすればそうできんのよ?}
って言われるかもしれませんねぇ。
私もこの原稿書いてて、ここに来て、ドツボにはまり掛けています。
ん~と、演題の副題にある様な事で、
私論・私論・始論してみますね。
例えば、先ず 自分はどんな人に憧れるか 考えるんです。
自分にとって、最も尊敬する偉人、
ヒーローを頭に浮かべる。
私のヒーローは 何はともあれ まずは ブッダです。
天台大師さんも伝教大師さんも 私のヒーローですけど、
先ずは ブッダです。
昔、大学に入って、
最初は 何も分からず、
お釈迦様を知りたくて 伝記を片っ端から読みました。
(昔は、私、結構まじめだったんです。)
そしたら、いつの間にか、
お釈迦様、ブッダが好きになっていました。
ブッダに思いを寄せて、いろんな本を読んだり、
講義を受けたりしました。
そして、益々ブッダが好きになりました。
でも、ホントは こうだったんじゃないの、
この方がカッコいいよねぇ、
この伝記 間違ってんじゃないの、
なんて、
私の中のヒーロー・ブッダは
勝手に独り歩きして、
本の中の主人公・お釈迦様から、
私の理想のヒーロー・ブッダになって、
どんどんカッコよくなっていくんです。
まあ、こんなふうに脱線していくのは
私だけかもしれませんけれど。
今日は、ここまで!
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徒然なるままに その12
2
ハタと気付いたふたつ目は、
「今日 ここに集まってくれている皆さんが、
私にどんな話を望んでいるのか、
私は どんな話をすれば皆さんに受けるのか、
なんて事を考えたって 無意味だ って事です。
ここからが、「2」です。
「1」は、3月24日に書きました。
だって、皆さんは 皆さんだけいるわけで、
でも 皆さんは 全部違う人なわけで、
美しきご婦人も、はつらつとした若者も・・・まぁいいでしょう、
みんな違うんだから。
年齢、性別、職業、お立場、
知識も、趣味も、興味も、今の気分も・・・。
奥さんと ラブラブで
今日、「気を付けてねー。早く帰って来てねー」
なんて言われて家を出てきた人も、
喧嘩して 「もう帰って来んなー」
って言われて出てきた人も、
みんな違うのに、しゃべるのは私ひとりです。
お茶飲み話、喫茶店でのダベリングならともかく、
皆さんも 法話とか 挨拶とかいって、
自坊のご法事なんかでお話なさる時、 同じ様でしょう。
不特定多数のいろんな人にお話する。
「じゃ、何を話す?」
難しいですよねぇ。
仏教って 本来、対機説法、
相手のレベルに合わせたお話を
それぞれの人にしなくちゃなんないのにねぇ。
いきなりですけど、お話しようかどうしようか迷ってたんですが、
お話しちゃいます。
ギリシャのソクラテスさんは、
大勢の前で講演するのが 大嫌いだったんです。
だって、1人対大勢 では
十分な論議が尽くせないから。
「何びとも私の友人であり、仲間であった」
とか
「私は 何びとの師(先生ですね)にもならなかった」、
そんなカッコイイ事を言って、
わけ隔てなく、どんな人にも 道を説いたのは、
そうだったのかもしれませんけど、
講演依頼が来ても それを決して受けない。
だから 講演料がもらえない。
生活費は 奥さんのクサンティッペが
朝から晩まで働いて稼いでいた。
クサンティッペって、一度聞いたら 忘れられない名前ですねぇ、
どうでもいいけど。
ソクラテスさんは、プラトンさんなんかと
「ああじゃない、こうじゃない、なるほどそうなんかい」
と 議論を楽しんだんです。
こんなんじゃ クサンティッペも頭にきますよねぇ。
町の酒場で 徹夜で議論して 朝帰りしたソクラテスさんに
水くらいぶっかけてやりたくもなります。
そこで、有名な話、
結婚をするかしないか悩んでいた若者に対し、
ソクラテスさんは
「何はともあれ 結婚しなさい。
君の奥さんが良妻だったなら、君は幸福を手に入れる事ができる。
君の奥さんが悪妻だったなら、君は哲学者になれる!」
これを聞いたクサンティッペが、
箒を振り上げて、ソクラテスさんを追い回しているのが
目に浮かぶようです。
ソクラテスの妻は悪妻だったわけじゃなく、
ソクラテスさんに稼ぎがなかったっていうのが、
どうやら本当の所らしいし、
これはこれで 結構 いい夫婦だったのかもしれませんよね。
哲学者ソクラテスなんて、気難しいばかりの人のような印象で
今 伝えられていますけど、
実は、結構 ポジティブで、
ユーモアたっぷりの偉人だったんじゃないのかなと、
思わないでもありません。
「もしかしたら、ブッダも伝教大師も、ボジティブ思考の面白い人だった」
なーんて。
閑話休題。
コーヒーブレイク。
私の妄想、じゃなくて、暴走です。
今日は、ここまで!
