埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
お葬式とご法事 その9
2.霊魂の処理 (宗教的)
これは、いわゆる宗教儀礼としてのお葬式です。
さまざまな儀礼を駆使して 亡くなった人の霊魂を
天国に送ってあげる事。
これは、資料の C から F にかけての事です。
今日はお話できなくて残念。
すみません。
そして、この事は、3 の 死を認識し、
哀惜・愛情、 恐怖・不安 を整理し、克服し、
自分自身にけじめをつけるという、
むしろ
見送る側の心理的な 心の安定に直結するものなんです。
よく、お葬式の場で 悲しくて泣いている遺族に対して、
「いつまで泣いているの。
しっかりしなさい。
じゃないと亡くなった誰それさんが
安心して天国へ行けないでしょ。」
などと、親戚や友人たちが励ます姿を見かけます。
見ているこちらも悲しくなってきます。
でも、
大切な人の死を受け入れ、
自分自身の気持ちを整理し
けじめをつける事は
大変な事です。
短期間にはとても無理です。
そこで、百ヶ日忌という法事がありますが、
この法事を卒哭忌とも言います。
卒業の卒、泣くという意味の哭、忌日の忌、
泣き終える日という意味です。
逆に言うと
大切な人が亡くなってから、百日間は 泣いていいんです。
大好きだった人との別れは悲しい、
たくさん涙を流していいんです。
私は三回忌まで悲しんでいいと思っています。
故人が亡くなってから丸二年目の三回忌は
10回目の法事です。
導いてくれる本尊様は阿弥陀如来。
阿弥陀経には
「極楽の青い蓮の花は 青く輝いている、
黄色い蓮の名は 黄色に輝いている、
赤い蓮の花は 赤く輝いている、
白い蓮の花は 白に輝いている。
だから あなたも あなた色に輝きなさい。
亡くなったあなたの大切な人は
いつでも極楽から あなたを見守ってくれているから
安心していてね。
悲しみを乗り越えて、
さあ、立ち上がり 歩き始めましょう」
という教えが書かれています。
仏教って、なんてやさしいんでしょう。
こんなお話もあります。
アルゼンチンのお葬式は とても賑やかです。
笛太鼓をガンガン鳴らした葬列が
お墓への道を進んでいきます。
子どもが死んでしまった時のお葬式では、
親は絶対泣いてはいけない決まりがあります。
にぎやかな葬列の中で、
お父さんとお母さんは 必死で涙をこらえています。
どうして泣いちゃいけないの?
子どもは 亡くなると 天使になって
天国へ飛んで行くんだそうです。
親の涙で、天使の羽が濡れて、
可愛い子どもが飛べなくなって
天国へ行けなくなってしまってはいけないから、
お父さんとお母さんは
必死で涙をこらえているんです。
人間て、なんてやさしいんでしょう。
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
これは、いわゆる宗教儀礼としてのお葬式です。
さまざまな儀礼を駆使して 亡くなった人の霊魂を
天国に送ってあげる事。
これは、資料の C から F にかけての事です。
今日はお話できなくて残念。
すみません。
そして、この事は、3 の 死を認識し、
哀惜・愛情、 恐怖・不安 を整理し、克服し、
自分自身にけじめをつけるという、
むしろ
見送る側の心理的な 心の安定に直結するものなんです。
よく、お葬式の場で 悲しくて泣いている遺族に対して、
「いつまで泣いているの。
しっかりしなさい。
じゃないと亡くなった誰それさんが
安心して天国へ行けないでしょ。」
などと、親戚や友人たちが励ます姿を見かけます。
見ているこちらも悲しくなってきます。
でも、
大切な人の死を受け入れ、
自分自身の気持ちを整理し
けじめをつける事は
大変な事です。
短期間にはとても無理です。
そこで、百ヶ日忌という法事がありますが、
この法事を卒哭忌とも言います。
卒業の卒、泣くという意味の哭、忌日の忌、
泣き終える日という意味です。
逆に言うと
大切な人が亡くなってから、百日間は 泣いていいんです。
大好きだった人との別れは悲しい、
たくさん涙を流していいんです。
私は三回忌まで悲しんでいいと思っています。
故人が亡くなってから丸二年目の三回忌は
10回目の法事です。
導いてくれる本尊様は阿弥陀如来。
阿弥陀経には
「極楽の青い蓮の花は 青く輝いている、
黄色い蓮の名は 黄色に輝いている、
赤い蓮の花は 赤く輝いている、
白い蓮の花は 白に輝いている。
だから あなたも あなた色に輝きなさい。
亡くなったあなたの大切な人は
いつでも極楽から あなたを見守ってくれているから
安心していてね。
悲しみを乗り越えて、
さあ、立ち上がり 歩き始めましょう」
という教えが書かれています。
仏教って、なんてやさしいんでしょう。
こんなお話もあります。
アルゼンチンのお葬式は とても賑やかです。
笛太鼓をガンガン鳴らした葬列が
お墓への道を進んでいきます。
子どもが死んでしまった時のお葬式では、
親は絶対泣いてはいけない決まりがあります。
にぎやかな葬列の中で、
お父さんとお母さんは 必死で涙をこらえています。
どうして泣いちゃいけないの?
