埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
天台宗勤行儀 その14 跋(3)
また、天台宗は、中国の天台山という山で、
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、
その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。
お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。
天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。
ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で
仏教の教え全般を勉強し、修行し、
のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。
したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。
ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から
「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」
と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、
天台宗は『法華経』を中心に据えて
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、
「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。
また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、
来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。
法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。
ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、
護摩祈祷などの密教や
座禅などの禅(止観)、
戒律 等、
お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。
それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。
今日は、ここまで!
智顗さま(天台大師・智者大師)という僧侶が、
お釈迦さまの教えを学び、修行し、お悟りを開いて完成された教えなので
「天台宗」という名前なんですが、
その“天台”とは
「天に輝く星々」という意味です。
お釈迦さまの教えは「八万四千の訪問」と言われるほど、
まさに夜空に輝く星々のようにたくさんあります。
天台宗は、そのお釈迦さまの八万四千の教え全部を整理統合して
教理を作り上げています。
ですから、他の宗派のお祖師さまたち、
例えば、法然上人、親鸞聖人、栄西禅師、道元禅師、日蓮上人 等々は、
皆、まず天台宗の総本山である比叡山延暦寺で
仏教の教え全般を勉強し、修行し、
のちに限りなくある星々(お釈迦さまの教え)の一つを選んで
新しい宗派を開かれたわけです。
したがって、天台宗の“勤行儀”は、
たの宗派の信者さんがお唱えしても
何等 支障はありません。
ちなみに、天台宗の“勤行”を 他の宗派から
「朝題目に夕念仏 ~ 朝に南無妙法蓮華経と唱えていたと思ったら、
夕方には 南無阿弥陀仏と唱えているし、
天台宗って どんなおしえなのか分からない宗派だ」
と揶揄(からかって馬鹿にする)されたりすることもありますが、
天台宗は『法華経』を中心に据えて
他のお経を系統立てて統合する教義の宗派ですから、
「南無妙法蓮華経」と『法華経』の名(お題目)を唱えるのは当然のことです。
また「厭離穢土 欣求浄土 ~ 苦界(此の世・此岸)を離れて
浄土(あの世・彼岸)に到達することを願う」、
来世に極楽浄土に生まれ変わることを願い、
その極楽浄土においでの阿弥陀如来を慕って
「南無阿弥陀仏」とお念仏するのも当たり前のことです。
法華経の教えも 浄土教の教えも
等しくお釈迦さまのおしえなのですから、
むしろ「南無妙法蓮華経」「南無阿弥陀仏」
両方をお唱えする天台宗の“勤行”こそ
お釈迦さまの教えそのものだと 誇りを持つべきでしょう。
ちょっとむずかしい話になりますが、
天台宗の教えは、この 法華経の教え、浄土教の教えばかりでなく、
護摩祈祷などの密教や
座禅などの禅(止観)、
戒律 等、
お釈迦さまの教えのすべてを天台宗の教えだととらえます。
それに 神道や儒教、道教、キリスト教、イスラム教 等々、
他の宗教さえも すべて肯定しています。
今日は、ここまで!
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天台宗勤行儀 その13 跋(2)
では、菩薩さまとは どんな仏さまなんでしょう?
仏教では 世界を十に分類します。
下方から
① 地獄界
② 餓鬼界(餓えた人々)
③ 畜生界(動物)
~ 〈ここまでを三悪道といいます〉
④ 阿修羅界(喧嘩ばかりの人々)
⑤ 人間界
⑥ 天界
~ 〈ここまでを六界、六道といいます〉
⑦ 声聞界(しょうもんかい 仏さまの声 つまり説法を聞いて お悟りを開く人々)
⑧ 独覚界(どっかくかい 縁覚界とも言い、日々の生活の中で
ある日 何かの縁でふと悟りを開く人々)
~ 〈この二界は 羅漢さんたちの世界です〉
・⑨ 菩薩界
・⑩ 佛界
~ 〈声聞から仏までを 六道に対して四聖といいます。〉
の世界です。
“菩薩さま”と呼ばれる仏さまには、観世音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などが
いらっしゃいますが、
これ等の菩薩さまたちは、皆、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・薬師仏・大日仏などの
仏さま(如来さま)より ひとつ下の位にいます。
では、観音さまたちは 阿弥陀さまたちより お悟りが浅いのでしょうか?
そうではありません。
菩薩さまたちも、既にお悟りを開かれている仏さまなのですが、
最後に
「この世の中の すべての人々、動物や植物、すべての命あるものたちが、
自分と同じお悟りを開いてから、
みんなでいっしょに最高位の佛界に行きましょう。
すべての生き物たちが お悟りを開くために、
私は 出来ることを何でもしていきたい。
それが 私の修行です」
という誓いを立てられたのです。
ですから、あえて上から二番目の位にいるのです。
先ずは 自分自身が 一生懸命 修行して、
悟りという境地を知り、
同時に 周りの人々の幸せのために精進努力する。
これが、天台宗にご縁をいただいた皆さんの“勤行”なのです。
繰り返しますが、天台宗の目指すところは、
成佛(佛さまに成る)のために
菩薩さまの境地に至るということです。
今日は、ここまで!
