伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

小説を発信中

  
  
  
  

  

荒れた時代の職員会議

2022-07-11 13:43:16 | 教え子・学校

昨夜また現役時代の夢を見た

そういえばそういうこともあったっけ・・・と

夢で思い出した。

現役時代のことはさしさわりがあるので極力

書かないことにしているが

最近脳細胞がさび付いている

このままでは書かないで終わりそうな気がする。

夢で甦った生徒が荒れていた時代を

少し書いておかねばと今朝決心した。

現役時代の暗いトンネル・・・なかなか抜け出せず

思い出すのも辛い・・・。

私が40代の半ば

娘が保育園・・・学校は全国的に荒れ始めていたH中学校

保育園の関係もあり10年近く勤務した。

ここではいろいろな事件があり全国ニュースにもなった時もある。

私は二、三年と持ち上がり

副主任・・・札幌市としては中堅の学校で学年は7クラス

三年に進級したとき主任が半年入院

私が主任に任命されたが同僚の協力で負担にはならなかった。

ただ三年生になると下級生に暴力をふるったりして

職員会議のたびに他学年の先生から

三年の先生何をやっている・・・と文句を言われるのが辛かった

私は先手を打って

同じ学校の生徒・・・学年の枠を超えて生徒を見て欲しいとお願いした。

心情に訴えることから始めた。

その後は三年生・・何やっているとの怒号は聞くことがなかったが

何かあるたびに報告してくださり軽い指導をしたと言ってくれたりした。

現実・・・他学年の先生がヤンチャな生徒を指導することは至難の技だったし

信頼関係がないとできる状態ではなかった。

当時は三年生に信頼のおける生徒指導部長とベテランの生徒指導の先生が配置されていて

何かと相談ができラッキーだった。

職員の和は保たれていた。

だが

私のクラスの女子A子さんの生徒指導が父母の間に漏れてしまった。

あるときスーパーに行くと先生何で皆に家の子のことを言いふらしたの?

と親に問い詰められ愕然とした。

生徒指導の先生など一部の人しか知らない事実だった。

学校長と相談し即私は職員会議で語調を強くし訴えた。

誰が漏らしたか追及しないけれど教育現場でこういうことが起こるということは

嘆かわしい・・・担任が窮地に立たされる。

考えたことがあるのか・・・ざるの様に次々と大切なことが漏れては、これから大事な

受験指導を控えて・・・やってられません。

てなことを訴えたような気がする。

学校長も最後のとどめをさしてくださった。

学校長は同じ国語科だったので何かと目をかけてくださっていた。

今思えば職員の和は良かった学校だったが

そういう職場でもたった一人の考えのない先生のせいで

こういうことは突発するものである。

完全なんてない

必ずどこかが歪んでくるものだ

それにどう対処して切り抜けるかがかんじん・・・。

教師は今やブラック企業と言われる

悲しい

じゃ

子どもはどこへ行けばいいのか

教師は性格、人間性が問われる・・・教授法は二の次だ

と今でも思っている私は古いのか・・・。

一番思うことは先生の給料は一般公務員よりも高くしてほしい

現役の先生は必死で教科指導 公務分掌 クラブ活動

そして生徒指導 親とのかかわり・・・をこなしている。

未来を担う子供の教育にせめてお金をつぎ込んでほしい。

途中で脱線してしまいました。

 

思えば一番頑張っていた時代だった

札教研の国語常任委員長をしたり研究授業を何度もしたり

札幌市の生徒の「にれ」編集に携わったり

ハ゛っかみたいに頑張っていた

こんなに自分を駆り立てていたのは何だったのか・・・。

誰しもこういう時代を全力で走り続けていたのでしょう

わたしもその一人。

の全力で駆けたのは20代・・・早かったよね

旅人を創刊したり 業界誌に携わったり

ウナギの研究と新聞

エナギの養殖で倒れた・・・何を急ぎすぎたのでしょうね。

あなたの全力で走った過去はいつですか?

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする