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私個人 ~お釈迦様をひとりじめ~

私が 「ああしたい、こうすべきだ」いうのは 当然 私個人の考えですが、

「ああした、こうなった」も 私個人に起こった 私個人のものなのです。

 

家族を愛し、思い出や夢を 大事にするのも 私個人、

仕事や人とのお付き合いで ストレスが溜まるのも 私個人、

幸・不幸も、生きていく・年老いていく・病気になる・死んじゃうのも、

結局は全部 私個人の事、

私個人が ギリギリのところは 他の人には 解らない、代われない事なんです。

 

つまり、私がお釈迦様から学んだ事は 私個人のものであって、

だから、私にしてみれば お釈迦様は私だけにお説法して下さっているわけで、

私はお釈迦様を‘独り占め’している事になるわけです。

 

「世の中はこうなんだ、あの人はこうすべきた」 と評論するより、

お釈迦様のお諭しから 自分は何を学ぶか という事を 私自身 大事にしたいんです。

 

そして、

凛として、さわやかに、すがすがしく、私自身が主人公のこの人生を 歩んで行きたい、

と思っているんです。

 

「仏」 は 「ブッダ」 を漢字にした字。

「ブッダ」 は 「目覚めた人」 という意味です。

 

「超気持ちいい」 が 目覚めた人の気分、覚(さとり)の気分です。

「超気持ちいい」 を 24時間、昨日も 今日も 明日も 10年後も

ずっとずっともち続けられるように、お釈迦様は 二千五百年前から

私達にアドバイスして、エールを送ってくれているような気がします。

 

お釈迦様、これからも 「私」 を よろしくお願いします。

 

 

今日はここまで!

 

「お釈迦様をひとりじめ   その3」

 

 

今回の記事は 以前 天台宗埼玉教区布教師会報の「法のともしび」第27号に書いた

「お釈迦様をひとりじめ ~中年坊主の独り言~」 から編集して載せています。

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人という字

「人という字は 一本の棒と一本の棒が 支え合ってできている、

 人は 一人では 生きられないのだから・・・」

とはじまるお説教。

 

ここまでは、まぁ いいのですが、

「みんな支え合っていかなければ ならないんだよ」

とでも言われれば、偏屈な私は

「嘘だー!」 と思ってしまいます。

 

だって まわりの人を大切にするのは

取りも直さず 自分自身じゃないですか。

 

だから、ここでは

「あなた自身、まわりの人を気遣う優しさをもちなさい」

と言ってもらいたいのです。

 

漢和辞典を開いてみてください。

<人>という字は、

堂々と 胸を張って 大股で 大地を歩む人の姿から生まれた字なのですから。

 

ちなみに 両手両足を思いっきり広げて 大地に立つ人の姿は

<大>という字になりました。

 

今日はここまで!

 

「お釈迦様をひとりじめ   その2」

 

 

今回の記事は 以前 天台宗埼玉教区布教師会報の「法のともしび」第27号に書いた

「お釈迦様をひとりじめ ~中年坊主の独り言~」 から編集して載せています。

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2本目の矢

「仏教を勉強している人と、仏教を知らない人は どう違うんですか?」

というお弟子さんの質問に、 

お釈迦様は

「仏教を勉強している人も 知らない人も、 予期しない流れ矢に当たってしまうことはあるけれど、

 仏教を勉強している人は、次に飛んで来た矢を避けることができますよ。」

と答えました。

 

お釈迦様は 何を言いたかったのでしょうか?

 

例えば、都会の雑踏の中を歩いていて、偶然 人とぶつかってしまうのは

仏教を勉強していようと 知らなかろうと、同じ最初の矢。

 

仏教を勉強している人は、これでおしまい。

 

仏教を知らない人は、

「だれだ俺にぶつかって来たのは、痛いじゃないか!

 おかげで落として汚してしまった俺の荷物は どうしてくれる?!」

と2本目の矢に当たってしまう。

 

それで 相手が

「悪いのはおまえの方だろう!」

と喧嘩にでもなって、ケガをしたりすれば、それは3本目、4本目の矢になります。

 

でも今は、このお話を 本稿のお説教にしようなどとは 全く考えていません。

「その話、聞いた事があるよ」という人は多いでしょうし、

「ふーん、あっそ。」 と聞き流す人もいるでしょうし、

「また坊さんの説教か。」 と聞く耳をもたない人もいるでしょう。

 

ただ、私は このお話を思い返してみて、

「世の中 生きている間には いろんな事があるんだよなぁ。」 と突発的な不幸を覚悟し、

「怒っちゃだめだよなぁ。」 と自戒し、

「気にしない、気にしない。」 と ポジティブ思考を心掛けようと考えるだけです。

 

気にしない、気にしない。 

今日はここまで!

 

 

「お釈迦様をひとりじめ   その1」

 

 

 

今回の記事は 以前 天台宗埼玉教区布教師会報の「法のともしび」第27号に書いた

「お釈迦様をひとりじめ ~中年坊主の独り言~」 から編集して載せています。

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イチョウの下のよもやま話

このブログのタイトルをどうしようか 大黒さん(お寺の奥さんのこと)と相談したんですが・・・。

住職のささやき? つぶやき?  ひとりごと? 大風呂敷? ゴマメの歯ぎしり? 滅茶苦茶エッセイ?

・・・どうもピンときません。

 

法話とか、お説教とか、そんな堅い話じゃなく、

まぁ いわゆる茶飲み話というか、コーヒーブレイクのおしゃべりというか、そんなスタンスで、

お坊さんのウンチクとか、屁理屈とか、愚痴とか、自慢話とか、

人から聞いたり、本で読んだり、偶然目撃しちゃったりした、

深い~話、くだらない話、面白い話や つまらない話、感動しちゃう話や 頭に来ちゃう話 等々、

色んな事を書いていこう、ジャンル関係無し、ということで、

結局 「よもやま話(四方山話)」 で落ち着きました。

 

吉祥寺の象徴の大銀杏の木陰で、あれやこれや おしゃべりしてみたいと思います。

 

と、ここまで書いて疲れちゃいました。

今日はここまで!

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