埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
「苦労の向こうに実りが見える 我慢の向こうに笑顔が見える」
令和6年新春 元正祥を啓き 至心に無窮を祝す
至心に三寶を拝し、檀信徒皆々様のご清祥を祈念申し上げます。
江戸時代の三大画人と呼ばれる絵描きさんを知っていますか?
谷文晁・金井烏洲・田崎草雲の三人で、師匠と弟子の関係です。
吉祥寺には 文晁の山水画(真贋不明)と 烏洲の富士(真筆)が
所蔵されています。
ある時、烏洲の計らいで、新進の若き草雲が南画の大御所文晁に会う事を
許されました。
若いとはいえ、草雲は その時すでに
巷で俊才の画家との評判を得ていました。
文晁のもとを訪れた草雲は、尊敬する大先生文晁に会えた事に
とても感動しました。
そして鄭重な挨拶をしたのち、真摯に教えを請いました。
それに対し、文晁は「そこの庭の梅の木を描いてみな」と言いました。
草雲は真剣に筆を走らせました。
描かれた草雲の絵を見た文晁は こう言います。
「なんだその絵は。どこの子供が描いた落書きだ。あぁ腹立たしい」
そして 家の奥に引っ込んでしまいました。
草雲は奥歯を噛みしめました。
そして誓いました。
「絶対に自分の絵を文晁先生に認めさせてやるんだ」
それから2年、草雲は懸命に修行を続け、
渾身の梅の絵を描き上げました。
そして、師匠の烏洲に申し出ます。
「もう一度私を文晁先生に会わせて下さい。
この絵を文晁先生に見ていただきたいのです」
烏洲は 草雲の絵の素晴らしさを確認すると、
彼に一通の手紙を差し出して見せます。
その手紙は、2年前に文晁から烏洲に宛てられたものでした。
「今日わたしを訪ねてきた草雲という若者は
とても優秀だった。
ただ、このままだと世間の評判に慢心して
ダメになってしまうだろう。
そこで私は、彼の今の慢心を打ち破るために
思い切り罵倒してやった。
才能ある若者は 国の宝である。
私は宝を失いたくない。
草雲の事を これからもしっかりと育ててやってほしい」
草雲は 感激の涙を流しました。
その時の草雲の絵を 文晁が認めた事はいうまでもありません。
そして、草雲はその後も修行に励み、
やがて近代画壇の大家と呼ばれるようになりました。
人は誰でも褒められれば嬉しいし、それを糧に頑張れます。
でも、褒められた事に慢心してしまうと その先に進めません。
けなされるとがっかりするし、悔しいし、
けなした人に対して 怒ったり恨んだりします。
でも、その悔しさや怒りをバネにして、
けなした人に褒めてもらえるようになる努力をすれば、
今の自分より もっと成長した自分になれます。
結果、その人のみならず、
たくさんの賞賛を得られるようになります。
むかし、若いお坊さんたちが師匠にこんな質問をしました。
「お釈迦さまは 悟った後は修行しなかったんですか?」
師匠の答えは
「お釈迦さまは 亡くなるまで修行を続けていたんですよ。
修行の中の過程に悟りがあるのであって、
修行の終着点が悟りなのではないんですよ。
人生そのものが修行なんです。
だから、私たちは お釈迦さまに倣って、
毎日一生懸命生きていかなければなりませんね。
その一生懸命が修行なんだと思います。
お釈迦さまは亡くなるまで 一生懸命生きておられたのです」
褒められたらテレずに
「ありがとう! うれしい!」
と大きな声で言いましょう。
けなされたら頭にきて
「なにくそ! 今に見てろ!」
と思いましょう。
そして、慢心せず、落ち込まず、
「修行 修行」と心の中で唱えて、
前を向いて 未来に向かって 生きていきましょう。
自分の思いに正直に歩んでいく。
これも修行。
修行って 結構楽しいですよ。
檀信徒の皆さんに、明るい未来が訪れますように
心からお祈りしています。
山主敬白
至心に三寶を拝し、檀信徒皆々様のご清祥を祈念申し上げます。
江戸時代の三大画人と呼ばれる絵描きさんを知っていますか?
