埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
御挨拶 6
●ところで、伝教大師は、ご自身のお弟子様たちを
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
子弟 あるいは 先輩後輩の関係 という意識を持たずに
「共に真理を学ぶ人という意味で、同法」と呼び、
また 三一権実論争という大論争を展開した 法相宗 徳一和尚を
「今は三乗教という粗末な味しか知らないでいる者
=麁食者(そじきしゃ)と言って、
だから、共にお釈迦様の真実の教えである一乗仏教という
醍醐味を味わおうよ」
と呼びかけられました。
決して論争相手を蔑むような事はなかったのです。
●また、ただ今の法要の法則という部分の中で
大師の御遺誡を引用させていただきました。
「仏道は人に広がり、人が広めていくものです」
「これからも 私の志、願いを伝えていって下さい」
「私は 何度でもこの世に生まれ変わって、
法華一乗を学び、伝えていきますから、
皆も同じく天台宗の教えを学び、
精進を続け、
いつの時代か また再会しましょう」
と言われました。
これらの遺言に
伝教大師の仏教に対する基調と信念、
取り巻く人たちへの優しさを感じずにはいられません。
(参考:木村周照師編 照千一隅論功・木内堯大師講 伝教大師本懐讃講義録)
小衲の恩師・師僧は 常に申されておりました。
「伝教大師の悲願は 大乗戒壇院建立だけにあったわけではない。
伝教大師が あと十年・二十年
長生きされておられたら何を成したのか、
我々天台宗の末弟末徒は、
その事を考え続けなければならない」と。
その示唆に 伝教大師の『照千一隅』の本意があるのではないか
と小衲は思います。
なにぶん当山は 田舎の小さなお寺でございます。
ご臨席賜りました皆様には
何一つ十分なおもてなしができません。
唯々 皆さまが 本日の法会によって
伝教大師の御教えを思い、知り、
人生に発揮できますようにお祈り申し上げるのみでございます。
この事 何卒ご理解いただき、
多々 不行き届きの点 お赦しいただきたくお願い申し上げます。
以上、言葉整いませんが、
会場寺住職の御挨拶とさせていただきます。
合掌
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御挨拶 5
●照千一隅について いろいろお話してきましたが、
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
では「一隅を照らす運動」を
私たちはどう解釈し、定義付けていったらよいのでしょう。
先ほど申した事の繰り返しになってしまいますが、
【道心(必ず悟りを開こうという発菩提心)をもって、
自分も含めた周りの様子・状況・状態を正しく見極め、
遥か彼方、未来に向かって最大限の善処をしていく事】
と、結論したいと思います。
その際 大切な事は、、
自分は一隅を照らす国宝であると考える事は増上慢であって
決して思ってはいけない事、
謙虚 且つ 真摯に
忘己 から 利他へと ひたすらに
自分の心を高めていき、
慈悲の極みに至る事を誓い、願い、努める事だと思います。
仏教徒は「求道者」なのです。
つづく
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御挨拶 4
●能行能言の「三品・・・」について、
これも誤解される事が多いのですが、
三品とは 国宝・国師・国用 の事ではなくて、
上品が「国宝」、中品が「国師・国用」、
下品が「国賊」です。
そして、三品とも皆 等しく成仏できる
というのが天台宗の教えであり、
伝教大師が強調されている事なのです。
例えば、『法華経』の
「悉有仏性」「悉皆成仏」の教理、
『蘇悉地経』に準拠した十二年籠山
(十二年 比叡山に籠れば どんな人でも必ず一験を得ることができる)
などに その精神が鮮明に語られています。
●また、伝教大師が生涯貫いてきた思想は、
実は最初に師事した行表法師の【一乗】の教えで、
生きとしいけるものは 皆 等しく
大白牛車(仏乗)=悟りの車 に乗れているのだ
というものです。
この一乗の教えは、伝教大師が唐から伝えられた
円・密・禅・戒 の四つの教えすべてに表現されています。
ちなみに、大師は著作『守護国界章』の中で、
三乗(羊車=声聞乗 ・ 鹿車=縁覚乗 ・ 牛車=菩薩乗)をさえ
「隠密法華」として 一仏乗に帰す と言って
救っておられます。
つづく
これも誤解される事が多いのですが、
三品とは 国宝・国師・国用 の事ではなくて、
