一度訪ねてみたいなどと話しが弾み、その折に、姪御様がその伯母様の所から高校に通われ、卒
業後は東京の服飾の専門学校に入り、そして現在は前述の「フローラ」で働いているということを
お聞きしました。
そんな話しの中であや様の生家のことに話しが及び、あなた様の名を伺いました。
野木という名に最初私しの記憶は、何の反応も示しませんでした。
「ああ、自分の旧姓と同じ名字だな」と思っただけでした。
しかし、話しが進む内に、突然雷に打たれたような衝撃を受けました。
その人の名は鉄五郎、しかも語られるその人物像が母から伝えられ、かつ残された僅かな写真の
記憶と重なるところが多かったのでございます。
私の生年月日は昭和9年3月10日、生地は封書の所で誕生からずっと変わっていません。
父鉄五郎は大工で、私が3歳の時突然家を出て、以来行き方知れず生死も分かりません。
私には父の記憶は、3歳の時別れたのですから殆んど何もありません。幽かで断片的なそれと覚
しきものも、後で紛れこんだものか、あるいは自分が創り上げたものなのか定かでありません。
さて、ここまでお読みいただきまして、手紙はまだごみ箱かストーブの中に投げ入れられていま
せんでしょうか。
未だあなた様の掌の中にあり、しぶとくも眼を煩わせ、さらにその先に関心を繋げておられるの
であれば、次に母について語らせて頂きたく思います。
母の名は春江、旧姓は高田と申します。
昭和8年2月、24歳で父と結婚、7年前の昭和30年6月10日46歳で病のため亡くなりました。