S君は走り書きで遺書らしきものを
残していた。
「・・・・・・・・もう人間やれません」
だった。
この時彼の心の闇を誰も知ることが
できなかったのだ・・・・。
心ないマスコミの餌食に学校は翻弄され
一般生徒まで巻き込んだ・・・・。
あの時の新聞記事を思うと今でも心が煮えくり
返り悔しい・・・。
殆どの新聞が「いじめ」と報道・・・・・
記者に質問され応えた生徒たちは職員室、校長室
へとなだれこみ
僕たちあんなことは言っていないウソばかり書いて
いる・・・と叫んでいた。
先生達は生徒をなだめるのに必死だった。
大人の私たちでさえなんで?????と頭をかかえ
マスコミ不信で一杯だった・・・・。
ましてや
中学生・・・・正義の味方であるべき新聞を信用
できなくなった心の受け皿はどこへ持って行った
らいいのか
大人としてこの責任はどうしてくれるのか・・・・。
S君はヤンチャなグループに入っていて
お互いにケンカすることはあったらしいが
毎日楽しく学校生活をエンジョイしていたらしい。
彼のⅠ、2年の担任は
時々日曜に動物園等に連れて行っていたとの
ことである・・・・。
幼児のようにはしゃいでいたそうである。
また3年の時の担任は、朝起きられない彼の
ために毎日のように電話をしていた。
修学旅行の時は彼のお弁当も作って行ったそうで
ある・・・・・。
周囲の大人たちのこのような愛情に包まれ
彼の心も徐々に解け
3年の時はあのような活き活きした表情になり
他学年の私にも話しかけられるようになった
のだと思う・・・・・。
が
彼の奥深い心の闇は誰ものぞくことはできな
かったのだ。
それが悔しい・・・・。
ところで文科省よ・・・・・
教員を将来的には大学院卒を・・・
だって?
ザケンジャないよ
本末転倒もいいところだ・・・
ますます
「見ざる言わざる聞かざる」の教員を増やす
つもりか・・・・
世論もそうだ
二言めにはすぐ日教組を目の敵にしてさ・・・・
内情も分かっていないのに・・・
もっと現場の声を聞くべきだ・・・・。
心ある先生は夜昼なく生徒のことで
悩み苦しんでいるのだ・・・・。
あぁすっきりした・・・・。
でも今の日教組には私も疑問が沢山あった。
小学校ですが・・・・
運動会で一緒にゴールだとか・・・競争させない
名簿を男女一緒にして一歩前進だなんて嬉々と
している若い先生・・・・。
男女平等はいいが
区別と差別は別のもの・・・・
中学はそんなことしていたら教育なんてできっこ
ない・・・・・。
話しが横道にそれてしまったが・・・
その後彼のことでは、放課後何時間も
会議がもたれた。
あの事件を乗り越えられたのは当時の
校長と先生たちが信頼しあい同じ方向
を見ていたからだと思う・・・・・。
最高の仲間たちだった・・・・。
なぜ彼は自殺に走ったかは・何時間
議論しても分からないことだった・・・・
だが
私は彼は自我に目覚め大人になり
成長して、自分の中に何かが目覚
めたからではないか・・・と思う。
彼が何かに悩んでいたのは事実だろう。
いつまでも犬っころのように
ジャレあっている時代は終わった
大人の階段へ一歩いっぽ人間は歩んで
行かなければならない・・・それが人間と
しての成長だろう・・・・。
そのプロセスの途中で人は躓きそして又
起き上がって前に進んでいく・・・・。
それを上手にクリアできない少年少女は
外に向かって荒れていく・・・・
逆に自分自身に向かい自滅していくもの
もいる・・・・・。
内に向かっていく少年は最悪だ・・・・・。
その変化の1番著しいのは中学2年生
だと思う・・・・
この学年を上手にクリアしたら大体心も
安定して来るものである。
だから
2年生という時期は生徒も担任も大変
苦労する・・・・
私の学級もいろいろと事件があった・・・・・。
そんな時班ごとの交換日記に随分と救われた。
生徒は何気に心の叫びをノートに書いてくれた
ものである。
こんなに沢山の大人がいるのに
誰も彼の心の闇を救ってあげられなかった
ことが悔しくてならない・・・・。
今は「命の電話」のシールが生徒に配
られている・・・・。
どうか
1人で悩まず自分の悩みを周りの大人たちに
相談して欲しい・・・・。
そして何よりも大人たちよ苦しんでいる子供たちの
サインを見逃さないで欲しい・・・・・。
身近にいる親、そして教師の助けが1番必要
である。
忙しくて見逃した・・・・・?
