埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
忌中払い その4
ご葬儀を執り行い、<忌中払い>は済みましたが、
正式には これから本当の7回の忌日が来ます。
前に、<忌中払い>は丁寧だ と申し上げましたが、
それは 日常生活と 本来あるべき宗教儀礼の間のジレンマに
合理的な折り合いをつけたものである
という事実は否めません。
〇〇家菩提寺として
喪主様はじめ 皆様にお願いいたします。
<忌中払い>は <忌中払い>として、
これから訪れる 初七日、二七日忌、三七日忌・・・には、
やはりきちんと 故〇〇様のご法事を営んで下さい。
何も、ただ今のように 皆さんが 一堂に会して、
私共僧侶を呼んで その読経に立会い、
皆で墓参りをして、清宴の場を設けなさい
と 申しているのでは ありません。
今日 お帰りになりましたら、
〇〇さんが亡くなった日から 七日ごとに
カレンダーに印をつけて下さい。
そして、七日ごとに、
ご自宅に仏壇のある方は、朝晩 お線香やお茶を上げる時に、
お仏壇の無い方も 朝 カレンダーを覗いて気が付いた時に、
〇〇さんのご冥福を 静かに祈るという、
お一人お一人でできる 心のこもったお供養を
ぜひ していただきたいとお願い致します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いかがでしたでしょうか?
ああ、そういう習慣が 以前はあったな、とお思いになる話も
あったと思います。
本当に あっという間に 変わってきてしまいました。
こうして 私達の生活に合わせて 習慣というのは 変化していきます。
けれど、その根底にあった考え方は 変わりませんし、
また 変わってはならない、とも思います。
これから どんなふうに お弔いの習慣は 変わっていくのでしょうか?
どんなに習慣が変化していっても、
「弔う気持ち」だけは これからもきっと 変わらないと思います。
今日は、ここまで!
正式には これから本当の7回の忌日が来ます。
前に、<忌中払い>は丁寧だ と申し上げましたが、
それは 日常生活と 本来あるべき宗教儀礼の間のジレンマに
合理的な折り合いをつけたものである
という事実は否めません。
〇〇家菩提寺として
喪主様はじめ 皆様にお願いいたします。
<忌中払い>は <忌中払い>として、
これから訪れる 初七日、二七日忌、三七日忌・・・には、
やはりきちんと 故〇〇様のご法事を営んで下さい。
何も、ただ今のように 皆さんが 一堂に会して、
私共僧侶を呼んで その読経に立会い、
皆で墓参りをして、清宴の場を設けなさい
と 申しているのでは ありません。
今日 お帰りになりましたら、
〇〇さんが亡くなった日から 七日ごとに
カレンダーに印をつけて下さい。
そして、七日ごとに、
ご自宅に仏壇のある方は、朝晩 お線香やお茶を上げる時に、
お仏壇の無い方も 朝 カレンダーを覗いて気が付いた時に、
〇〇さんのご冥福を 静かに祈るという、
お一人お一人でできる 心のこもったお供養を
ぜひ していただきたいとお願い致します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
いかがでしたでしょうか?
ああ、そういう習慣が 以前はあったな、とお思いになる話も
あったと思います。
本当に あっという間に 変わってきてしまいました。
こうして 私達の生活に合わせて 習慣というのは 変化していきます。
けれど、その根底にあった考え方は 変わりませんし、
また 変わってはならない、とも思います。
これから どんなふうに お弔いの習慣は 変わっていくのでしょうか?
どんなに習慣が変化していっても、
「弔う気持ち」だけは これからもきっと 変わらないと思います。
今日は、ここまで!
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忌中払い その3
さて、この<忌中払い>は、
決して 残された生者のご都合主義の儀礼では ありません。
時間に余裕があった大昔の、ごく恵まれた人々はともかく、
近世社会において、四十九日の忌み籠りは
そんな状況の人であれ、あまりにも長すぎます。
しかし、神仏、生死、浄穢の問題であるだけに、
簡単には その儀礼を変えるわけには いきません。
無理をして精進潔斎の忌み籠りをしようとしても、
日常の生活に追われて、
必ず 中途半端な供養になってしまう事でしょう。
それでは、供養される側の故人にとっても、
供養する側の遺族にとっても 良い事はありません。
それなら、
行なうべき法事は きちんと預修(よしゅう=逆修(ぎゃくしゅう)して、
故人の魂にも 理解してもらい、
残された者も 納得してしまおうという、
丁寧で、合理的で、たくましい、
当地の先人達の知恵がここにあるのです。
また、忌中の間には、
七日ごとに
初七日、ニ七日、三七日、四七日、三十五日、六七日、四十九日の
7回の法事が行なわれるべきです。
これらの法事は、
遠く インド仏教に その出典が認められ、
日本に至って
十三仏信仰、
すなわち 死後 七日ごとの冥府の裁判の物語と相まって
現在でも ポピュラーに伝えられていますが、
今言うところの<忌中払い>の法事は、
この7回の法事をすべて含んでいます。
もちろん、四十九日忌の法事も含むわけですから、
当地では 四十九日目の尽七日忌法要を
≪棚上がり≫とか ≪棚上げ≫と言って
<忌中払い>とは区別しています。
お位牌を床の間に据えられた後飾りから
棚、すなわち 仏壇に納める日の法事という事です。
近年 都会を中心に、
葬儀・火葬後 その日のうちに初七日忌を執行するのが
一般的になりましたが、