上品が「国宝」、中品が「国師・国用」、
下品が「国賊」です。
そして、三品とも皆 等しく成仏できる
というのが天台宗の教えであり、
伝教大師が強調されている事なのです。
例えば、『法華経』の
「悉有仏性」「悉皆成仏」の教理、
『蘇悉地経』に準拠した十二年籠山
(十二年 比叡山に籠れば どんな人でも必ず一験を得ることができる)
などに その精神が鮮明に語られています。
●また、伝教大師が生涯貫いてきた思想は、
実は最初に師事した行表法師の【一乗】の教えで、
生きとしいけるものは 皆 等しく
大白牛車(仏乗)=悟りの車 に乗れているのだ
というものです。
この一乗の教えは、伝教大師が唐から伝えられた
円・密・禅・戒 の四つの教えすべてに表現されています。
ちなみに、大師は著作『守護国界章』の中で、
三乗(羊車=声聞乗 ・ 鹿車=縁覚乗 ・ 牛車=菩薩乗)をさえ
「隠密法華」として 一仏乗に帰す と言って
救っておられます。
つづく
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御挨拶 3
●一隅を照らす運動の根拠となった伝教大師真筆の
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照千一隅」か 「照于一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。
意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。
誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。
『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。
●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。
●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。
●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。
さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。
ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。
●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。
魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。
●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。
つづく
『山家学生式 六条式』の文章についての論争は、
「照千一隅」か 「照于一隅」か
という事ですが、
「照千一隅」が正しいと小衲は考えています。
意味は、
「今自身のいるこの一隅に在って、
遥か彼方、遠い未来まで見渡せる(見通せる)
率直な目と 洞察力を持つ事」
と理解したいと思います。
誤解されがちな事ですが、
「照」とは 仏教では「知る」という意味で、
安易に「てらす」と訳してはいけません。
『般若心経』の
「照見五蘊皆空」等がその例です。
●「照千一隅」の言葉はその前の文から、
「道心」を説明するために、
古人(昔の人)が言った物語の引用で、
伝教大師独自の言葉では ありません。
●先ず「道心」とは何かというと、
道を求める心 = 悟りを求める心 = 菩提心 の事で、
その心を持っている人を
伝教大師は「國寶」だと言われました。
●次に「古人」とは誰かというと、
中国天台の六番目の祖師大師湛然さんの事で、
その著「止観輔行伝弘決』に
「照千一隅」の故事が出てきます。
さらに、その故事は 司馬遷の『史記』の
「照千里』「守一隅」に由来します。
ちなみに、湛然さんのお弟子さんが道𨗉さんで、
伝教大師は 唐の天台山で その道𨗉さんから
直接 天台教学を伝授されています。
●『史記』『弘決』の故事というのは、
中国の魏と斉の それぞれの王様の国宝談義です。
魏王が
「私の国には 直径(?)が一寸もある珠玉が十枚もあって、
その珠の光の輝きは 戦車十二台、戦士千二百人の前後を照らすほど
なんですよ」
と自慢したこころ、
斎王は「私の国には そんな立派な宝玉は無いけれど、
四人の有能で素晴らしい武将がいて、
国の一隅(持ち場)をしっかり守ってくれていて、