子どもは 亡くなると 天使になって
天国へ飛んで行くんだそうです。
親の涙で、天使の羽が濡れて、
可愛い子どもが飛べなくなって
天国へ行けなくなってしまってはいけないから、
お父さんとお母さんは
必死で涙をこらえているんです。
人間て、なんてやさしいんでしょう。
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
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お葬式とご法事 その8
今日、みなさんに一番お話したかったのは、
それから 一番面白いだろうなぁと思うのは、
そして 何より このセミナーの演題の内容・中心は、
Cと Dと Eと F だったわけですが、
とうとうそこまで お話が進みませんでした。
すみません。
結論を言わないわけにはいきませんので、
Gの 「人にとってお葬式って何だろう?」
に飛びます。
1. 遺体の処理 (物理的)
ご遺体の処理は、物理的な意味でのお葬式の儀礼です。
ご臨終の後、いろいろな儀式をしながら
ご遺体を火葬、墓地へ納骨します。
ここで、最近はやりの散骨について
私の考えをお話します。
「自分が死んだら、骨は海に撒いてくれ、山に撒いてくれ」
いかにも自分は執着のない人間だと
標榜しているようにも思いますが、
海や山や その他、骨はどこへ撒いてもいいのかっていうと
そうじゃないでしょう。
自分ちの庭先に散骨されたら嫌でしょう。
友達や家族と 楽しくハイキングしてた道のはたに
骨が撒かれてたら嫌でしょう。
海水浴場に 骨がぷかぷかしてたら
誰だって 二度とその海にはいきたくなくなりますよねぇ。
骨を撒ける場所は 限られています。
そこまで行くのは大変ですよ。
船やヘリコプターなんかをチャーターしたり、
重装備の登山服なんかの用意をしたり、
みんで行こうったって、
年老いた人には 身体が大変。
お金もかかる。
軽々しく「俺が死んだら 散骨でもいいよ」
なんて遺言された日には、
残された遺族は大変です。
「でも、私は あの姑と同じお墓に入るなんて まっぴらだ」
「死ぬまで我慢したんだから、死んだら せめて
あの世で旦那と 別々に生きたい」
なんていう お人。
仏教では、
仏教では、ですよ、
死んだらあなたは 魂になる、
骨になるんじゃない。
魂の事を 心とか、霊とか、神などとも言います。
これは
目に見えない、ふれない、声も聴けない、匂いもない、
だから自由な存在なんです。
そう考えるんです。
死んで 最後に残ったのが 亡骸、
つまり 骨。
これを 現世、現象世界にあるお墓に置いて、
魂だけが、あなたの心だけが
スーと天国へ向かって行く。
お墓は現世側の 来世への入り口なんです。
お盆や正月には お墓から ご先祖の魂が
こっちの世界に帰って来る、
そして あっちの世界へ帰って行く。
私たちは 生きているから、身体があるから
お墓のあっちの世界には 行けない、
だから、
たとえば 送り盆や 迎え盆に
お墓に ご先祖の心、魂を
迎えに行ったり 送って行ったり、
肉体があるから、ぎりぎりそこまでしか行けないんです。
ともあれ、
人は 死んだら骨になるんじゃなくて、
魂という名の 純粋な 心だけの存在になるんです。
どうも、散骨、散骨って言ってる人は
自分大好きなナルシストのような気がして仕方ない。
かえって執着してません?
お墓があるんなら 遺骨はお墓に収めて天国へ行って、
たまには こっちの世界に帰って来て、
息子や娘、孫たちに会う、
ってのがいいんじゃないんですか?
