ソ連時代のことですが、アゼルバイジャンの駐日通商担当官が、技術導入のことで私を訪ねてきました。私の会社の技術を導入したいとのことでした。
彼は、ソ連が自分の電話を盗聴していると言って公衆電話を使って電話をかけてきました。喫茶店や私の事務所で話合いたがりました。ソ連の意向ではないことがわかり、当時、私としては用心せざるをえませんでした。アゼルバイジャンは独立志向と思いました。
その後、ソ連が崩壊し、アゼルバイジャンは独立しました。
ナゴルノカラバフ問題は詳しくは知りませんでしたが、アルメニアの隣接地ではなく、アゼルバイジャンの中央部にアルメニア系の人が10万人の単位で住み、独立運動を起こし、武装組織を持ち、独立を宣言し、共和国と自称して今日に至りました。ロシアが介入し、平和維持軍を送ってこの共和国を守ってきましたが、ウクライナ戦争を始めたことで介入に手が回らなくなったのか、ロシアは、アゼルバイジャンが、ナゴルノカラバフの武装組織を攻撃することを認め、ナゴルノカラバフ解消の線で問題解決をはかりました。ナゴルノカラバフの武装組織はアゼルバイジャン軍に勝てず、アルメニアの軍事支援もなく、降伏し、共和国も降伏しました。
アルメニアはロシアの軍事支援なしということで、アゼルバイジャンを非難しつつ、アゼルバイジャンのナゴルノカラバフのアゼルバイジャン化を認めざるをえませんでした。
アゼルバイジャン化に耐えられないアルメニア系は、アルメニアに移住し、耐えられる人はナゴルノカラバフに残るそうです。なん%が残るかまだわかりませんが、残る割合がかなり多いならば、アゼルバイジャンのアルメニア系迫害は、差別的であったかもしれないが、非人間的ではなかったと言えるかもしれません。
アゼルバイジャンが軍事で問題解決をはかったことに抵抗を感じますが、今後のアゼルバイジャンについては平和を祈ります。アルメニアも、国は行政区と考え、隣国との争いではなく、自国の繁栄を重視するといいと思います。なお、アルメニアにはアゼルバイジャン飛地があります。問題がおこならければいいがと思います。
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