その威光は千里四方を照らして、
国に外敵が侵攻する事を防いでくれているから
国民はいつも安心して暮らしています」
と答え、
それを聞いた魏王はすごすごと自国へ帰っていったという物語です。
●『六条式』は「古人」に続けて「古哲又云」と引用していますが、
これは、天台大師が
「心観明瞭 理恵相応 所行如所言 所言如所行」
と示された事に、
湛然さんが能行能言に国宝の解釈をし、
伝教大師が古哲の言葉として これを引用したという事です。
つづく
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御挨拶 2
「一隅を照らす運動」につきましては、
私なりにいろいろ思いもあるのですが、長くなりますので
徒然に頭に浮かぶ事を申し述べさせていただきます。
國寶何物 寶道心也 有道心人名為國寶
故古人言 径(原文は亻偏)寸十枚非是國寶
照千一隅此則國寶
古哲又云 能言不能行國之師也
能行不能言國之用也
能言行能言國之寶也
三品之内唯不能言不能行為國之賊
之有道心佛師 西稱菩薩 東号君子
悪事向巳ママ好事與他 忘巳ママ利他慈悲之極
●一隅を照らす運動は、昭和四十四年六月二十日に、
今東光師を初代会長に 天台宗として正式に発足しました。
ただ最初は、天台宗としての一つの標語のようなものでした。
つまり、一隅を照らす運動は 伝教大師の提唱された運動では
なかったのです。
しかし、その言葉の、耳に爽やかにリズミカルに響く現代的感覚は
単なる標語にとどまらず、速やかに、且つ確実に
その精神を社会に浸透させていきました。
現代では、アフガニスタンで銃殺された医師の中村哲先生など
著名な方々が この言葉を引用されています。
●では、千二百年前の伝教大師の提唱された事は
どんな事だったのでしょう。
それは、法華経の教えを 仏教の中心に置いて
正しくお釈迦さまの教えを世間に広めていき、
平和で穏やかな社会を実現しようという事であり、
その基調となる考え方は、
すべての人は平等で、どんな人でも「ほとけ」になれるのだ
というものです。
そのためには、皆が自分の利益の事よりも
他の人々の利益を先に考えるんだという慈悲心、
つまりは菩薩の心を持ち続ける事が肝要なのだと
大師は主張しています。
ここで大切な事は、
「己を忘れる」事が最初で、
「他を利する」のも「己」だという事をわすれてはならない
という事です。
先ずは自己をしっかり保つという事が
仏教の基本です。
つづく
私なりにいろいろ思いもあるのですが、長くなりますので
徒然に頭に浮かぶ事を申し述べさせていただきます。
國寶何物 寶道心也 有道心人名為國寶
故古人言 径(原文は亻偏)寸十枚非是國寶
照千一隅此則國寶
古哲又云 能言不能行國之師也
能行不能言國之用也
能言行能言國之寶也
三品之内唯不能言不能行為國之賊
之有道心佛師 西稱菩薩 東号君子
悪事向巳ママ好事與他 忘巳ママ利他慈悲之極
●一隅を照らす運動は、昭和四十四年六月二十日に、
今東光師を初代会長に 天台宗として正式に発足しました。
ただ最初は、天台宗としての一つの標語のようなものでした。
つまり、一隅を照らす運動は 伝教大師の提唱された運動では
なかったのです。
しかし、その言葉の、耳に爽やかにリズミカルに響く現代的感覚は
単なる標語にとどまらず、速やかに、且つ確実に
その精神を社会に浸透させていきました。
現代では、アフガニスタンで銃殺された医師の中村哲先生など
著名な方々が この言葉を引用されています。
●では、千二百年前の伝教大師の提唱された事は
どんな事だったのでしょう。
それは、法華経の教えを 仏教の中心に置いて
正しくお釈迦さまの教えを世間に広めていき、
平和で穏やかな社会を実現しようという事であり、
その基調となる考え方は、
すべての人は平等で、どんな人でも「ほとけ」になれるのだ
というものです。
そのためには、皆が自分の利益の事よりも
他の人々の利益を先に考えるんだという慈悲心、
つまりは菩薩の心を持ち続ける事が肝要なのだと
大師は主張しています。
ここで大切な事は、
「己を忘れる」事が最初で、
「他を利する」のも「己」だという事をわすれてはならない
という事です。
先ずは自己をしっかり保つという事が
仏教の基本です。
つづく
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御挨拶 1
会場寺住職として 一言ご挨拶申し上げます。
本日、天台宗埼玉教区主催
「一隅を照らす運動推進大会・檀信徒総会、教区山家会」
に当たりまして、
天台宗務庁参務 竹内純照 一隅を照らす運動総本部長様、