仏教では 世界を十に分類します。
下方から
① 地獄界
② 餓鬼界(餓えた人々)
③ 畜生界(動物)
~ 〈ここまでを三悪道といいます〉
④ 阿修羅界(喧嘩ばかりの人々)
⑤ 人間界
⑥ 天界
~ 〈ここまでを六界、六道といいます〉
⑦ 声聞界(しょうもんかい 仏さまの声 つまり説法を聞いて お悟りを開く人々)
⑧ 独覚界(どっかくかい 縁覚界とも言い、日々の生活の中で
ある日 何かの縁でふと悟りを開く人々)
~ 〈この二界は 羅漢さんたちの世界です〉
・⑨ 菩薩界
・⑩ 佛界
~ 〈声聞から仏までを 六道に対して四聖といいます。〉
の世界です。
“菩薩さま”と呼ばれる仏さまには、観世音菩薩、文殊菩薩、地蔵菩薩などが
いらっしゃいますが、
これ等の菩薩さまたちは、皆、釈迦牟尼仏・阿弥陀仏・薬師仏・大日仏などの
仏さま(如来さま)より ひとつ下の位にいます。
では、観音さまたちは 阿弥陀さまたちより お悟りが浅いのでしょうか?
そうではありません。
菩薩さまたちも、既にお悟りを開かれている仏さまなのですが、
最後に
「この世の中の すべての人々、動物や植物、すべての命あるものたちが、
自分と同じお悟りを開いてから、
みんなでいっしょに最高位の佛界に行きましょう。
すべての生き物たちが お悟りを開くために、
私は 出来ることを何でもしていきたい。
それが 私の修行です」
という誓いを立てられたのです。
ですから、あえて上から二番目の位にいるのです。
先ずは 自分自身が 一生懸命 修行して、
悟りという境地を知り、
同時に 周りの人々の幸せのために精進努力する。
これが、天台宗にご縁をいただいた皆さんの“勤行”なのです。
繰り返しますが、天台宗の目指すところは、
成佛(佛さまに成る)のために
菩薩さまの境地に至るということです。
今日は、ここまで!
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天台宗勤行儀 その12 跋(1)
天台宗勤行儀には、天台大師和讃と 伝教大師和讃とが載っていますが、
ここでは省略して 跋文に進みます。
跋文とは、後記の事です。
跋
“勤行”とは、もともと「努力して行う行為」「熱心に修行する」という意味です。
この言葉は、仏教以前の、『老子』や『荘子』に すでに出てきます。
仏教(経典)は、インドから中国に伝わり、やがて挑戦半島を経由して日本に至りますが、
その糧において、インド語(サンスクリット語・パーリ語)が 中国語(漢字)に変換、
つまり漢訳されます。
そして、経典の漢訳が盛んに行われると同時に“勤行”という言葉が
お経の中に頻出するようになりました。
例えば、『無量寿経』『佛遺教経』『大智度論』などがそうです。
日本に仏教が伝わると、“勤行”というと
「一日の内、時間を決めて、本尊様やお仏壇の『お位牌の前でお経を読むこと」
と解釈されるのが一般的になり、
“おつとめ”とも言うようになりました。
「朝のおつとめ」を“朝事”と言ったり、
「夕方のおつとめ」を“夕座”と言ったりします。
天台宗の“勤行”は、大儀には
「菩薩さまと同じ気持ちを持って日々生活していくこと」
と定義してよいでしょう。
そうなるためのひとつの修行方法として、
この『天台宗勤行儀』のような“おつとめ”があるのです。
今日は、ここまで!
ここでは省略して 跋文に進みます。
跋文とは、後記の事です。
跋
“勤行”とは、もともと「努力して行う行為」「熱心に修行する」という意味です。
この言葉は、仏教以前の、『老子』や『荘子』に すでに出てきます。
仏教(経典)は、インドから中国に伝わり、やがて挑戦半島を経由して日本に至りますが、
その糧において、インド語(サンスクリット語・パーリ語)が 中国語(漢字)に変換、
つまり漢訳されます。
そして、経典の漢訳が盛んに行われると同時に“勤行”という言葉が
お経の中に頻出するようになりました。
例えば、『無量寿経』『佛遺教経』『大智度論』などがそうです。
日本に仏教が伝わると、“勤行”というと
「一日の内、時間を決めて、本尊様やお仏壇の『お位牌の前でお経を読むこと」
と解釈されるのが一般的になり、
“おつとめ”とも言うようになりました。
「朝のおつとめ」を“朝事”と言ったり、
「夕方のおつとめ」を“夕座”と言ったりします。
天台宗の“勤行”は、大儀には
「菩薩さまと同じ気持ちを持って日々生活していくこと」
と定義してよいでしょう。
そうなるためのひとつの修行方法として、
この『天台宗勤行儀』のような“おつとめ”があるのです。
今日は、ここまで!
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