えっ、お墓がない?
~ だったらお墓を作ればいいでしょう。
えっ、お墓は高い? あなたはお金がない?
~ 大丈夫。安いお墓もあるんです。
えっ、お墓を作っても跡継ぎがいない?
~ 大丈夫。永代供養墓なんてのがありますよ。
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
それから 一番面白いだろうなぁと思うのは、
そして 何より このセミナーの演題の内容・中心は、
Cと Dと Eと F だったわけですが、
とうとうそこまで お話が進みませんでした。
すみません。
結論を言わないわけにはいきませんので、
Gの 「人にとってお葬式って何だろう?」
に飛びます。
1. 遺体の処理 (物理的)
ご遺体の処理は、物理的な意味でのお葬式の儀礼です。
ご臨終の後、いろいろな儀式をしながら
ご遺体を火葬、墓地へ納骨します。
ここで、最近はやりの散骨について
私の考えをお話します。
「自分が死んだら、骨は海に撒いてくれ、山に撒いてくれ」
いかにも自分は執着のない人間だと
標榜しているようにも思いますが、
海や山や その他、骨はどこへ撒いてもいいのかっていうと
そうじゃないでしょう。
自分ちの庭先に散骨されたら嫌でしょう。
友達や家族と 楽しくハイキングしてた道のはたに
骨が撒かれてたら嫌でしょう。
海水浴場に 骨がぷかぷかしてたら
誰だって 二度とその海にはいきたくなくなりますよねぇ。
骨を撒ける場所は 限られています。
そこまで行くのは大変ですよ。
船やヘリコプターなんかをチャーターしたり、
重装備の登山服なんかの用意をしたり、
みんで行こうったって、
年老いた人には 身体が大変。
お金もかかる。
軽々しく「俺が死んだら 散骨でもいいよ」
なんて遺言された日には、
残された遺族は大変です。
「でも、私は あの姑と同じお墓に入るなんて まっぴらだ」
「死ぬまで我慢したんだから、死んだら せめて
あの世で旦那と 別々に生きたい」
なんていう お人。
仏教では、
仏教では、ですよ、
死んだらあなたは 魂になる、
骨になるんじゃない。
魂の事を 心とか、霊とか、神などとも言います。
これは
目に見えない、ふれない、声も聴けない、匂いもない、
だから自由な存在なんです。
そう考えるんです。
死んで 最後に残ったのが 亡骸、
つまり 骨。
これを 現世、現象世界にあるお墓に置いて、
魂だけが、あなたの心だけが
スーと天国へ向かって行く。
お墓は現世側の 来世への入り口なんです。
お盆や正月には お墓から ご先祖の魂が
こっちの世界に帰って来る、
そして あっちの世界へ帰って行く。
私たちは 生きているから、身体があるから
お墓のあっちの世界には 行けない、
だから、
たとえば 送り盆や 迎え盆に
お墓に ご先祖の心、魂を
迎えに行ったり 送って行ったり、
肉体があるから、ぎりぎりそこまでしか行けないんです。
ともあれ、
人は 死んだら骨になるんじゃなくて、
魂という名の 純粋な 心だけの存在になるんです。
どうも、散骨、散骨って言ってる人は
自分大好きなナルシストのような気がして仕方ない。
かえって執着してません?
お墓があるんなら 遺骨はお墓に収めて天国へ行って、
たまには こっちの世界に帰って来て、
息子や娘、孫たちに会う、
ってのがいいんじゃないんですか?
えっ、お墓がない?
~ だったらお墓を作ればいいでしょう。
えっ、お墓は高い? あなたはお金がない?
~ 大丈夫。安いお墓もあるんです。
えっ、お墓を作っても跡継ぎがいない?
~ 大丈夫。永代供養墓なんてのがありますよ。
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
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お葬式とご法事 その7
資料 A 人は なぜお葬式をするのだろう?
1.生まれる事と死ぬ事を発見
→ 哀惜の念・死の恐怖
→ 死後の世界・神や悪魔や霊魂etc.
