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法話 お子さんのご冥福を祈って その3

「ウッビリーよ、そなたは 何故 そのように泣いているのかね?」

優しく声をかけられたのは お釈迦様でした。



「ああ、偉大なるお方、
 私のかわいいジーヴァーが はやり病で死んで、
 ここで火葬されたのです。」

ウッビリーの泣きながらの話に お釈迦様は、

「哀れなウッビリーよ。

 しかし、この火葬場では 
 八万四千人のジーヴァーが 荼毘に付されたが、
 そなたのジーヴァーは どの子のことだろうか。」

と聞きました。



しばらくは
その問いかけの意味がわからなかったウッビリーでしたが、

もともと聡明な彼女は、
やがて お釈迦様のお諭しが 理解できました。





人は必ず死ぬ。

八万四千人のジーヴァーの母親達は、
皆 この火葬場で 涙にくれた。

ウッビリーは、

人は どんなに愛するものとでも
いつかは別れなければならない時が来るという事、
つまり 人の世は 無常であることを悟り、

また、それを受け入れる智恵を得たのです。



「偉大なるお方、ありがとうございました。」
 
ウッビリーは ジーヴァーの死後 初めて 
にっこり微笑んだのです。






葬儀を終えたばかりの今、お子さんの死を自覚せよというのは
あまりに酷な事かもしれません。

しかし、もし仏様に手を引かれたお子さんが、
悲しみになき濡れてばかりいる親御さんを 
どこかで見ているとしたら、
却って 親に先立った自らを責める事になるのではないでしょうか。

お子さんの魂の安楽を願うのが、
今のご両親・ご遺族にできる 唯一最上の
義務なのではないでしょうか。

どうか、今のこの悲しみを乗り越えて、
お心を平安に保ち、
これからの日々の生活に ご精進ください。



                     以上


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法話 お子さんのご冥福を祈って その2

お釈迦様の時代、インドのお話です。

ウッビリーは 大変美しく、家柄も優れた 符号の娘でした。

年頃になって コーサラ国王に見初められ、
后となって、女の子を産みました。



王と后は、その子の幸せと長寿を願って、
名前を「寿命」という意味のジーヴァーと付けました。

ジーヴァーは 国中の人々にかわいがられて すくすくと育ちました。

ところが、よちよち歩きを始めた愛くるしいジーヴァーを
原因不明の病が襲い、
突然あっけなく死んでしまったのです。

国王と后 ウッビリーの悲しみは 計り知れないものでした。

国中が悲しみに沈みました。



ジーヴァーの葬儀は、インドの風習に従って 執り行われました。

川辺の火葬場で 遺体が荼毘に付され、灰は川に流されました。

当時 その土地のインドの人々は お墓を持たなかったのです。


その後、国王は 政務に忙殺されるうちに、
次第に愛娘を失った悲しみから立ち直っていったのですが、

ウッビリーは 毎日 火葬場に赴き 涙にくれてばかりいました。



そんなある日、
祇園精舎で お釈迦さまが説法をなさっているというので、
従者の勧めに従って ウッビリーも 聴聞に出かけました。

しかし、悲しみに心を閉ざした彼女の耳には、
お釈迦様の尊いお説法もとどきません。

お城への帰り道、ウッビリーは 再び火葬場に行き、
「ジーヴァー、どこへ行ってしまったの!」
と 泣き崩れていました。



                 続きます


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法話 お子さんのご冥福を祈って その1

お子さんを先に亡くしてしまうというのは、
最大の悲しみであるかと思います。

それは お釈迦様の時代も現代も 変る事はありません。

そんな時の事を想定して考えた法話です。

お釈迦様と出会ったという ある女性の話です。






お釈迦様は「この世は 苦しみの世界である」と言われました。

具体的には、自分自身が原因となっての苦しみとして、

1) 苦の世界に生まれ、
   様々な苦しみを経験しながら生きていく事、

2)  年をとって 身体の自由がきかなくなり 
   死に近づいていく事、

3) 病気になって 苦しみ嘆く事、
 
4) 死ぬ事、

の四つを。



また、自分以外の物事が原因となる、

5) 愛する人と いつかは別れなければならない寂しさ、

6) 逆に、嫌いな人とでも 会わなければならない苦痛、

7) 欲しい物が手に入らない、
   願う事が思いのままにならない不満、

8) 心身から起こる様々な苦しみが
   取りとめもなく続く事、

の四つを挙げています。






ある生命保険会社のアンケート調査で、

「幸福と不幸の具体的な例を 思いつく限り 
 箇条書きにしなさい」

という出題があり、

その結果は、不幸の項目が 幸福のそれを
はるかに上回ったという事です。






人生が苦 というのであれば、
私達は、日々に悲しみに沈み、或いは 怒り苦しみながら
やがて 死を迎えるしか 術がないのでしょうか?

否、決してそうではありません。

世の中の、良い事でも たとえ悪い事でも、
あらゆる物事を すべて真実の姿として肯定する事ができれば、
必ず苦しみを乗り越える事ができるのです。

苦悩から解脱する事が できるのです。



                    続きます

 
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