また、天台宗は、中国の天台山という山で、
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、
その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。
お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。
天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。
ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で
仏教の教え全般を勉強し、修行し、
のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。
したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。
ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から
「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」
と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、
天台宗は『法華経』を中心に据えて
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、
「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。
また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、
来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。
法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。
ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、
護摩祈祷などの密教や
座禅などの禅(止観)、
戒律 等、
お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。
それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。
今日は、ここまで!
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、
その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。
お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。
天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。
ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で
仏教の教え全般を勉強し、修行し、
のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。
したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。
ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から
「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」
と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、
天台宗は『法華経』を中心に据えて
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、
「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。
また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、
来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。
法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。
ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、
護摩祈祷などの密教や
座禅などの禅(止観)、
戒律 等、
お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。
それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。
今日は、ここまで!