天台宗典編纂所編輯員 吉田慈順先生、
教区顧問様、
各部代表の諸大徳、
教区関係団体の代表各位のご臨席を賜り、
誠に有難く存じ上げます。
また、コロナ禍によって 中止を余儀なくされてきた
この大切な教区法会の四年振りの再開に
当山をご指名くださった、宗務所長木本大僧正様、
大変光栄に存じ上げます。
当山一同 誇りに思います。
有難うございました。
更には、会場の諸準備を細かく整えてくださいました、
教務主任森田幹雄様、
一隅を照らす運動事務局長田中亮宏様はじめ、
副所長、教区主任、書記の皆様、
有難うございました。
そして、
只今 御法助賜りました第七部各寺院ご住職の皆様、
いつも本当にお世話になっております。
心から感謝申し上げる次第です。
殊には 第七部主事の大泊宏田様の
此度の大会に際しましてのご心労は
大変なものであったと存じます。
有難うございました。
加えて、遠路当山まで足を運んでくださいました
諸寺院檀信徒の皆様、
当山檀信徒の皆さん、
ご来山有難うございます。
皆様にとりまして、本日の法会が
伝教大師最澄様の御心を改めて思い、
これからの人生をより安らかに、健やかに
過ごせるようになる契機となることを願ってやみません。
本来ですと、ここで吉祥寺の縁起などをお話しすべきなのでしょうが、
時間に制限があるようですので、
お手元の黄色い封筒に、
只今申し述べております
「御挨拶」、
「吉祥寺の沿革」、
「本日の記念品としての絵馬」、
「境内松尾芭蕉の碑文」、
当山檀徒には以前お渡ししているので入っていませんが、
それ以外の皆様には「拙文 法話集」を入れさせていただきました。
これら、余暇に目を通していただければ幸甚です。
また、本日、
釈迦涅槃図や 阿弥陀三尊等 仏画の外、
澁澤榮一翁、
第二十三代総理大臣清浦圭吾伯爵、
海軍中将小笠原長生子爵、
先々代住職妙法院門主三崎良泉大僧正の
額、掛け軸等を 展観させていただいておりますので、
是非鑑賞していってください。
つづく
第五十四回天台宗埼玉教区一隅を照らす運動推進大会
並びに令和五年度天台宗埼玉教区山家会法要
の折の住職挨拶を載せさせていただきます。
本日、天台宗埼玉教区主催
「一隅を照らす運動推進大会・檀信徒総会、教区山家会」
に当たりまして、
天台宗務庁参務 竹内純照 一隅を照らす運動総本部長様、
天台宗典編纂所編輯員 吉田慈順先生、
教区顧問様、
各部代表の諸大徳、
教区関係団体の代表各位のご臨席を賜り、
誠に有難く存じ上げます。
また、コロナ禍によって 中止を余儀なくされてきた
この大切な教区法会の四年振りの再開に
当山をご指名くださった、宗務所長木本大僧正様、
大変光栄に存じ上げます。
当山一同 誇りに思います。
有難うございました。
更には、会場の諸準備を細かく整えてくださいました、
教務主任森田幹雄様、
一隅を照らす運動事務局長田中亮宏様はじめ、
副所長、教区主任、書記の皆様、
有難うございました。
そして、
只今 御法助賜りました第七部各寺院ご住職の皆様、
いつも本当にお世話になっております。
心から感謝申し上げる次第です。
殊には 第七部主事の大泊宏田様の
此度の大会に際しましてのご心労は
大変なものであったと存じます。
有難うございました。
加えて、遠路当山まで足を運んでくださいました
諸寺院檀信徒の皆様、
当山檀信徒の皆さん、
ご来山有難うございます。
皆様にとりまして、本日の法会が
伝教大師最澄様の御心を改めて思い、
これからの人生をより安らかに、健やかに
過ごせるようになる契機となることを願ってやみません。
本来ですと、ここで吉祥寺の縁起などをお話しすべきなのでしょうが、
時間に制限があるようですので、
お手元の黄色い封筒に、
只今申し述べております
「御挨拶」、
「吉祥寺の沿革」、
「本日の記念品としての絵馬」、
「境内松尾芭蕉の碑文」、
当山檀徒には以前お渡ししているので入っていませんが、
それ以外の皆様には「拙文 法話集」を入れさせていただきました。
これら、余暇に目を通していただければ幸甚です。
また、本日、
釈迦涅槃図や 阿弥陀三尊等 仏画の外、
澁澤榮一翁、
第二十三代総理大臣清浦圭吾伯爵、
海軍中将小笠原長生子爵、
先々代住職妙法院門主三崎良泉大僧正の
額、掛け軸等を 展観させていただいておりますので、
是非鑑賞していってください。
つづく
第五十四回天台宗埼玉教区一隅を照らす運動推進大会
並びに令和五年度天台宗埼玉教区山家会法要
の折の住職挨拶を載せさせていただきます。
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