나이를 먹을 수록, 이렇게 일년이 짧게 되는 것인가? 어렸을 때 1년이 길게 느낀 것을 절실하게 다시 생각한다. 더구나 나처럼 매일 국내를 뛰어다니고 있으면, 시간이 보통 시계와는 다르는 속도로 돌고 있는 것 같다 하는 생각이 든다. 너무 다망한 중, 감기도 걸리지 않고, 건강하게 이 1년을 지낼 수 있었던 것은, 역시 관음님이 지켜 주었다. 이것밖에 생각될 수 없다. 그렇지 않으면 아와(阿波)의 너구리가 3마리정도 둘려 있는 것인가? 언제였는가 쯔무라(津村) 세츠코(節子)씨에게 너구리의 이야기를 하면, 「어머, 좋다. 3마리도 있다면 1마리 나에게도 나눠 줘. 」라고 말했다. 규슈(九州)에서 계속 강연이 있었어서 후쿠오카(福岡), 다자이후(大宰府), 히타(日田),와 뛰어다니고 있었으므로, 매우 피곤해서, 돌아올 후쿠오카(福岡)공항에서 빈 시간에, 공항의 마사지실이 있는 것을 발견해서, 들어가서 마사지를 받았다. 미인이고 젊은 여성이, 곰곰히 마사지를 해주고 매우 능숙했으므로 감탄해서 그 것을 주간신조(新潮)의 「카키오키 과자」의 수필에 쓰면 후쿠오카(福岡)공항의 마사지실에 손님이 쇄도하고, 큰일 났다고 한다. 오늘 그 영업소의 소장에게서 감사 뜻의 편지가 와서 깜짝놀랐다. 진실을 그대로 쓰는것만으로, 나는 특히 거기의 PR을 했을 작정은 없는데도, 그런 기쁨을 받아서 쑥스럽다. 마사지라고 하면,내 여학생 시절에는 내가 다닌 도쿠시마현(島縣)립 도쿠시마(島) 고등여학교에서는, 졸업전에 본직의 마사지사를 불러 마사지의 강습을 받게 된다. 그것을 받지 않으면 졸업시켜 주지 않는다. 양처현모교육을 모토라고 하고 있었던 여학교에서는, 배운 기술로 남편의 어깨를 주물러라는 말 없었지만 , 「시집가면 시아버지, 시어머니의 안마를 해 드려요. 」나는 손재주있으므로, 마사지가 누구보다도 능숙해서, 마무리에 교장선생님의 마사지를 하게 되고, 칭찬받아서 졸업했다.죄후에 머리를 손 끝으로 가볍게 치는 것이 마무리이므로, 나는 교장선생님의 머리를 쳐서 졸업한 바이다. 약혼한 후, 바로 시아버지의 어깨를 주무르게 돼, 그다지 능숙하다고 하므로 그때까지 와 있었던 안마를 시아버지는 거절해버려, 내가 더 좋다고 해서, 매일 저녁 전신 마사지를 하게 됐다. 그 이후, 나는 이 자신 있는 마사지로, 많은 사람을 시술했다. 안마와 마사지는 다르다고 하는 것이지만, 나는 명칭은 어느쪽이나 상관없이, 요컨대 피로를 풀어서 편하게 들면 좋다고 생각하고 있다. 잘 할 수 있는 것이기 때문에 사람에게 안마를 받을 때도 안능숙함과 능숙함이 곧 알아버린다. 제일(가장) 나의 마사지를 기뻐해 준 사람은 아라하타(荒畑) 칸선 선생님과 도키(土岐) 젠마 선생님이었다. 두 사람 모두 94세까지 장수한 사람들이므로 눈으로 가냘프고 날씬했지만 보였지만 몸은 뼈가 야무지게 해서 멀쩡했다. 후쿠오카(福岡)공항의 사람은 정말로 능숙해서, 혈에 손가락이 잘들어 있었던 것이다. 저런 사람을 며느리로 받은 남자는 행복하구나라고 생각한다.