ハタと気付いたふたつ目は、
「今日 ここに集まってくれている皆さんが、
私にどんな話を望んでいるのか、
私は どんな話をすれば皆さんに受けるのか、
なんて事を考えたって 無意味だ って事です。
ここからが、「2」です。
「1」は、3月24日に書きました。
だって、皆さんは 皆さんだけいるわけで、
でも 皆さんは 全部違う人なわけで、
美しきご婦人も、はつらつとした若者も・・・まぁいいでしょう、
みんな違うんだから。
年齢、性別、職業、お立場、
知識も、趣味も、興味も、今の気分も・・・。
奥さんと ラブラブで
今日、「気を付けてねー。早く帰って来てねー」
なんて言われて家を出てきた人も、
喧嘩して 「もう帰って来んなー」
って言われて出てきた人も、
みんな違うのに、しゃべるのは私ひとりです。
お茶飲み話、喫茶店でのダベリングならともかく、
皆さんも 法話とか 挨拶とかいって、
自坊のご法事なんかでお話なさる時、 同じ様でしょう。
不特定多数のいろんな人にお話する。
「じゃ、何を話す?」
難しいですよねぇ。
仏教って 本来、対機説法、
相手のレベルに合わせたお話を
それぞれの人にしなくちゃなんないのにねぇ。
いきなりですけど、お話しようかどうしようか迷ってたんですが、
お話しちゃいます。
ギリシャのソクラテスさんは、
大勢の前で講演するのが 大嫌いだったんです。
だって、1人対大勢 では
十分な論議が尽くせないから。
「何びとも私の友人であり、仲間であった」
とか
「私は 何びとの師(先生ですね)にもならなかった」、
そんなカッコイイ事を言って、
わけ隔てなく、どんな人にも 道を説いたのは、
そうだったのかもしれませんけど、
講演依頼が来ても それを決して受けない。
だから 講演料がもらえない。
生活費は 奥さんのクサンティッペが
朝から晩まで働いて稼いでいた。
クサンティッペって、一度聞いたら 忘れられない名前ですねぇ、
どうでもいいけど。
ソクラテスさんは、プラトンさんなんかと
「ああじゃない、こうじゃない、なるほどそうなんかい」
と 議論を楽しんだんです。
こんなんじゃ クサンティッペも頭にきますよねぇ。
町の酒場で 徹夜で議論して 朝帰りしたソクラテスさんに
水くらいぶっかけてやりたくもなります。
そこで、有名な話、
結婚をするかしないか悩んでいた若者に対し、
ソクラテスさんは
「何はともあれ 結婚しなさい。
君の奥さんが良妻だったなら、君は幸福を手に入れる事ができる。
君の奥さんが悪妻だったなら、君は哲学者になれる!」
これを聞いたクサンティッペが、
箒を振り上げて、ソクラテスさんを追い回しているのが
目に浮かぶようです。
ソクラテスの妻は悪妻だったわけじゃなく、
ソクラテスさんに稼ぎがなかったっていうのが、
どうやら本当の所らしいし、
これはこれで 結構 いい夫婦だったのかもしれませんよね。
哲学者ソクラテスなんて、気難しいばかりの人のような印象で
今 伝えられていますけど、
実は、結構 ポジティブで、
ユーモアたっぷりの偉人だったんじゃないのかなと、
思わないでもありません。
「もしかしたら、ブッダも伝教大師も、ボジティブ思考の面白い人だった」
なーんて。
閑話休題。
コーヒーブレイク。
私の妄想、じゃなくて、暴走です。
今日は、ここまで!
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徒然なるままに その11
話を元に戻します。
2500年続いてきた仏教、
それを初めて説き始めたお釈迦さん、ブッダ。
スゴイですよねぇー。
お釈迦さんは 仏教ってもんを
一番わかって、一番楽しんで、一番スゴイって
思ってたに違いありませんよ。
当たり前の事ですけど、
その当たり前を 布教師さんは
いつもちゃんと認識してないといけないと思うんです。
お釈迦さんは 仏教ってもんを
一番わかって、一番楽しんで、一番スゴイって思ってた。
仏教は 楽しくて、優しくて、アクティブで、癒しで、スゴイんです。
ブッダは、自分の悟りの中身に
誰よりも ワクワク、ドキドキしていたはずです。
おそらく、悟った後のブッダは、
好きな瞑想をしながら、
穏やかな、ニコニコした顔で
お説法の旅を続けていたと思うんですよね。
決して ブッチョウ面じゃなかった。
私はそう思いたいんです。
たとえ、釈迦国滅亡の時であってもね。
ブッダは、自分の悟りを 他のだれよりもスゴイと思っていた。
だから、80歳になるまで 旅を続けていられた。
2500年前の80歳っていったら、
今の120歳くらいだそうですよ。
そして、天台大師さんも お釈迦さんの教えが大好きだった。
伝教大師さんも、慈覚大師さんも、
私のちょっとだけ勉強させていただいた宝地坊証真や霊空光謙も、
私の敬愛する大久保良順先生も、三良周先生も、
みんなブッダや仏教が大好きだった。
じゃなきゃ、仏教がつまんなかったら、
2500年も 続いていませんよ。
私も仏教大好き人間の末席にいるつもりだし、
布教師さん、今ここにいる皆さん、
「ブッダと仏教大好きです」って宣言する事が
布教の、仏教を語る上での 大事な「はじめの一歩」だと思います。
その辺の事を 今から少しずつ お話していきたいと思うんですけど、
まぁ、あくまで、今日の副題、
「私論・試論・そして始論」ですけどね。
今日は、ここまで!
