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徒然なるままに その57

人生って、今 他の人の人生考えたってしょうがない、自分の人生ですよ。

自分という人間は、
宇宙が生まれて135億年 何も無かった、
135億年 何も無かったんです。

無 です。

喜びも 悲しみも 楽しみも 怒りも
何も無かった。



それが、或る時、ご先祖さんが出来て、

長い長い間、
ご先祖さんたちが 愛を紡いできた、

愛が ズーっと続いて、

命のバトンタッチがズーっと続いて、

父親と母親がいて、

今 自分は 生まれて 生きている。



今 こうして生きているって すごい奇跡で、

でも、悩みとか悲しみとか怒りとか、

いわゆる煩悩なんて無いところへ行きたいって
誰でも思うわけで、



だけど必ずみんな死ぬんだから、

死にゃあ煩悩なんて無くなるわけだし、

その点 安心していい訳で、

だとすれば、悩んで 怒って 苦しんで 涙することさえ
生きている特権、
愛おしくなりませんか。






「愛」なんて言うと、
「仏教は<愛>なんて言わない、無法愛だ」
なんて言う人が 必ずいますけど、

言い方なんて どうだっていいんで、

人は 愛し合って 新しい命が生まれるのは 事実でしょう。





私、変な理屈 言ってますか?

生まれて、生きている奇跡、

それは 喜び以外の何物でもなく
て、

両親に「ありがとう」だし、

ご先祖さんに「ありがとう」でしょ。






人間が 生まれて死ぬまでの間で、
一番の命の危機は、
母親の産道から生まれ出る時だそうです。

狭い産道を通る時の負荷は、
赤ん坊の頭蓋骨が歪む程の 凄まじいものだそうで、

これに勝る命の危機は、死ぬとき以外にないんだそうです。



つまり、人生最大の命の危機は、
今 生きている人は みんな経験済みだという事、
終わっちゃってるって事で、

どんなに大変な悲しみ、怒り、苦しみ、絶望があっても、
それは 自分の人生で、もう 一番じゃないって事です。






さて、
今 私が大急ぎでお話ししたことに、
先祖供養・死と生の問題・浄土とか天国の事・諸法実相・空仮中三観の事
なんかを感じ取ってもらえると嬉しいです。



ブッダのお弟子さんからの 
死とかあの世とかについての質問に対する無視、

それは 
「生きるって すごい事なんだよ、
 だから 一生懸命 人生を楽しもうよ!」


って事を言おうとしていたのかもしれないという、
まさに私の妄想です。



実は、今回の演題を
「ポジティブな死」にして、
このあたりの事を中心にお話ししようかと思って、
愛する怖い私の奥さんに相談しましたら、
「バカ」と言われて止めました。





今日は、ここまで!


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徒然なるままに その56



2つのうちのふたつ目
(ひとつめは、「徒然なるままに その53)でした)、

ブッダの御教えの中で、
唯一 私なりに解釈しきれないというか、
納得しかねるというか、
なんとなくモヤモヤした感じでいたのが、

「死んだらどうなる?」

「死後の世界は有るのか無いのか?」

「霊魂と魂は 一体か別のものか?」


なんていうお弟子さんの質問に対し、

ブッダはその答えを保留して、

「そんなこと考えてる暇はないでしょ。

今を一生懸命生きていこうよ」

って答えた事。

あの、「毒矢に当たったら云々」て話です。

    参照:「毒矢のたとえ






なんとなく釈然としなかった、
ブッダらしくないような、不親切な気がしていたんです。

それが、なんとなく分かりかけてきたような気がして、
それを詳しくお話ししたかったんです。

もう無理です。

残念です。

でも、ちょっとだけ話させてください。





チャップリンの『ライムライト』に出て来るセリフです。


「人生は美しい。

 生きる事は素晴らしい。
 
 君はいつも病気の事ばかり考えて、
 暗く、うつむいている。


 それじゃいけない。

 人間には 死ぬ事と同じくらい避けられない事があるんだ。
 
 それは 生きる事だよ!」


というセリフです。






人生のどうしようもない宿命
みんなが持っている宿命、
逃げられない宿命
って 何かっていうと、

死ぬことです。



そして、もうひとつ、
死ぬまで生きなきゃならないって事です。

だから、どう生きるか の問題です。






今日は、ここまで!


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徒然なるままに その55

私も皆さんも、今 名前を挙げた、
自己啓発を促すいろんな事を言ってる人たちより、
ずっとブッダに近い。

要は、

その事に自信を持つ事。

その辺に転がっている仏教に気づく感性を持つ事、

ブッダの方便といういざない、教えを知識として、

これを自分自身の生きていく智恵に還元する、

ブッダを自分の中に取り込んじゃうって事、

仏教にこだわらずに仏教を語る


そんな感じに集約できるでしょうか。






この辺の話、もっと詳しくしたいんですけど、
残念、時間が無いんで、
泣く泣く止めます。

私が集めてノートしてる、いろんな格言・名言なんかから、
ブッダや天台大師さん、伝教大師等々 お祖師さん達を感じる、
できるだけ短い言葉たちを100選、
資料に書き出してみました。

どこに仏教を感じるか、
考えていただければ・法話のネタにでもしていただければ 
ありがたいです。

今日は、それでお許しいただきます。






宗教、仏教、天台って 冠付けたもの以外にも、
ブッダは あちこちにいるって事
是非 解って下さい。

宗教、仏教、天台って枠や守備位置、セクト主義で考えると、
ブッダの教えがつまんなくなっちゃうって事も、
是非 解って下さい。


袈裟付けて、仏教に関係ない話をして、仏教を布教するって、
けっこう 勇気のいる難しい事ですけどね。






今日は、ここまで!


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