年をとると、なんと一年の短くなることか。子供の頃の1年の長さをしみじみと思い返す。まして私のように一年中、日本国中を走り回っていると、時間が普通の時計とは違う速度で走っているような気がする。
超多忙の中、かぜもひかず、健康そのものでこの一年を過ごせたことは、やはり観音様に守られているとしか考えられない。それとも阿波の狸が3匹くらいついているのか。いつだったか津村節子さんに狸の話をしたら、「あら、いいわね。3匹もいるなら1匹私にも頂戴よ。」と言った。
九州でたてつづけに講演があり福岡、大宰府、日田,と走り回っていたので、さすがに疲れきって、帰りの福岡空港であき時間に、空港のマッサージ室があるのを見つけ、飛び込んでマッサージをしてもらった。美人の若い女性が、じっくりとマッサージをしてくれあまりにも上手だったので感心してそのことを週間新潮の「かきおき菓子」の随筆に書いたら、とたんに福岡空港のマッサージ室にお客が殺到して、大変なことになったという。今日その営業所の所長さんからお礼の手紙が来てびっくりした。本当のことを本当のとうり書いただけで、私は特にそこのPRをしたつもりはないのに、そんな喜ばれて照れくさいくらいだ。マッサージといえば、私の女学生の頃は私の学んだ徳島県立徳島高等女学校では、卒業前に本職のマッサージ師を呼んできてマッサージの講習を受けさせられる。それを受けないと卒業させてくれない。
良妻賢母教育をモットーとしていた女学校では、習った技術で夫の肩をもめとは言わず、「嫁に行ったら舅、しゅうとめのあんまをしてあげなさい。」
私は器用なので、マッサージが誰よりも上手で、仕上げに校長先生のマッサージをさせられ、ほめられて卒業した。最後に頭を指先で軽くたたくのが仕上げなので、私は校長先生の頭をたたいて卒業した次第である。
婚約した後、たちまち舅の肩をもまされ、あまり上手だというのでそれまで読んでいたあんまを舅は断ってしまい、私の方がずっといいということにり、毎晩全身マッサージをさせられた。
それ以後、私はこの得意のマッサージで、ずいぶんといろんな人を施術した。あんまとマッサージは違うということだが、私は名称はどっちでもよく、要するに疲れをほぐして楽にしてあげればいいと思っている。自分でできるものだから人にしてもらうときも下手と上手がすぐにわかってしまう。一番私のマッサージを喜んでくれたのが荒畑寒村先生と土岐善磨先生であった。二人とも94歳まで御長命の方なので一見、華奢に見えたが体は骨ががっちりしてしっかりしていた。
福岡空港の人は本当に上手で、ツボによく指が入ってたのである。あんな人をお嫁に貰った男は幸せだろうなと思う。
年をとると、なんと一年の短くなることか。子供の頃の1年の長さをしみじみと思い返す。まして私のように一年中、日本国中を走り回っていると、時間が普通の時計とは違う速度で走っているような気がする。
超多忙の中、かぜもひかず、健康そのものでこの一年を過ごせたことは、やはり観音様に守られているとしか考えられない。それとも阿波の狸が3匹くらいついているのか。いつだったか津村節子さんに狸の話をしたら、「あら、いいわね。3匹もいるなら1匹私にも頂戴よ。」と言った。
九州でたてつづけに講演があり福岡、大宰府、日田,と走り回っていたので、さすがに疲れきって、帰りの福岡空港であき時間に、空港のマッサージ室があるのを見つけ、飛び込んでマッサージをしてもらった。美人の若い女性が、じっくりとマッサージをしてくれあまりにも上手だったので感心してそのことを週間新潮の「かきおき菓子」の随筆に書いたら、とたんに福岡空港のマッサージ室にお客が殺到して、大変なことになったという。今日その営業所の所長さんからお礼の手紙が来てびっくりした。本当のことを本当のとうり書いただけで、私は特にそこのPRをしたつもりはないのに、そんな喜ばれて照れくさいくらいだ。マッサージといえば、私の女学生の頃は私の学んだ徳島県立徳島高等女学校では、卒業前に本職のマッサージ師を呼んできてマッサージの講習を受けさせられる。それを受けないと卒業させてくれない。
良妻賢母教育をモットーとしていた女学校では、習った技術で夫の肩をもめとは言わず、「嫁に行ったら舅、しゅうとめのあんまをしてあげなさい。」
私は器用なので、マッサージが誰よりも上手で、仕上げに校長先生のマッサージをさせられ、ほめられて卒業した。最後に頭を指先で軽くたたくのが仕上げなので、私は校長先生の頭をたたいて卒業した次第である。
婚約した後、たちまち舅の肩をもまされ、あまり上手だというのでそれまで読んでいたあんまを舅は断ってしまい、私の方がずっといいということにり、毎晩全身マッサージをさせられた。
それ以後、私はこの得意のマッサージで、ずいぶんといろんな人を施術した。あんまとマッサージは違うということだが、私は名称はどっちでもよく、要するに疲れをほぐして楽にしてあげればいいと思っている。自分でできるものだから人にしてもらうときも下手と上手がすぐにわかってしまう。一番私のマッサージを喜んでくれたのが荒畑寒村先生と土岐善磨先生であった。二人とも94歳まで御長命の方なので一見、華奢に見えたが体は骨ががっちりしてしっかりしていた。
福岡空港の人は本当に上手で、ツボによく指が入ってたのである。あんな人をお嫁に貰った男は幸せだろうなと思う。