2500年続いてきた仏教、
それを初めて説き始めたお釈迦さん、ブッダ。
スゴイですよねぇー。
お釈迦さんは 仏教ってもんを
一番わかって、一番楽しんで、一番スゴイって
思ってたに違いありませんよ。
当たり前の事ですけど、
その当たり前を 布教師さんは
いつもちゃんと認識してないといけないと思うんです。
お釈迦さんは 仏教ってもんを
一番わかって、一番楽しんで、一番スゴイって思ってた。
仏教は 楽しくて、優しくて、アクティブで、癒しで、スゴイんです。
ブッダは、自分の悟りの中身に
誰よりも ワクワク、ドキドキしていたはずです。
おそらく、悟った後のブッダは、
好きな瞑想をしながら、
穏やかな、ニコニコした顔で
お説法の旅を続けていたと思うんですよね。
決して ブッチョウ面じゃなかった。
私はそう思いたいんです。
たとえ、釈迦国滅亡の時であってもね。
ブッダは、自分の悟りを 他のだれよりもスゴイと思っていた。
だから、80歳になるまで 旅を続けていられた。
2500年前の80歳っていったら、
今の120歳くらいだそうですよ。
そして、天台大師さんも お釈迦さんの教えが大好きだった。
伝教大師さんも、慈覚大師さんも、
私のちょっとだけ勉強させていただいた宝地坊証真や霊空光謙も、
私の敬愛する大久保良順先生も、三良周先生も、
みんなブッダや仏教が大好きだった。
じゃなきゃ、仏教がつまんなかったら、
2500年も 続いていませんよ。
私も仏教大好き人間の末席にいるつもりだし、
布教師さん、今ここにいる皆さん、
「ブッダと仏教大好きです」って宣言する事が
布教の、仏教を語る上での 大事な「はじめの一歩」だと思います。
その辺の事を 今から少しずつ お話していきたいと思うんですけど、
まぁ、あくまで、今日の副題、
「私論・試論・そして始論」ですけどね。
今日は、ここまで!
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徒然なるままに その10
さて、また 話が飛んでっちゃいそうです。
三無主義とか四無主義とか、私が若い頃から言われ始めた言葉ですが、
最近は五無主義なんてのまであるそうですが、
もし、皆さんや 皆さんの周りに
「ボク、やる気が出ないんです」
「ワタシ、夢中になれるものが無いんです」
なんて人がいたら、
その人は やる気が無いんじゃなくて、情熱がないんじゃなくて、
日々の生活の中で、感動が不足している、
嬉しい・楽しいって思える事が足りないだけなんだと思うんですよ。
感動とか、幸福感とか それを知るヒントは
「スゴイ」の仏教には たっくさんある。
私たち布教師は、
まずは 自分でたくさん感動して、幸せになって、
それが溢れだしたら、いろんな人にをれを分けてあげて、
それを布教としましょうか?!
楽しんで、布教しましょう。
まさに、瀧川の珍説・奇説・暴論であります。
三無主義とか四無主義とか、私が若い頃から言われ始めた言葉ですが、
最近は五無主義なんてのまであるそうですが、
もし、皆さんや 皆さんの周りに
「ボク、やる気が出ないんです」
「ワタシ、夢中になれるものが無いんです」
なんて人がいたら、
その人は やる気が無いんじゃなくて、情熱がないんじゃなくて、
日々の生活の中で、感動が不足している、
嬉しい・楽しいって思える事が足りないだけなんだと思うんですよ。
感動とか、幸福感とか それを知るヒントは
「スゴイ」の仏教には たっくさんある。
私たち布教師は、
まずは 自分でたくさん感動して、幸せになって、
それが溢れだしたら、いろんな人にをれを分けてあげて、
それを布教としましょうか?!
楽しんで、布教しましょう。
まさに、瀧川の珍説・奇説・暴論であります。
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