日本でも「精神一到何事か成らざらん」といいう朱子の言葉が有名です。昔の中国人が精神という言葉で何を表現していたかですが、現代日本人が表現する精神に近いのではないかと思います。つまり現代日本人は昔の中国人が考えた精神という言葉を学び、今日に伝えていると思います。
この精神という言葉の中に神の漢字がありますが、昔の中国人は精神に神的力を感じていたことを示していると思います。そしてこの感性は非常に鋭いと思います。
現代世界にも非常に大きい影響を与え続けていいるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の神は、自分をこえる絶対的な力と感じられるもので、人をこえる、目に見える身近な大きな力から、日月星など遠いものに、そしてユダヤ教で目に見えない、日月星をこえる外なる絶対的な力と理解されるようになりました。
ところが非常に興味深いことですが、キリスト教の教祖イエス・キリストは、絶対神とは別に、自分に内在して自分を助ける非常に大きな力として内なる聖霊の存在を感じ、人は、自分をこえる絶対神を知ったとき神から聖霊が自分に下ると思いました。彼は東のインド文化や中国文化の影響を受けていたのではないでしょうか。
ヨーロッパ・アメリカでも現代心理学では精神学が発達し、潜在意識とか、潜在意識より古い、大昔から精神の奥深いところに記録されている人を生かす力を学問するようになっています。
つまり現代は外なる神ではなく、内なる神に人々の関心が集まっていると思います。現代流行りの成功の法則などはほとんど内なる神の力の応用編です。
そのため既存宗教団体の威光はどんどん下がり、衰退する傾向になっています。まだ盛んなイスラム教団体も宗教学の発達でやがて衰退すると思います。
すべての生きている人の精神の奥深いところに神は内在してその人の自我の働きを助けていると思います。つまり精神構造は、潜在自我を含む自我と原始的精神からなると思います。原始的精神は、自我が認識していなくても自我を助けています。自我が悪いことを考えても助けてくれるので要注意です。人生、生き生きと生きるには、自我はよいことを考えることがだいじということになります。
内なる神は、国や政府よりはるかに信頼できる非常に大きな力です。今後の新世界づくりでは、国ではない、人がだいじという理由はここにあります。国は、権力者政治家の愚かな、欲深い自我によって利用されてることが非常に多いと思います。
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