先日の道新の「本と旅する」より
「羆嵐」 吉村昭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/20/6a5ff3319cbc50f0badc0b8c5b4f6547.jpg)
7人が死亡3人が重傷を負った
留萌管内苫前町三渓(旧三毛別)の三毛別ヒグマ事件は
1915年(大正4年)12月9、10両日に起きた。
現場は三渓最奥地、6線沢沿いにあった開拓集落。
加害熊は住民に回収された遺体を求めて通夜の場に押し入り
さらに別の家の臨月の妊婦を襲い暴虐の限りを尽くした。
体長2、7メートル体重340キロもの巨体だった。
近隣の農民たちの銃は不発
高性能の警察の銃もヒグマには通じなかつた。
作家吉村昭の「羆嵐」は人間がヒグマの食欲を満たす餌に
陥った野生との最前線の出来事を冷徹に描き出した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/39/eedec0c31cb249a232b781810b2560fc.jpg)
北海道の開拓は銃の貸与とか近隣のアイヌ民族の狩猟者による
支援など、人身事故防止が何よりも優先されるべきだった
最悪の獣害は開拓政策の怠惰が招いた必然でもあった。
クマは隣の小平町のベテラン猟師によって仕留められ
直後に暴風が吹き荒れた。
明治末には開拓に適した土地は残り少なくなっていた
遅れて北海道に来た人々は条件の悪さを承知の上で危険な
奥地に分け入るしかなかったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/52/8ae2b16756f6b47ca3e5caac784f1f5f.jpg)
苫前町には悲しみを乗り越え古里づくりに団結する農民たち
を表現した郷土芸能「くま獅子舞」がある。
事件から100年の昨年は町民劇を上演、松岡さんが実行員代表
を務めた。
「クマも人も等しい命です。共存するには互いの領分を尊重
して侵さないこと」
教訓を次世代に伝えようと決意している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b1/3646bdae68fc03f04f74d1b05a520864.jpg)
新聞記事をリライトしたが
なんとも痛ましい事件である
新聞には生きたままとか むさぼるようにとかリアルな表現があったが
私にはあまりにも残酷でそう言った生々しい表現は使えなかった・・・。
「羆嵐」 吉村昭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/20/6a5ff3319cbc50f0badc0b8c5b4f6547.jpg)
7人が死亡3人が重傷を負った
留萌管内苫前町三渓(旧三毛別)の三毛別ヒグマ事件は
1915年(大正4年)12月9、10両日に起きた。
現場は三渓最奥地、6線沢沿いにあった開拓集落。
加害熊は住民に回収された遺体を求めて通夜の場に押し入り
さらに別の家の臨月の妊婦を襲い暴虐の限りを尽くした。
体長2、7メートル体重340キロもの巨体だった。
近隣の農民たちの銃は不発
高性能の警察の銃もヒグマには通じなかつた。
作家吉村昭の「羆嵐」は人間がヒグマの食欲を満たす餌に
陥った野生との最前線の出来事を冷徹に描き出した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/39/eedec0c31cb249a232b781810b2560fc.jpg)
北海道の開拓は銃の貸与とか近隣のアイヌ民族の狩猟者による
支援など、人身事故防止が何よりも優先されるべきだった
最悪の獣害は開拓政策の怠惰が招いた必然でもあった。
クマは隣の小平町のベテラン猟師によって仕留められ
直後に暴風が吹き荒れた。
明治末には開拓に適した土地は残り少なくなっていた
遅れて北海道に来た人々は条件の悪さを承知の上で危険な
奥地に分け入るしかなかったのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/52/8ae2b16756f6b47ca3e5caac784f1f5f.jpg)
苫前町には悲しみを乗り越え古里づくりに団結する農民たち
を表現した郷土芸能「くま獅子舞」がある。
事件から100年の昨年は町民劇を上演、松岡さんが実行員代表
を務めた。
「クマも人も等しい命です。共存するには互いの領分を尊重
して侵さないこと」
教訓を次世代に伝えようと決意している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/b1/3646bdae68fc03f04f74d1b05a520864.jpg)
新聞記事をリライトしたが
なんとも痛ましい事件である
新聞には生きたままとか むさぼるようにとかリアルな表現があったが
私にはあまりにも残酷でそう言った生々しい表現は使えなかった・・・。