初七日忌だけで 二七日忌、三七日忌、四七日忌・・・・・・を
しなくて良いという事は ありません。
当地の<忌中払い>には これが全部含まれているという事を
知っていてください。
つづきます
決して 残された生者のご都合主義の儀礼では ありません。
時間に余裕があった大昔の、ごく恵まれた人々はともかく、
近世社会において、四十九日の忌み籠りは
そんな状況の人であれ、あまりにも長すぎます。
しかし、神仏、生死、浄穢の問題であるだけに、
簡単には その儀礼を変えるわけには いきません。
無理をして精進潔斎の忌み籠りをしようとしても、
日常の生活に追われて、
必ず 中途半端な供養になってしまう事でしょう。
それでは、供養される側の故人にとっても、
供養する側の遺族にとっても 良い事はありません。
それなら、
行なうべき法事は きちんと預修(よしゅう=逆修(ぎゃくしゅう)して、
故人の魂にも 理解してもらい、
残された者も 納得してしまおうという、
丁寧で、合理的で、たくましい、
当地の先人達の知恵がここにあるのです。
また、忌中の間には、
七日ごとに
初七日、ニ七日、三七日、四七日、三十五日、六七日、四十九日の
7回の法事が行なわれるべきです。
これらの法事は、
遠く インド仏教に その出典が認められ、
日本に至って
十三仏信仰、
すなわち 死後 七日ごとの冥府の裁判の物語と相まって
現在でも ポピュラーに伝えられていますが、
今言うところの<忌中払い>の法事は、
この7回の法事をすべて含んでいます。
もちろん、四十九日忌の法事も含むわけですから、
当地では 四十九日目の尽七日忌法要を
≪棚上がり≫とか ≪棚上げ≫と言って
<忌中払い>とは区別しています。
お位牌を床の間に据えられた後飾りから
棚、すなわち 仏壇に納める日の法事という事です。
近年 都会を中心に、
葬儀・火葬後 その日のうちに初七日忌を執行するのが
一般的になりましたが、
初七日忌だけで 二七日忌、三七日忌、四七日忌・・・・・・を
しなくて良いという事は ありません。
当地の<忌中払い>には これが全部含まれているという事を
知っていてください。
つづきます
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忌中払い その2
そもそも 忌中とは何か というと、
死者が 現世から来世に至までの旅の期間、
中陰(ちゅういん)の、あるいは 中間(ちゅうげん)の、
具体的には 四十九日間、
残された遺族は
死者とつながった食事をしながら
死者と共に生活をする、
身を謹んで「忌み籠り」をする期間の事をいいます。
つい最近まで、当地では
「葬式の晩に当家に泊まった者は、
初七日まで ずっと泊まっていなければならない」
という言い伝えがありました。
これなどは 忌中期間の忌み籠り、
死穢の伝染の防止を示す例と言えるでしょう。
しかし、現代社会では そうもしていられません。
明日から仕事、という方も
皆さんの仲には居られるのではないでしょうか。
昔も同じで、
当地では 養蚕が盛んでしたから、
蚕という生き物を飼って整形を立てていたわけで、
毎日 その面倒を見てやらねければ
自分の生活が ままならなくなってしまう。
また、さらに昔、当地の産業は
多かれ少なかれ 利根川水運に関わる事で 成り立っていましたから、
四十九日もの間、喪主である主人が
死者のための忌み籠りをしていては、
近隣の流通経済が 立ち行かなくなってしまう。
そこで 生活の智恵、手段として考え出されたのが≪忌中払い≫で、
葬儀終了後に、ただちに四十九日の忌み籠りを祓ってしまい、
死者に遠慮せず、翌日からの仕事に打ち込めるようにしてしまおう
というわけです。
また、群馬県南部に伝わる≪道場払い(どじょっぱらい)≫も
忌中払いと同様の意味も認められますが、
むしろ こちらの方は、
祭壇を片付けた後の 世話役さんたちの酒席という事に
重きが置かれているようでもあります。
つづきます。
死者が 現世から来世に至までの旅の期間、
中陰(ちゅういん)の、あるいは 中間(ちゅうげん)の、
具体的には 四十九日間、
残された遺族は
死者とつながった食事をしながら
死者と共に生活をする、
身を謹んで「忌み籠り」をする期間の事をいいます。
つい最近まで、当地では
「葬式の晩に当家に泊まった者は、
初七日まで ずっと泊まっていなければならない」
という言い伝えがありました。
これなどは 忌中期間の忌み籠り、
死穢の伝染の防止を示す例と言えるでしょう。
しかし、現代社会では そうもしていられません。
明日から仕事、という方も
皆さんの仲には居られるのではないでしょうか。
昔も同じで、
当地では 養蚕が盛んでしたから、
蚕という生き物を飼って整形を立てていたわけで、
毎日 その面倒を見てやらねければ
自分の生活が ままならなくなってしまう。
また、さらに昔、当地の産業は
多かれ少なかれ 利根川水運に関わる事で 成り立っていましたから、
四十九日もの間、喪主である主人が
死者のための忌み籠りをしていては、
近隣の流通経済が 立ち行かなくなってしまう。
そこで 生活の智恵、手段として考え出されたのが≪忌中払い≫で、
葬儀終了後に、ただちに四十九日の忌み籠りを祓ってしまい、
死者に遠慮せず、翌日からの仕事に打ち込めるようにしてしまおう
というわけです。
また、群馬県南部に伝わる≪道場払い(どじょっぱらい)≫も
忌中払いと同様の意味も認められますが、
むしろ こちらの方は、
祭壇を片付けた後の 世話役さんたちの酒席という事に
重きが置かれているようでもあります。
つづきます。
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