
キムジウン MBCアナウンサー
昨日ニュヨークは一日中雪がしんしんと降りました。ちょうど何日か見つからなかったコピーを思い出して町内の文具店に行こうと思いました。降ってくる雪はロマンチックでしたが道は雪が解けてぬかるみになっていました。そのせいで運動靴と靴下まで濡れてしまい急いで家に帰って来ました。その時ユダヤ人の友人からかかってきた電話には偉大な力がありました。「お姉さん、今日は金曜日なの知っているでしょ。うちのお母さんが料理を作る日。私が今日、だんなに会いに韓国へ行くじゃないの。お姉さんが私の代わりに娘の役をして頂戴。」下手だけれども愛嬌のある韓国語の主はマヤです。夫は韓国人です。自分が作った核的が本当においしいといって分けてくれたり、時々、名前を呼びまくる末の弟に「名前を呼ばないでお姉さんと呼びなさい。」と韓国語で「姉さん」を教えたりもします。金曜日ごとにある家族の集まりに私を招待してくれたのです。
実は、この間私の家では鳴った火災警報だけでも10回を超え、勉強していてうっかり忘れて焦がしたなべも3つを越えました。朝夕としっかりと作って2食食べて、貧弱なお昼ご飯食べていると、誰かが作ってくれたものをちょっと食べたい思いがして、母を思い出したりしていました。マヤの電話にうれしくなった私は厚い靴下を履いて喜んで急ぎ足で出かけました。
離婚して末の息子アロンと一緒に暮らしイマは看護婦です。どんなに忙しくても金曜日には3兄妹のために必ず料理をするのです。到着するともうすでに料理の匂いが家の中にいっぱいです。体と心が一人でに解けていきます。両手に薬味をいっぱいに付けたイマが台所から出てきて私を抱きしめて喜んでくれます。今日のステーキの担当は末息子です。食卓には長男のウォリーとその友達のジェフリーがとてもリラックスして座っていて、料理は、ステーキ、豆で作ったホモスとそれに付けて食べる中東の人たちの主食であるピタパン。醤油とコスを加えた豆腐、ジャガイモサラダ、等々、、婿が韓国人なのでイマはアジアの食物全般に関心を持っていました。豆腐料理がその証拠です。
会話の話題は本当に多様です。意見が違っても、誰が話をしても熱心に聞いてくれるという共通点があります。「このステーキと、あのステーキの味がちょっと違います。」「はい、これは中東式、あれはアメリカ式です。クミンが入っているか、いないかの差です。よくわかったね。(笑い)」と言いながらイマははじめからクミンの粉を持ってきて手のひらに振ってくれるのです。居間の壁にかかった絵について聞くと、食事をしていたのを止めてイマは絵の前に言って詳しく説明します。「画家の名前はイマ、つまり、私です。絵の主人公は父母です。私はイスラエルで生まれましたが、父母はイエメン出身です。わざと、母の前腕を太めに強く描いたの、9人の子供がいたの。背景のアイリスはゴッホのアイデアを借りたのよ。花言葉が私たちの母は「うれしい知らせ」のような存在だったでしょ。父は本当に本をよく読んでいたわ。静かだったけど内面は本当にしっかりした人だった。それを目を通して伝えようと思ったのだけれど感じる?イエメン音楽聞いてみる?」
息子たちが「古典音楽」が出てくると笑い声を出したが、イマは部屋に入っていって若死にしたイエメンの歌手の音楽を聞かせて歌が変わるたびに歌詞を説明してくれる。はじめは気乗りしていなかった息子たちも歌をくちずさんでいる。このようなこともイマの家族には長く続いている楽しい習慣のようです。祖父母の肖像画を誰が受け継ぐかを論戦していた息子たちが皿洗いをしている間、長い廊下にかかっている写真をイマの案内で鑑賞します。家族の写真と子供たちが始めて描いた絵を一つずつかけてある壁は家族の歴史です。世の中にただ一つしかないギャラリーです。どんな有名な作品をかけておいたとしてもイマのギャラリーにはかなわないと言う思いがします。
年末と年始は皆が忙しく家族同士が食事を食べることが「行事」ように感じる。むしろ「沈黙」が楽だという友達のメールを少し前に受け取った。そうして見ると、どんな形態の家族でも幸せになろうとしたら、共に分け合える食べ物と、思い出がなければならないという思いがした。久しぶりに食べたいメニューを書いて見ました。共に分け合いたい人の名前も。この一ヶ月はイマにやみくもに従おうと思います。もちろん絵も描いてみようと思います。結果は次の手紙に詳しく伝えましょう。健康にお過ごしください。