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徒然なるままに その26

次に、ブッダは 何語をしゃべっていたか



普通に考えれば、お経の経典がサンスクリットやパーり語だから、
「ブッダは王子だったんだから サンスクリット語を話してたのかな」
と考えるのが自然なんでしょうけど、
答は「古代マガダ語」だそうです。

その言語がどんなもんなのか、
語学が全く苦手な私には 皆目 検討がつかないんですが、
パーリ語、サンスクリット語とは系統が違う言語だったようです。



これはゆゆしき問題です。

だって、ブッダが説法されていた言語と、
ブッダの教えとして伝わったお経の言語が違うんですよ!

「仏教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。



ところが、キリスト教も同じなんですよね。

イエスは 「アラム語」という言葉を話していた。

でも、『新約聖書』は ギリシャ語、『旧約聖書』は もともとヘブライ語。

「キリスト教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。






しかも、ブッダの説法が文字化されるのは、
確実な所で 入滅後300年くらい後。

それまで、聞いて伝えて、聞いて伝えて、を 
10回以上繰り返しているわけで、

そんな事考えちゃうと、お経の冒頭に必ずある
如是我聞」は、
小声で「あのさぁ、ボク、こんなふうに聞いたようなきがするんだけどさぁ」
って、自信なさそうに言ってるようにも感じてしまうのは
私の不遜でしょうか?

でも 大丈夫ですよ、「我聞」さん。

なにせ、それから2000年以上、「我聞」さんの伝え聞いたブッダの教えは、
「スゴイ」って言われながら続いて来てて、
私たちを癒し、勇気づけ続けているんですから。

我聞さん、ありがとう」です。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その25

身長が高かった、の次は、超イケメンだったって事です。



原 実 先生訳の『ブッダチャリタ』って本に、
ブッダ誕生の場面で

「燦然たる光輝と 確固たる落ち着きに輝いて、この幼子は、 
 あたかも旭日の太陽が 大地に降りてきたかの如く見えた。

 まばゆいばかりに輝いていたが、
 さりとて、人の目を眩ますことなく、
 人々に仰ぎ見られては、あたかも月の如く 彼らの眼を奪った。 

 なんとなれば、彼は、自分の四肢から燃え上って輝く光彩によって、
 あたかも太陽の如く、灯火の光明を 瞠若たらしめ、
 また、純正高価な、黄金の美しい色合いをたたえて、
 十方を照らしたからである。」

と記されています。

この赤ちゃんが成長した先の姿、推して知るべしです。



それから、悟る前のブッダには、既にファンが2人いた事が分かっています。



さらに、『ブッダチャリタ』の最後の部分の
「純正効果な黄金の美しい色合い」という記述、
出身地、父のスッドダーナという名前、
東アジアの民族にも通じる教えの内容などから、

ブッダは 純粋アーリア人ではなく、
私たちと同じモンゴロイドの血が混ざっている、
ハーフ・或いはクウォーターであった可能性もあると推測されてきています。

髪もガンダーラ仏なんかは 螺髪(らほつ)じゃなくて
きれいにウェーブした長髪を きりっと結っている。

そんな、たぐいまれな美男子ブッダを、
私は想像しています。



ただし、『ブッダチャリタ』は
ブッダ入滅後400年~500年後の書物である事を
付け加えておきます。


               



三十二相と八十種好を 後に資料として載せる予定です。

興味のある方は 目を通しておいてください。

興味のない方も 常識を知る義務として 目を通しておいてください。



今日は、ここまで!


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徒然なるままに その24

この大男がブッダであったとすれば、
80歳、現代で言えば120歳の高齢で 旅を続けていた、
それは 強靭な肉体を持っていたからこその事だと
納得できるような気がします。






ブッダに限らず、昔から思想家たちは 皆 大男だったようです。

チビの思想家は あまりいなかったようで、
偉大な思想を持つ偉人は 見た目も 皆 大きかった、
小柄は それだけでマイナスだったようです。



例えば、先のソクラテスは 
「重装歩兵」として活躍するほどの体躯の持ち主であったし、

プラトンは 実は ニックネームで、
その意味は 「肩幅のやたら広い奴」って事だし、

儒教の孔子は 身長9尺6寸だったって言うし、

日蓮は 186cmだったって言うし、

一遍だって 絵巻で見ると やっぱり2m近くあったみたいです。



小柄な天台大師や伝教大師ってのも
何となく 想像しにくいですかねぇ。






さて、身長でこんなに話してたら 
あっという間に時間経ってきちゃいます。

いくら徒然なるままにでも
それじゃ あまりにも責任が果たせないので、
ブッダの 他のビジュアル、
結論だけ 箇条書き的に ざっくりとお話してみます。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その23

仏舎利に話を戻します。

世界中に 仏舎利は ごろごろしています。

皆さんのお寺にも もしかしたら あるんじゃないですか。

そればかりか、仏舎利入りの舎利塔なるものが、
骨董屋さんで売られたりもしています。



世界中の仏舎利を集めると、
高さ数十メートルのお釈迦さんが出現します。

としたら、怖いです。

もちろん、ほとんど偽物です。

多くは 水晶などの宝石類のようです。

ただ、世界中に最低で2つほど
本物の可能性が高い仏舎利があるそうです。



その1つは、現在 インドの デリー国立博物館にあって、
ピプラハワという所で、1898年に発掘されたんだそうです。

ピプラハワは、ブッダが生まれ育ったカピラヴァストゥだった、
と伝えられる場所です。

もっとも、カピラヴァストゥとしての候補地は 他にもあるし、

その仏舎利が入った舎利容器の文字は、
釈迦族の仏、世孫の遺骨の容器」とも
ブッダの親族である釈迦族の遺骨」とも
両様に解読できるので、

この仏舎利が100%ブッダの遺骨である、とは 言えないんですが、
地元や 関係者の間では ずっとそうであると信じられてきたそうです。






また、日本の学者(立川武蔵先生)が、この仏舎利を調べて、
「この骨は 長時間にわたって火葬されたものではなく、
 火葬を途中でやめたか、火葬中に水をかけられたかの状態であり、
 ブッダの火葬に関する仏典の記載通りだ」
と断定しました。

私も耳学問で、それ以上詳しくはわかりません。

すみません。



この仏舎利の中に、犬歯、いわゆる糸切り歯があって、
これが当時の人々のそれに比べて、異常に大きい。

この犬歯から推定すると、この遺骨の人は
2メートルを超える身長があったと考えられる
との事です。






今日は、ここまで!


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