谷文晁・金井烏洲・田崎草雲の三人で、師匠と弟子の関係です。
吉祥寺には 文晁の山水画(真贋不明)と 烏洲の富士(真筆)が
所蔵されています。
ある時、烏洲の計らいで、新進の若き草雲が南画の大御所文晁に会う事を
許されました。
若いとはいえ、草雲は その時すでに
巷で俊才の画家との評判を得ていました。
文晁のもとを訪れた草雲は、尊敬する大先生文晁に会えた事に
とても感動しました。
そして鄭重な挨拶をしたのち、真摯に教えを請いました。
それに対し、文晁は「そこの庭の梅の木を描いてみな」と言いました。
草雲は真剣に筆を走らせました。
描かれた草雲の絵を見た文晁は こう言います。
「なんだその絵は。どこの子供が描いた落書きだ。あぁ腹立たしい」
そして 家の奥に引っ込んでしまいました。
草雲は奥歯を噛みしめました。
そして誓いました。
「絶対に自分の絵を文晁先生に認めさせてやるんだ」
それから2年、草雲は懸命に修行を続け、
渾身の梅の絵を描き上げました。
そして、師匠の烏洲に申し出ます。
「もう一度私を文晁先生に会わせて下さい。
この絵を文晁先生に見ていただきたいのです」
烏洲は 草雲の絵の素晴らしさを確認すると、
彼に一通の手紙を差し出して見せます。
その手紙は、2年前に文晁から烏洲に宛てられたものでした。
「今日わたしを訪ねてきた草雲という若者は
とても優秀だった。
ただ、このままだと世間の評判に慢心して
ダメになってしまうだろう。
そこで私は、彼の今の慢心を打ち破るために
思い切り罵倒してやった。
才能ある若者は 国の宝である。
私は宝を失いたくない。
草雲の事を これからもしっかりと育ててやってほしい」
草雲は 感激の涙を流しました。
その時の草雲の絵を 文晁が認めた事はいうまでもありません。
そして、草雲はその後も修行に励み、
やがて近代画壇の大家と呼ばれるようになりました。
人は誰でも褒められれば嬉しいし、それを糧に頑張れます。
でも、褒められた事に慢心してしまうと その先に進めません。
けなされるとがっかりするし、悔しいし、
けなした人に対して 怒ったり恨んだりします。
でも、その悔しさや怒りをバネにして、
けなした人に褒めてもらえるようになる努力をすれば、
今の自分より もっと成長した自分になれます。
結果、その人のみならず、
たくさんの賞賛を得られるようになります。
むかし、若いお坊さんたちが師匠にこんな質問をしました。
「お釈迦さまは 悟った後は修行しなかったんですか?」
師匠の答えは
「お釈迦さまは 亡くなるまで修行を続けていたんですよ。
修行の中の過程に悟りがあるのであって、
修行の終着点が悟りなのではないんですよ。
人生そのものが修行なんです。
だから、私たちは お釈迦さまに倣って、
毎日一生懸命生きていかなければなりませんね。
その一生懸命が修行なんだと思います。
お釈迦さまは亡くなるまで 一生懸命生きておられたのです」
褒められたらテレずに
「ありがとう! うれしい!」
と大きな声で言いましょう。
けなされたら頭にきて
「なにくそ! 今に見てろ!」
と思いましょう。
そして、慢心せず、落ち込まず、
「修行 修行」と心の中で唱えて、
前を向いて 未来に向かって 生きていきましょう。
自分の思いに正直に歩んでいく。
これも修行。
修行って 結構楽しいですよ。
檀信徒の皆さんに、明るい未来が訪れますように
心からお祈りしています。
山主敬白
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