2.愛情と恐怖
3.ネアンデルタール人・天若日子
時間があっという間に過ぎていきます。
次に B、お葬式に係わる文字の深~い意味。
言う間でもなく、
日本人は 素晴らしい民族なんです。
歴史や文化を観れば一目瞭然、
最近でも、震災後の復旧復興の様子や、
オリンピック・パラリンピックでの 日本人選手の活躍など、
ほかのどんな国よりも素晴らしいと思います。
この素晴らしき日本を培ってきた要因の一つは 日本語です。
日本人は 漢字文化を大切に育てながら文化を継承し、
発展させてきました。
感性とか 品格とか 言われるものですね。
本家本元の中国では、
漢字を極端に崩してしまい、
簡化字などと称して、わけのわからない字になってしまっています。
韓国や北朝鮮のハングル文字に至っては、
かの国の学者さんの多くが、
本来 世界に類を見ない程の素晴らしき朝鮮民族の文化は、
ハングルを使うようになって ストップし、退歩してしまった、
と言っています。
漢字には 一文字一文字に意味があります。
その漢字文化を、旧漢字・新漢字など 多少の変化はあるものの、
忠実に守り、引継ぎ、発展させてきたのは
日本人なんです。
と、大上段に構えなくても、
結構面白いんですよ、漢字っていうのは。
一つの字から、昔の人のいろんな思いが見えてきます。
お葬式に関るいくつかの文字に限って 考えてみましょう。
先ず、お葬式の 葬 という字。
資料 B お葬式の文字の深~い意味
1.葬 ~ 遺体の処理方法、離れて置く ⇒ 葬式、葬儀、葬祭 etc.
2.弔 ~ 供養の方法、共にある ⇒ 弔問、弔辞、弔電 etc.
3.寿命 ~ 命をことほぐ、死者との会話
* 喪・柩・冥・甕・奠・樒・涙・泣 etc.
資料 C 臨終 ~ 葬儀・告別式
1. 枕経・通夜・葬儀・告別式・荼毘・葬列(穴回り)・納骨(仏教的墓の意味)・墓直し・忌中払い(道場払い)・清宴
2.棺道具 ~ 本位牌と野位牌、紙位牌、卒塔婆(七本塔婆、六角塔婆、十三佛塔婆)、墓標、四華、松明、膳、奠湯 奠茶、四十九餅と枕団子、杖、起龕 鎖龕(釘打・石)、血脈、剃刀(守り刀)、袈裟(棺掛け)、祭壇(喪屋と花祭壇)、高張提灯、四龍旗、六地蔵、生花と常花、遺物etc.
3.戒名 ~ 院号・道号・戒名・位号 = 法号・法名(㊟ 宗派の違い多し)
4.お布施 ~ 三輪清浄(三輪空寂)の布施・・・施者と受者と施物の三つが清らかで、執着しない。 坊主丸儲けとサラリーマン坊主
5.菩提寺 ~ 檀家と菩提寺と宗教・宗派 信教の自由とご縁
資料 D 初七日 ~ 四十九日忌
1.三途の川、針の山、・・・だから忌中払い
参考 ~ 明治7年 太政官布告第180号「服忌令」
資料 E 百箇日忌 ~ 四十九日忌
1.追善供養
2.数の7と名の7
資料 F 三十七回忌 ~
1.報恩供養
2.人から神へ ~ 虚空蔵菩薩に導かれて
参考 ~ 荒御霊。和御霊。歳神様
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
1.生まれる事と死ぬ事を発見
→ 哀惜の念・死の恐怖
→ 死後の世界・神や悪魔や霊魂etc.
2.愛情と恐怖
3.ネアンデルタール人・天若日子
時間があっという間に過ぎていきます。
次に B、お葬式に係わる文字の深~い意味。
言う間でもなく、
日本人は 素晴らしい民族なんです。
歴史や文化を観れば一目瞭然、
最近でも、震災後の復旧復興の様子や、
オリンピック・パラリンピックでの 日本人選手の活躍など、
ほかのどんな国よりも素晴らしいと思います。
この素晴らしき日本を培ってきた要因の一つは 日本語です。
日本人は 漢字文化を大切に育てながら文化を継承し、
発展させてきました。
感性とか 品格とか 言われるものですね。
本家本元の中国では、
漢字を極端に崩してしまい、
簡化字などと称して、わけのわからない字になってしまっています。
韓国や北朝鮮のハングル文字に至っては、
かの国の学者さんの多くが、
本来 世界に類を見ない程の素晴らしき朝鮮民族の文化は、
ハングルを使うようになって ストップし、退歩してしまった、
と言っています。
漢字には 一文字一文字に意味があります。
その漢字文化を、旧漢字・新漢字など 多少の変化はあるものの、
忠実に守り、引継ぎ、発展させてきたのは
日本人なんです。
と、大上段に構えなくても、
結構面白いんですよ、漢字っていうのは。
一つの字から、昔の人のいろんな思いが見えてきます。
お葬式に関るいくつかの文字に限って 考えてみましょう。
先ず、お葬式の 葬 という字。
資料 B お葬式の文字の深~い意味
1.葬 ~ 遺体の処理方法、離れて置く ⇒ 葬式、葬儀、葬祭 etc.
