埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
生まれて生きて死んでそれから・・・(9)
みなさん 考えて見て下さい。
「心」はすごいんです。
何でもわかってる。
私たちが生きていくうえで、
こーしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。
これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ。
本当は 全部 わかってるんですよ。
「自分は無知だから、
歳をとっているから、
若すぎるから、
男だから、
女だから、
世の中の事、なんにもわかんないよ。
パソコンやスマホなんか とんでもないよ」
という方がもしいるとすれば、それは言い訳で、
知らない事は調べればいい、
勉強すればいい、
という事を あなたの心は 実は知っています。
徹夜でマージャンしたり、お酒を飲みすぎると
身体によくない、という事を
心がちゃんと知っていても、
肉体の快楽を求めて、
ついつい徹夜して遊び惚けたり、深酒したりしてしまう。
それが普段の私たちです。
でも、「それじゃいけない」って
私たちの心は知っているんです。
私たちは、普段、そんな素晴らしい私たち自身の
本当の心、真実の心を、
自分の欲望のために こき使っている。
あなたの心は あなたの事を 何でも知っているのに、
もし その事に気が付かないとすれば、
気付かないフリをしているならば、
とっても勿体ない事だと思います。
あなたの心が可愛そうです。
一度、自分の心のいう事を 素直に聞いてみてはどうか
と思います。
一度、自分自身の心に真剣に寄り添ってみてはどうか
と思います。
それから、自分の心には 嘘はつけません。
嘘をついても 自分には全部バレちゃっています。
心に寄り添うという事は、
いつも 正しい事、恥ずかしくない人生を送る
という事、
でなければ、自分に対して恥ずかしい事になります。
自分に恥ずかしくない人生を送る。
自分の人生劇場の主人公は 自分であり、
主人公は 正々堂々とした、
カッコいいヒーローでなければならない、
優しいヒロインでなければならない。
そういう事です。
心を大事にしていると、
本当の自分というものが分かってくる。
本当の自分に気付けるようになる。
自己完成、悟り にどんどん近づいていきます。
死んでもついて来てくれる、心っていう第四夫人は、
遠い深谷国、あの世に行って、つまり死んだら、
その名を魂に代えます。
皆さんの純粋な思いがそれです。
その、心・魂・思いは、
皆さんの後に生まれてくる可愛い子供たち、孫たち、
その未来人の生きる指針になる。
逆に、そして 同じように、
皆さんのご先祖さん、私たちの先人たちの心・思い・そして魂は、
私たちが 今 生きていく糧になっている、
それが瀧川が考える命のつながり、命の連鎖です。
生まれて 生きて 死んでも
また 生まれて 生きて ・・・ということです。
以上です。
つづく
「心」はすごいんです。
何でもわかってる。
私たちが生きていくうえで、
こーしなくちゃいけない、あーしなくちゃいけない。
これをしちゃダメ、あれをしちゃダメ。
本当は 全部 わかってるんですよ。
「自分は無知だから、
歳をとっているから、
若すぎるから、
男だから、
女だから、
世の中の事、なんにもわかんないよ。
パソコンやスマホなんか とんでもないよ」
という方がもしいるとすれば、それは言い訳で、
知らない事は調べればいい、
勉強すればいい、
という事を あなたの心は 実は知っています。
徹夜でマージャンしたり、お酒を飲みすぎると
身体によくない、という事を
心がちゃんと知っていても、
肉体の快楽を求めて、
ついつい徹夜して遊び惚けたり、深酒したりしてしまう。
それが普段の私たちです。
でも、「それじゃいけない」って
私たちの心は知っているんです。
私たちは、普段、そんな素晴らしい私たち自身の
本当の心、真実の心を、
自分の欲望のために こき使っている。
あなたの心は あなたの事を 何でも知っているのに、
もし その事に気が付かないとすれば、
気付かないフリをしているならば、
とっても勿体ない事だと思います。
あなたの心が可愛そうです。
一度、自分の心のいう事を 素直に聞いてみてはどうか
と思います。
一度、自分自身の心に真剣に寄り添ってみてはどうか
と思います。
それから、自分の心には 嘘はつけません。
嘘をついても 自分には全部バレちゃっています。
心に寄り添うという事は、
いつも 正しい事、恥ずかしくない人生を送る
という事、
でなければ、自分に対して恥ずかしい事になります。
自分に恥ずかしくない人生を送る。
自分の人生劇場の主人公は 自分であり、
主人公は 正々堂々とした、
カッコいいヒーローでなければならない、
優しいヒロインでなければならない。
そういう事です。
心を大事にしていると、
本当の自分というものが分かってくる。
本当の自分に気付けるようになる。
自己完成、悟り にどんどん近づいていきます。
死んでもついて来てくれる、心っていう第四夫人は、
遠い深谷国、あの世に行って、つまり死んだら、
その名を魂に代えます。
皆さんの純粋な思いがそれです。
その、心・魂・思いは、
皆さんの後に生まれてくる可愛い子供たち、孫たち、
その未来人の生きる指針になる。
逆に、そして 同じように、
皆さんのご先祖さん、私たちの先人たちの心・思い・そして魂は、
私たちが 今 生きていく糧になっている、
それが瀧川が考える命のつながり、命の連鎖です。
生まれて 生きて 死んでも
また 生まれて 生きて ・・・ということです。
以上です。
つづく
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変わることは進歩 変わらないことは安らぎ 変われる自分は誇らしい 変わらない自分は愛おしい
令和七年の初春を迎え、謹んで至心に三宝を誦し
檀信徒の皆様のご清祥を心よりお祈り申し上げます。
長野県の山間部、中山道沿いの宿場町の一つに
妻籠宿があります。
深い山間に位置する妻籠の村は、
その立地の悪さから
大きな工場や商業施設、住宅地などを誘致できず、
際立った産業もないまま、
次第に過疎化が進んでいきました。
やがて 村に残ったものは、
機能を失った古い宿場の街並みだけになってしまいました。
「このままでは 私たちの妻籠が無くなってしまう」
住民たちは 大切な自分たちの住む村を どうしたら残せるか
皆で真剣になって考えました。
「そうだ!