それは怠慢だ、詭弁だ・・・・。
それはあり得ない・・・子供は必ずサインを出している
のだから・・・・・・。
あれだけ悩まされた新聞報道も
その後数年経ち、真実を報道する
ようになった・・・・。
残していた。
「・・・・・・・・もう人間やれません」
だった。
この時彼の心の闇を誰も知ることが
できなかったのだ・・・・。
心ないマスコミの餌食に学校は翻弄され
一般生徒まで巻き込んだ・・・・。
あの時の新聞記事を思うと今でも心が煮えくり
返り悔しい・・・。
殆どの新聞が「いじめ」と報道・・・・・
記者に質問され応えた生徒たちは職員室、校長室
へとなだれこみ
僕たちあんなことは言っていないウソばかり書いて
いる・・・と叫んでいた。
先生達は生徒をなだめるのに必死だった。
大人の私たちでさえなんで?????と頭をかかえ
マスコミ不信で一杯だった・・・・。
ましてや
中学生・・・・正義の味方であるべき新聞を信用
できなくなった心の受け皿はどこへ持って行った
らいいのか
大人としてこの責任はどうしてくれるのか・・・・。
S君はヤンチャなグループに入っていて
お互いにケンカすることはあったらしいが
毎日楽しく学校生活をエンジョイしていたらしい。
彼のⅠ、2年の担任は
時々日曜に動物園等に連れて行っていたとの
ことである・・・・。
幼児のようにはしゃいでいたそうである。
また3年の時の担任は、朝起きられない彼の
ために毎日のように電話をしていた。
修学旅行の時は彼のお弁当も作って行ったそうで
ある・・・・・。
周囲の大人たちのこのような愛情に包まれ
彼の心も徐々に解け
3年の時はあのような活き活きした表情になり
他学年の私にも話しかけられるようになった
のだと思う・・・・・。
が
彼の奥深い心の闇は誰ものぞくことはできな
かったのだ。
それが悔しい・・・・。
ところで文科省よ・・・・・
教員を将来的には大学院卒を・・・
だって?
ザケンジャないよ
本末転倒もいいところだ・・・
ますます
「見ざる言わざる聞かざる」の教員を増やす
つもりか・・・・
世論もそうだ
二言めにはすぐ日教組を目の敵にしてさ・・・・
内情も分かっていないのに・・・
もっと現場の声を聞くべきだ・・・・。
心ある先生は夜昼なく生徒のことで
悩み苦しんでいるのだ・・・・。
あぁすっきりした・・・・。
でも今の日教組には私も疑問が沢山あった。
小学校ですが・・・・
運動会で一緒にゴールだとか・・・競争させない
名簿を男女一緒にして一歩前進だなんて嬉々と
している若い先生・・・・。
男女平等はいいが
区別と差別は別のもの・・・・
中学はそんなことしていたら教育なんてできっこ
ない・・・・・。
話しが横道にそれてしまったが・・・
その後彼のことでは、放課後何時間も
会議がもたれた。
あの事件を乗り越えられたのは当時の
校長と先生たちが信頼しあい同じ方向
を見ていたからだと思う・・・・・。
最高の仲間たちだった・・・・。
なぜ彼は自殺に走ったかは・何時間
議論しても分からないことだった・・・・
だが
私は彼は自我に目覚め大人になり
成長して、自分の中に何かが目覚
めたからではないか・・・と思う。
彼が何かに悩んでいたのは事実だろう。
いつまでも犬っころのように
ジャレあっている時代は終わった
大人の階段へ一歩いっぽ人間は歩んで
行かなければならない・・・それが人間と
しての成長だろう・・・・。
そのプロセスの途中で人は躓きそして又
起き上がって前に進んでいく・・・・。
それを上手にクリアできない少年少女は
外に向かって荒れていく・・・・
逆に自分自身に向かい自滅していくもの
もいる・・・・・。
内に向かっていく少年は最悪だ・・・・・。
その変化の1番著しいのは中学2年生
だと思う・・・・
この学年を上手にクリアしたら大体心も
安定して来るものである。
だから
2年生という時期は生徒も担任も大変
苦労する・・・・
私の学級もいろいろと事件があった・・・・・。
そんな時班ごとの交換日記に随分と救われた。
生徒は何気に心の叫びをノートに書いてくれた
ものである。
こんなに沢山の大人がいるのに
誰も彼の心の闇を救ってあげられなかった
ことが悔しくてならない・・・・。
今は「命の電話」のシールが生徒に配
られている・・・・。
どうか
1人で悩まず自分の悩みを周りの大人たちに
相談して欲しい・・・・。
そして何よりも大人たちよ苦しんでいる子供たちの
サインを見逃さないで欲しい・・・・・。
身近にいる親、そして教師の助けが1番必要
である。
忙しくて見逃した・・・・・?
それは怠慢だ、詭弁だ・・・・。
それはあり得ない・・・子供は必ずサインを出している
のだから・・・・・・。
あれだけ悩まされた新聞報道も
その後数年経ち、真実を報道する
ようになった・・・・。