2.弔 ~ 供養の方法、共にある ⇒ 弔問、弔辞、弔電 etc.
3.寿命 ~ 命をことほぐ、死者との会話
* 喪・柩・冥・甕・奠・樒・涙・泣 etc.
資料 C 臨終 ~ 葬儀・告別式
1. 枕経・通夜・葬儀・告別式・荼毘・葬列(穴回り)・納骨(仏教的墓の意味)・墓直し・忌中払い(道場払い)・清宴
2.棺道具 ~ 本位牌と野位牌、紙位牌、卒塔婆(七本塔婆、六角塔婆、十三佛塔婆)、墓標、四華、松明、膳、奠湯 奠茶、四十九餅と枕団子、杖、起龕 鎖龕(釘打・石)、血脈、剃刀(守り刀)、袈裟(棺掛け)、祭壇(喪屋と花祭壇)、高張提灯、四龍旗、六地蔵、生花と常花、遺物etc.
3.戒名 ~ 院号・道号・戒名・位号 = 法号・法名(㊟ 宗派の違い多し)
4.お布施 ~ 三輪清浄(三輪空寂)の布施・・・施者と受者と施物の三つが清らかで、執着しない。 坊主丸儲けとサラリーマン坊主
5.菩提寺 ~ 檀家と菩提寺と宗教・宗派 信教の自由とご縁
資料 D 初七日 ~ 四十九日忌
1.三途の川、針の山、・・・だから忌中払い
参考 ~ 明治7年 太政官布告第180号「服忌令」
資料 E 百箇日忌 ~ 四十九日忌
1.追善供養
2.数の7と名の7
資料 F 三十七回忌 ~
1.報恩供養
2.人から神へ ~ 虚空蔵菩薩に導かれて
参考 ~ 荒御霊。和御霊。歳神様
今日は、ここまで!
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お葬式とご法事 その6
直葬が増えているようですが、
直葬っていうのは、
病院、あるいは自宅等で亡くなった遺体を
直接火葬場へ持って行き、
火葬が終わった遺骨を 直接墓地へ持って行き、
納骨しておしまいって事ですが、
堕落した坊主や神主や神父や牧師に高いお布施を払うより、
金儲け主義の葬儀屋に高い料金を払うより、
故人の知り合いだと言って寄って来る知らない人に
ペコペコ頭を下げながら接待するより、
自分で、
例えば 親の最期を送ってやりたいから葬式はやらないっていう人は、
それはそれでいいと思います。
自分だけで親の最期を送る事が 実はお葬式だからです。
でも、本当にそうなのですか?です。
親の葬式をしないのは、面倒だからじゃないのか?
お金がもったいないからじゃないのか?
自分の怠惰な気持ちの言い訳ではないのか?
それは 誰にもわかりません。
だから安心して お葬式をしないで下さい。
でも、本当の事がわかるただ一人の人がいます。
それは 自分です。
自分は自分に嘘はつけません。
大切な人の最期に、
嘘をつく事は 許されないはずです。
もう一度 言います。
お葬式は
人間の智恵と 人を思うやさしい気持ち、感情が
集約されたものです。
ちなみに、北京原人は
ネアンデルタール人より 一昔前の
猿人に近い原人で、
脳の量が ネアンデルタール人より少ない。
ネアンデルタール人と 現代の私たちの脳の量は
ほぼ同じです。
教科書に出てくるもう一人の有名原人、クロマニョン人は、
ネアンデルタール人より ちょっと進化した新型原人です。
今日は、ここまで!
まだまだ続きます!
直葬っていうのは、
病院、あるいは自宅等で亡くなった遺体を
直接火葬場へ持って行き、
火葬が終わった遺骨を 直接墓地へ持って行き、
納骨しておしまいって事ですが、
堕落した坊主や神主や神父や牧師に高いお布施を払うより、
金儲け主義の葬儀屋に高い料金を払うより、
故人の知り合いだと言って寄って来る知らない人に
ペコペコ頭を下げながら接待するより、
自分で、
例えば 親の最期を送ってやりたいから葬式はやらないっていう人は、
それはそれでいいと思います。
自分だけで親の最期を送る事が 実はお葬式だからです。
でも、本当にそうなのですか?です。
親の葬式をしないのは、面倒だからじゃないのか?
