次に、ブッダは 何語をしゃべっていたか?
普通に考えれば、お経の経典がサンスクリットやパーり語だから、
「ブッダは王子だったんだから サンスクリット語を話してたのかな」
と考えるのが自然なんでしょうけど、
答は「古代マガダ語」だそうです。
その言語がどんなもんなのか、
語学が全く苦手な私には 皆目 検討がつかないんですが、
パーリ語、サンスクリット語とは系統が違う言語だったようです。
これはゆゆしき問題です。
だって、ブッダが説法されていた言語と、
ブッダの教えとして伝わったお経の言語が違うんですよ!
「仏教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。
ところが、キリスト教も同じなんですよね。
イエスは 「アラム語」という言葉を話していた。
でも、『新約聖書』は ギリシャ語、『旧約聖書』は もともとヘブライ語。
「キリスト教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。
しかも、ブッダの説法が文字化されるのは、
確実な所で 入滅後300年くらい後。
それまで、聞いて伝えて、聞いて伝えて、を
10回以上繰り返しているわけで、
そんな事考えちゃうと、お経の冒頭に必ずある
「如是我聞」は、
小声で「あのさぁ、ボク、こんなふうに聞いたようなきがするんだけどさぁ」
って、自信なさそうに言ってるようにも感じてしまうのは
私の不遜でしょうか?
でも 大丈夫ですよ、「我聞」さん。
なにせ、それから2000年以上、「我聞」さんの伝え聞いたブッダの教えは、
「スゴイ」って言われながら続いて来てて、
私たちを癒し、勇気づけ続けているんですから。
「我聞さん、ありがとう」です。
今日は、ここまで!
普通に考えれば、お経の経典がサンスクリットやパーり語だから、
「ブッダは王子だったんだから サンスクリット語を話してたのかな」
と考えるのが自然なんでしょうけど、
答は「古代マガダ語」だそうです。
その言語がどんなもんなのか、
語学が全く苦手な私には 皆目 検討がつかないんですが、
パーリ語、サンスクリット語とは系統が違う言語だったようです。
これはゆゆしき問題です。
だって、ブッダが説法されていた言語と、
ブッダの教えとして伝わったお経の言語が違うんですよ!
「仏教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。
ところが、キリスト教も同じなんですよね。
イエスは 「アラム語」という言葉を話していた。
でも、『新約聖書』は ギリシャ語、『旧約聖書』は もともとヘブライ語。
「キリスト教、 大丈夫かよ、 おい」って感じです。
しかも、ブッダの説法が文字化されるのは、
確実な所で 入滅後300年くらい後。
それまで、聞いて伝えて、聞いて伝えて、を
10回以上繰り返しているわけで、
そんな事考えちゃうと、お経の冒頭に必ずある
「如是我聞」は、
小声で「あのさぁ、ボク、こんなふうに聞いたようなきがするんだけどさぁ」
って、自信なさそうに言ってるようにも感じてしまうのは
私の不遜でしょうか?
でも 大丈夫ですよ、「我聞」さん。
なにせ、それから2000年以上、「我聞」さんの伝え聞いたブッダの教えは、
「スゴイ」って言われながら続いて来てて、
私たちを癒し、勇気づけ続けているんですから。
「我聞さん、ありがとう」です。
今日は、ここまで!