退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

いい考え(2009.2)より

2013-02-13 11:37:54 | 韓で遊ぶ
キムチを漬ける日
チョヨンハ 小説家
主婦の冬はキムチを漬ける事に始まりキムチを漬ける事に終わる、と言う言葉がある。キムチを買って食べるのが普遍化した最近でこそ、スーッと入ってくる言葉ではないが、私のようにまめにキムチを食べる人には自然にうなずける言葉だ。キムチをつける季節になると、量が多い少ないに関わらず「あ、あれをまた、どうやってやろうかしら。」と、とても気にかかるものだ。そうしながらも、キムチを漬けた後には、どんなにひどい寒さが来ても心配ないと、気持ちが楽になるどころか意気揚々とまでする。それぐらい心の荷が大きいと言うことだ。
この冬も間違いなくキムチをつける季節が近づき、白菜が山積みのスーパーの前を通る度にため息が出た。新しく引っ越した家が問題だった。前の家は寒かったけれど広くて白菜を整えて洗うのに問題がなかった。しかし、今の家はベランダが狭く水圧も弱くどうしても白菜を整えて洗うに気が起こらなかった。何日か悩んだ末、塩漬けの白菜を買うことにした。費用は倍かかるけれどもどうしようもない選択だった。
ちょうど実家の母から電話が来て、その一部始終を話したら、母曰く「あなたのところのキムチ冷蔵庫、大きいから家のも一緒にやったらだめかしら。」家族が少ないと言う理由で未だに住まいにキムチ冷蔵庫がない生活をしている母は、毎年すっぱいキムチを処理するのに苦労していた。母の事情をよく知っていたので費用は倍かかるけれども快くオーケーした。実は、母も私もキムチ冷蔵庫のようなものは重要ではなかった。去年まで舅姑と一緒に暮らしていて、今年初めて別居したのがポイントだった。結婚17年目にして初めて母と共にキムチを漬けることになったのだ。
母はソレポグから買ってきたエビの塩辛と、きれいに挽いたニンニクの包みを持って早めにやってきた。来るなり、座りもせずに袖をまくって大根を洗って刻み始めた。私なりにキムチと漬けることは経験をつんできたと思っていたが、母の前では駆け出しに過ぎなかった。白菜の中に混ぜて入れて後処理まできちんと仕上げは母は私が作った白菜のスープを2杯も全部飲んで帰った。
母を見送っていく道で、私の手をしっかりと握って歩く母曰く、「昨日の晩一睡もできなかった。娘とキムチをつけると思ったらうれしくて眠れなかった。」やっぱり、キムチ冷蔵庫は口実に過ぎなかった。子供のように車窓の外に向かってひたすら手を振る母を見て、来年もキムチを漬ける時、絶対に母を呼ばなければと思った。その日が今から待ち遠しい。

とてもジーンと来た話なのでぜひ原文をと思ったのですが見つかりませんでした。
([김장하는 날] 좋은 생각 2009,2 p28)
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