お金がもったいないからじゃないのか?
自分の怠惰な気持ちの言い訳ではないのか?
それは 誰にもわかりません。
だから安心して お葬式をしないで下さい。
でも、本当の事がわかるただ一人の人がいます。
それは 自分です。
自分は自分に嘘はつけません。
大切な人の最期に、
嘘をつく事は 許されないはずです。
もう一度 言います。
お葬式は
人間の智恵と 人を思うやさしい気持ち、感情が
集約されたものです。
ちなみに、北京原人は
ネアンデルタール人より 一昔前の
猿人に近い原人で、
脳の量が ネアンデルタール人より少ない。
ネアンデルタール人と 現代の私たちの脳の量は
ほぼ同じです。
教科書に出てくるもう一人の有名原人、クロマニョン人は、
ネアンデルタール人より ちょっと進化した新型原人です。
今日は、ここまで!
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あかるいほうへ
平成29年の新春に當たり、謹んで至心に三宝を誦し、
併せて 檀信徒の皆様の御清栄を心よりお祈り申し上げます
一休宗純の名前を知っている方は多いと思います。
風狂の禅僧一休・とんちの一休さん なとども呼ばれ、
乱世の室町時代をひょうひょうと生きた、
とてもポジティブなお坊さんです。
この時代では 驚異的に長生きをした人で、
なんと87歳で、
「死にたくないよ!」と言いながら、
晩年出会った愛する伴侶 盲目の森女(おしんさん)に見守られて
亡くなられたお坊さんです。
一休さんの逸話は枚挙にいとまが無いのですが、
お正月というと思い浮かべるのが、
或る消化に招かれた一休さんが
主人に頼まれて揮毫した
「門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
ですね。
実はこの時、
この句に続けて
「この家から葬式千代」
とも書かれていたそうです。
この揮毫を見た主人は 最初怒ったそうですが、
よくよく考えると
《人は誰でも定められた一生を生きた後、
等しく死を迎えなければならない。
これは当たり前。
今年もお正月を迎える事が出来た。
めでたい事だ。
浮かれたばかりいないで、
ご先祖の恩に報い、
子孫繁栄を願い、
しっかりと自分の人生を生き抜き、
この家が これからも幾久しく、
十代、百代よりさらに、
千代も続いていくように頑張れ》
という一休さんのエールなんだと解ったそうですよ。
この一休さんを囲んで、お弟子さんや信者さんが
こんな話をしていたそうです。
「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか?」
「私は、夕日が沈むときの美しさが、
この世が一番輝いている時だと思います。
あれは、西にある極楽世界が
太陽に照らされて輝いているに違いありません。
極楽は西にあるんだと思います」
「いやいや、私は早起きで、
毎日 陽の出を見ていますが、
朝焼けの清々しさは
これから始まる一日の活力を 私たちに感じさせてくれます。
極楽は東にあるはずです」
「ちょっと待って下さい。
お釈迦様は 北に頭を向けて涅槃に入られたんですよ。
北は人を目覚めさせる方角なんです。
北にこそ 極楽があるに違いありません」
「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか!?」
「ん? 極楽か? みなみにある!」
《極楽世界は どこにあるというものではなく、
「皆 身に有る」という頓智です》
人の「幸 不幸」「喜び 哀しみ」「慈しみ 憎しみ」「楽しみ 苦労」、
喜怒哀楽 すべてを感じるのは、
その人自身の心にほかなりません。
お正月ですね。
冥途の旅の一里塚です。
世間の理屈にしばられないで、
自分自身をしっかり保って、
本音でのびのび人生を歩んでいきましょうよ。
未来に向かって!
あかるいほうへ!
