退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

いい考え(2009,2)より

2013-02-24 12:26:16 | 韓で遊ぶ
体で文章を書くこと(몸으로 글쓰기)
チェジェボン/「ハンキョレ新聞」文学記者
湖公園を見下ろせる小説家キムンの作業室で暖かい清酒をいただいて飲んだ。彼が大事にしている自転車「風倫」と16巻にもなる膨大な「漢韓大辞典」をはじめとする各種の辞典類が日常的である彼の部屋で、バーナーで温めた清酒の温かい味は最高だった。それだけでも恐縮するところなのに、私の本当にほしいものは他にあった。それは、まさに、ちびた鉛筆である。
彼が文章を書く机の上には秤が一つ置いてある。韓薬局を営んでいた祖父の遺品だ。その秤の上にキムンは使って残ったちびた鉛筆をのせて置くのだ。よく知られているように、彼はまだ、原稿用紙に鉛筆で文章を書く。だから秤の上のちびた鉛筆は、小説家キムンの文章を書く労働の証拠であり、存在の確認とも同じことになる。作業室を出て来る時に私は一番短く見えるちびた鉛筆を一つつまんで持ってきた。後で長さを計ってみると5センチぐらいだった。
キムンが私と同じ職場で文章を書いて働いていた2002年頃、彼はコンピューターを使って文章を書こうとしたこともある。しかし、結局、彼はキーボードやモニターと言うものとは友達にはなれなかった。彼が機械音痴だともいえるけれども、それよりは文章に関する彼なりの哲学が、コンピューターと親しくなることを拒んだのだと私は考える。彼が少し前に出した散文集「海の便り」の一文を見てみよう。「私は文章を体で書く。体が文字を押し出す感じがなければただの一行も書けない。鉛筆を握った手と手首と肩に思惟の力が作動してこそ文章がかけるのだ。」
文章を書くことに関するこんな言及は、どうしたものか、自転車に乗ったキムンの姿を思い浮かばせる。彼の文章を書くことは力をこめてペダルを踏んで少しずつ前に進む自転車の動きと似ている。文章を書く彼の体が最も貴くなるということが事実だと言う世界の肉体性だ。(글을 쓰는 그의 몸이 가장 귀하게 챙기는 것이 사실이라는 세계의 육체성이다)事実を重視し、観念と修辞を嫌う点で、彼は「リアリスト」と言うに値する。キムンはよく美文を駆使する文章家として知られているが、つまらなくて華麗なだけの文章を彼が嫌ったことは違いのないことだ。
彼の小説「南漢山城」で清の皇帝が降りてくる文章に関する教示は、キムン自身のことと見てもよい。「言葉をたたむな。言葉をもみくちゃにするな。言葉を広げて外に突き出せ」力を持った美しい文章は何よりも具体的な事実に立脚したことであることを、キムンの文章は見せてくれる。
コメント
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