埼玉県深谷市にある
吉祥寺の住職のブログ
イチョウの下のよもやま話
悲しみを乗り越えるために その4
「人という字は、一本の棒と 一本の棒が 支え合ってできている。
人は 一人では生きられないのだから・・・。」
ここまではいいのですが、
「他人を気遣い 自分を主張する事を控えなさい」
とでも説教されれば 首をひねりたくなります。
他人を大切にするという行為は 自分のものでしょう?
だから、ここでは
「他人を気遣う優しい心を持ちなさい」
と言うべきです。
そもそも ≪人≫ という字は、
堂々と胸を張って 大股で大地を歩む人の姿から 生れた字なのですから。
ちなみに、思いっきり両手両足を広げて 大地に立つ人の姿は
≪大≫ という字になりました。
自分というものを しっかり持って、
正々堂々と 人生を歩んでいる人は
まさに 偉大な人です。
いずれにしても、
今日からは、
皆さんは 故人のご逝去の悲しみを乗り越えて、
彼岸にたった故人に見守られながら、
自らの意志で 新しい生活を始めていかなければ ならないのです。
以上です。
またまた、出てきてしまいました、「人という字」(大汗)。
さて、今後 話のネタに困らないといいのですが。
今日は、ここまで!
人は 一人では生きられないのだから・・・。」
ここまではいいのですが、
「他人を気遣い 自分を主張する事を控えなさい」
とでも説教されれば 首をひねりたくなります。
他人を大切にするという行為は 自分のものでしょう?
だから、ここでは
「他人を気遣う優しい心を持ちなさい」
と言うべきです。
そもそも ≪人≫ という字は、
堂々と胸を張って 大股で大地を歩む人の姿から 生れた字なのですから。
ちなみに、思いっきり両手両足を広げて 大地に立つ人の姿は
≪大≫ という字になりました。
自分というものを しっかり持って、
正々堂々と 人生を歩んでいる人は
まさに 偉大な人です。
いずれにしても、
今日からは、
皆さんは 故人のご逝去の悲しみを乗り越えて、
彼岸にたった故人に見守られながら、
自らの意志で 新しい生活を始めていかなければ ならないのです。
以上です。
またまた、出てきてしまいました、「人という字」(大汗)。
さて、今後 話のネタに困らないといいのですが。
今日は、ここまで!
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