檀信徒の皆さんが、
幸せな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。
山主合掌
新年祈祷札について
◎戸守り ~ 火防(ひぶせ)・盗賊除(とうぞくよけ)のための
当山独特の御守護札です。
玄関などにお祀りして下さい。
◎本山札 ~ 天台宗の総本山 比叡山延暦寺から取り寄せた、
唐山檀信徒各家の一年間の無事を祈念するためのお札です。
仏壇や神棚(無い方は 茶の間や客間)等にお祀りして下さい。
◎吉祥寺・西泉寺 勤行儀 ~ なるべく短く、なるべく優しいお経の本を作りました。
住職の還暦記念です。
天台大師(60歳で遷化されました)和讃と 伝教大師和讃も
校訂して載せました。
お仏壇の奥に仕舞いこむ前に、一度だけでも目を通していただければ
ありがたいです。
☆当山のものであるなしにかかわらず、古いお札、お塔婆等はお焚き上げ供養をします。
お申し出下さい。
併せて 檀信徒の皆様の御清栄を心よりお祈り申し上げます
一休宗純の名前を知っている方は多いと思います。
風狂の禅僧一休・とんちの一休さん なとども呼ばれ、
乱世の室町時代をひょうひょうと生きた、
とてもポジティブなお坊さんです。
この時代では 驚異的に長生きをした人で、
なんと87歳で、
「死にたくないよ!」と言いながら、
晩年出会った愛する伴侶 盲目の森女(おしんさん)に見守られて
亡くなられたお坊さんです。
一休さんの逸話は枚挙にいとまが無いのですが、
お正月というと思い浮かべるのが、
或る消化に招かれた一休さんが
主人に頼まれて揮毫した
「門松は 冥土の旅の 一里塚
めでたくもあり めでたくもなし」
ですね。
実はこの時、
この句に続けて
「この家から葬式千代」
とも書かれていたそうです。
この揮毫を見た主人は 最初怒ったそうですが、
よくよく考えると
《人は誰でも定められた一生を生きた後、
等しく死を迎えなければならない。
これは当たり前。
今年もお正月を迎える事が出来た。
めでたい事だ。
浮かれたばかりいないで、
ご先祖の恩に報い、
子孫繁栄を願い、
しっかりと自分の人生を生き抜き、
この家が これからも幾久しく、
十代、百代よりさらに、
千代も続いていくように頑張れ》
という一休さんのエールなんだと解ったそうですよ。
この一休さんを囲んで、お弟子さんや信者さんが
こんな話をしていたそうです。
「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか?」
「私は、夕日が沈むときの美しさが、
この世が一番輝いている時だと思います。
あれは、西にある極楽世界が
太陽に照らされて輝いているに違いありません。
極楽は西にあるんだと思います」
「いやいや、私は早起きで、
毎日 陽の出を見ていますが、
朝焼けの清々しさは
これから始まる一日の活力を 私たちに感じさせてくれます。
極楽は東にあるはずです」
「ちょっと待って下さい。
お釈迦様は 北に頭を向けて涅槃に入られたんですよ。
北は人を目覚めさせる方角なんです。
北にこそ 極楽があるに違いありません」
「一休さま、極楽って どの方向にあるんですか!?」
「ん? 極楽か? みなみにある!」
《極楽世界は どこにあるというものではなく、
「皆 身に有る」という頓智です》
人の「幸 不幸」「喜び 哀しみ」「慈しみ 憎しみ」「楽しみ 苦労」、
喜怒哀楽 すべてを感じるのは、
その人自身の心にほかなりません。
お正月ですね。
冥途の旅の一里塚です。
世間の理屈にしばられないで、
自分自身をしっかり保って、
本音でのびのび人生を歩んでいきましょうよ。
未来に向かって!
あかるいほうへ!
檀信徒の皆さんが、
幸せな一年を過ごせますよう、
心からお祈り申し上げます。
山主合掌
新年祈祷札について
◎戸守り ~ 火防(ひぶせ)・盗賊除(とうぞくよけ)のための
当山独特の御守護札です。
玄関などにお祀りして下さい。
◎本山札 ~ 天台宗の総本山 比叡山延暦寺から取り寄せた、
唐山檀信徒各家の一年間の無事を祈念するためのお札です。
仏壇や神棚(無い方は 茶の間や客間)等にお祀りして下さい。
◎吉祥寺・西泉寺 勤行儀 ~ なるべく短く、なるべく優しいお経の本を作りました。
住職の還暦記念です。
天台大師(60歳で遷化されました)和讃と 伝教大師和讃も
校訂して載せました。
お仏壇の奥に仕舞いこむ前に、一度だけでも目を通していただければ
ありがたいです。
☆当山のものであるなしにかかわらず、古いお札、お塔婆等はお焚き上げ供養をします。
お申し出下さい。
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