埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
天台宗勤行儀 その9 摩訶般若波羅蜜多心経(2)
是の故に、
空の中には、
色も無く、
受・想・行・識も無く、
眼・耳・鼻・舌・身・意も無く、
色・声・香・味・触・法も無し。
眼界も無く、
乃至、
意識界も無し。
無明も無く、
亦、無明の尽くることも無し。
乃至、
老・死も無く、
亦、老・死の尽くることも無し。
苦・集・滅・道も無く、
智も無く、
亦 得も無し。
得る所無きを以ての故に。
*************************************
『空』という悟りの境地から見れば、
世の中には 物質も無ければ 精神さえありません。
従って
眼・耳・鼻・舌・身体・心 といった器官も無く、
見る・聞く。嗅ぐ・味わう・触れる・感じる といった感覚もありません。
人が誰でも持っている 辛く苦しい煩悩も 実は虚構でしかなく、
生じたり 滅したりするものではありません。
苦の娑婆(この世の中)に生まれ、
病に罹り 年老いて 死ぬ、
そんな苦しみも 実際には無いのです。
この中の真理は何か、
どうすれば悟れるか
等ということに固執する必要はありません。
真理もなければ、それを知る智恵もなく、
したがって、それらを追い求める必要もありません。
すべて『空』なのですから。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
天台宗勤行儀 その8 摩訶般若波羅蜜多心経(1)
摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、
五蘊皆空なりと照見して、
一切の苦厄を度したまえり。
舎利子よ、
色は空に異ならず、
空は色に異ならず、
色は即ち是れ空、
空は即ち是れ色なり。
受・想・行・識も亦復 是の如し。
舎利子よ、
是の諸法は空相にして、
生ぜず、滅せず、垢れず、浄からず、増さず、減らず。
*************************************
摩訶般若波羅蜜多心経
(最上の智恵を知って 最高の幸せを得るために 最も大切な教えが説かれたお経)
観音さまが、完璧な智恵を体得するための修行をしてお悟りになったこととは、
「世の中のすべてのものごとには、
何の実体も無く、ただ他の何かと比べて、或いは並べて、
そこに虚構(虚像)を見、感じているに過ぎない」
ということです。
以下は、お釈迦様が、弟子たちの中で 最も聰明な舎利弗(舎利子)に向かって
お説きになられた説法です。
世の中のすべての物質と現象を『色』と言います。
この『色』には 形があるように思えるのですが、
実はそこには、実体が無いのです。
このことを『空』と言います。
でも物質が存在するという見方に対しての実体が無いという考え方ですから
『色』はそのまま『空』であり、
『空』はそのまま『色』であるということになります。
「色即是空・空即是色」です。
また、色ばかりでなく、
人の心の中の感覚、想い、意志、判断などの精神的な作用もやはり
『空』なのです。
すべてのものごとと、
それによって起こる人の心の動きは皆 『空』である
と知ることが
悟りの境地なのです。
ですから、
ものごとや人の心の作用は、
新しく生まれるということはなく、
無くなる(滅する)ということもなく、
汚いということもなく、
清らか(綺麗)だということもなく、
増えるということもなく、
減るということもないのです。
今日は、ここまで!