妻籠の宿を変えなけらば
ステキな観光資源になるんじゃないか!」
こうして
住民たちによって 古い景観が大切に保護された妻籠宿は、
日本初の “全国伝統的建造物群保存地区” に指定され、
中山道でも 有数の観光地として
成長していくのです。
福岡県の柳川市は
現在 水郷の町として とても有名ですが、
かつて(昭和52年)
町中の水路が 交通の妨げになるとして、
道路を広げ 町中を整備するために
水路全体をコンクリート張りにすることが
議会で決定されました。
でも、故郷の景観が大好きだった一人の市職員が
市長に計画の撤回を直訴します。
「柳川の水路は 柳川に暮らす私たちの宝物です。
無くさないで!」
それを知ったたくさんの住民たちも
故郷の町の美しさに改めて気づき、
議会の決定を覆す形で コンクリート化の計画は中止され、
結果 柳川は現在でも“水郷の柳川”として
日本国中から たくさんの人々が訪れています。
ⅠT革命とか デジタル化とか、そういった事が
かっこいいを通り越して
当たり前の時代になってきましたね。
だから、好むと好まざるとにかかわらず、
私たちも 変わらざるを得ないのでしょうね。
でも、変わる事が偉いわけでも
かっこいいわけでもありません。
昔からの美しい風景に癒され、
昔ながらの祭りや行事に感動する。
そんな心の豊かさや穏やかさは、
時代が変わっても
ずっと持ち続けて行きたいものですね。
山主合掌
追記 此度 小衲儀、令和6年10月23日付けで、
住職三十年勤続褒賞・布教功労褒賞を受賞し、
天台座主猊下より 表彰状を授与されました。
此れひとえに檀信徒の皆さまのご厚情によるものであり、
皆さまを代表しておの受賞と心得ております。
今後も「常精進(じょうしょうじん)」「不休息(ふくそく)」の
二菩薩を奉じ、求道の毎日を送ってまいりたいと存じますので、
相変わらず宜しくお願い申し上げます。
檀信徒の皆様のご清祥を心よりお祈り申し上げます。
長野県の山間部、中山道沿いの宿場町の一つに
妻籠宿があります。
深い山間に位置する妻籠の村は、
その立地の悪さから
大きな工場や商業施設、住宅地などを誘致できず、
際立った産業もないまま、
次第に過疎化が進んでいきました。
やがて 村に残ったものは、
機能を失った古い宿場の街並みだけになってしまいました。
「このままでは 私たちの妻籠が無くなってしまう」
住民たちは 大切な自分たちの住む村を どうしたら残せるか
皆で真剣になって考えました。
「そうだ!
妻籠の宿を変えなけらば
ステキな観光資源になるんじゃないか!」
こうして
住民たちによって 古い景観が大切に保護された妻籠宿は、
日本初の “全国伝統的建造物群保存地区” に指定され、
中山道でも 有数の観光地として
成長していくのです。
福岡県の柳川市は
現在 水郷の町として とても有名ですが、
かつて(昭和52年)
町中の水路が 交通の妨げになるとして、
道路を広げ 町中を整備するために
水路全体をコンクリート張りにすることが
議会で決定されました。
でも、故郷の景観が大好きだった一人の市職員が
市長に計画の撤回を直訴します。
「柳川の水路は 柳川に暮らす私たちの宝物です。
無くさないで!」
それを知ったたくさんの住民たちも
故郷の町の美しさに改めて気づき、
議会の決定を覆す形で コンクリート化の計画は中止され、
結果 柳川は現在でも“水郷の柳川”として
日本国中から たくさんの人々が訪れています。
ⅠT革命とか デジタル化とか、そういった事が
かっこいいを通り越して
当たり前の時代になってきましたね。
だから、好むと好まざるとにかかわらず、
私たちも 変わらざるを得ないのでしょうね。
でも、変わる事が偉いわけでも
かっこいいわけでもありません。
昔からの美しい風景に癒され、
昔ながらの祭りや行事に感動する。
そんな心の豊かさや穏やかさは、
時代が変わっても
ずっと持ち続けて行きたいものですね。
山主合掌
追記 此度 小衲儀、令和6年10月23日付けで、
住職三十年勤続褒賞・布教功労褒賞を受賞し、
天台座主猊下より 表彰状を授与されました。
此れひとえに檀信徒の皆さまのご厚情によるものであり、
皆さまを代表しておの受賞と心得ております。
今後も「常精進(じょうしょうじん)」「不休息(ふくそく)」の
二菩薩を奉じ、求道の毎日を送ってまいりたいと存じますので、
相変わらず宜しくお願い申し上げます。
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