観自在菩薩、深般若波羅蜜多を行ぜし時、
五蘊皆空なりと照見して、
一切の苦厄を度したまえり。
舎利子よ、
色は空に異ならず、
空は色に異ならず、
色は即ち是れ空、
空は即ち是れ色なり。
受・想・行・識も亦復 是の如し。
舎利子よ、
是の諸法は空相にして、
生ぜず、滅せず、垢れず、浄からず、増さず、減らず。
*************************************
摩訶般若波羅蜜多心経
(最上の智恵を知って 最高の幸せを得るために 最も大切な教えが説かれたお経)
観音さまが、完璧な智恵を体得するための修行をしてお悟りになったこととは、
「世の中のすべてのものごとには、
何の実体も無く、ただ他の何かと比べて、或いは並べて、
そこに虚構(虚像)を見、感じているに過ぎない」
ということです。
以下は、お釈迦様が、弟子たちの中で 最も聰明な舎利弗(舎利子)に向かって
お説きになられた説法です。
世の中のすべての物質と現象を『色』と言います。
この『色』には 形があるように思えるのですが、
実はそこには、実体が無いのです。
このことを『空』と言います。
でも物質が存在するという見方に対しての実体が無いという考え方ですから
『色』はそのまま『空』であり、
『空』はそのまま『色』であるということになります。
「色即是空・空即是色」です。
また、色ばかりでなく、
人の心の中の感覚、想い、意志、判断などの精神的な作用もやはり
『空』なのです。
すべてのものごとと、
それによって起こる人の心の動きは皆 『空』である
と知ることが
悟りの境地なのです。
ですから、
ものごとや人の心の作用は、
新しく生まれるということはなく、
無くなる(滅する)ということもなく、
汚いということもなく、
清らか(綺麗)だということもなく、
増えるということもなく、
減るということもないのです。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
天台宗勤行儀 その7 開経偈
開教の偈
無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも遭い遇うこと難し。
我れ 今 見聞し 受持することを得たり。
願わくは 如来の真実義を解したてまつらん。
お経を唱えるに当たって(作者未詳)
これ以上ないほど高く・深く・広く・そして繊細
且つ 大胆な真理を教えてくれる仏教に出会い、
そしてそれを知る機会を得るということは、
無限の時を生まれ変わりながら(輪廻を繰り返して)生きていても
なかなか適うものではありません。
でも、私は今、この時代のこの場所に生まれて、
仏教という教えを知り、学ぶための縁を得ました。
この縁を 特別な奇跡(チャンス)だと認識し、
この修行によって、仏さまのお説きになられた
真如・真理・真実というものを
完全に理解し、体得できることを
心から願うものです。
今日は、ここまで!
無上甚深微妙の法は、
百千万劫にも遭い遇うこと難し。
我れ 今 見聞し 受持することを得たり。
願わくは 如来の真実義を解したてまつらん。
お経を唱えるに当たって(作者未詳)
これ以上ないほど高く・深く・広く・そして繊細
且つ 大胆な真理を教えてくれる仏教に出会い、
そしてそれを知る機会を得るということは、
無限の時を生まれ変わりながら(輪廻を繰り返して)生きていても
なかなか適うものではありません。
でも、私は今、この時代のこの場所に生まれて、
仏教という教えを知り、学ぶための縁を得ました。
この縁を 特別な奇跡(チャンス)だと認識し、
この修行によって、仏さまのお説きになられた
真如・真理・真実というものを
完全に理解し、体得できることを
心から願うものです。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
天台宗勤行儀 その6 四句誓願
四句の誓願
衆生は無辺なれども、誓って度せんことを願う。
煩悩は無辺なれども、誓って断ぜんことを願う。
法門は無尽なれども、誓って知らんことを願う。
仏道は無上なれども、誓って成ぜんことを願う。
四つの誓い
この世界に生き物は無数にいるけれど、
そのすべての生き物の苦しみを無くし 安らかに生きられるように導いてあげることを誓います。
私たちの身心を乱し、悩ませ、正しい判断を妨げる心の動揺は計り知れないほどあるけれど、
そのすべての醜悪な欲望を断ち切ることを誓います。
真理の考えは 数限りなくあるけれど、
その7すべてを学び 体得することを誓います。
仏さまがお悟りになった智恵は 高尚で遠大なものですが、
一生懸命学び、真摯に日々生活し、必ず仏さまと同じ境地に至ることを誓います。
今日は、ここまで!
衆生は無辺なれども、誓って度せんことを願う。
煩悩は無辺なれども、誓って断ぜんことを願う。
法門は無尽なれども、誓って知らんことを願う。
仏道は無上なれども、誓って成ぜんことを願う。
四つの誓い
この世界に生き物は無数にいるけれど、
そのすべての生き物の苦しみを無くし 安らかに生きられるように導いてあげることを誓います。
私たちの身心を乱し、悩ませ、正しい判断を妨げる心の動揺は計り知れないほどあるけれど、
そのすべての醜悪な欲望を断ち切ることを誓います。
真理の考えは 数限りなくあるけれど、
その7すべてを学び 体得することを誓います。
仏さまがお悟りになった智恵は 高尚で遠大なものですが、
一生懸命学び、真摯に日々生活し、必ず仏さまと同じ境地に至ることを誓います。
今日は、ここまで!
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )